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タイプ「集落・街」
すすきの ( 北海道 札幌市 )
地下鉄すすきの駅周辺の南5条西2丁目から4丁目あたりが中心で、かつては遊廓があったところ。付近には地下街やデパートもあり、昼間もショッピング客で賑わう。夜の歓楽街としては、東京新宿の歌舞伎町、福岡博多の中州と並び、全国にも知れわたっており、小料理店やバー、キャバレーなど約3,500軒もの飲食店がネオンを輝かせている。地元の...
函館山山麓周辺の街並み ( 北海道 函館市 )
函館は、横浜・長崎とともに幕末最も早く開港し多くの外国人が生活していた。特に元町付近は海外との交流の場として開けた古い地区。函館山北東斜面の山の手にあり、現在でもハリストス正教会*をはじめ赤煉瓦や木造洋館*など、異国文化の影響を受けた明治の建築物が数多く残存し、風情ある町並みを見せている。 外国人墓地から旧ロシア...
金森倉庫群と末広町周辺の街並み ( 北海道 函館市 )
函館市末広町の海岸エリアを中心に、明治時代から昭和の雰囲気を残す石造り・煉瓦造り・木造の建物群が点在する。函館市電の大町、末広町、十字街、魚市場通の海岸線に、「太刀川家住宅店舗」、「相馬株式会社社屋」、「函館市北方民俗資料館」、「函館市文学館」、「はこだて明治館」などの古く雰囲気のある建物が続いている。 特に「金...
小樽の運河と石造り倉庫群 ( 北海道 小樽市 )
小樽市は札幌の西側、札樽道で約38kmに位置し、明治中期から昭和初期に北海道の経済・物流の中心として栄えた都市である。今でも当時の石造り倉庫や銀行建築などが残り、当時の繁栄の姿を偲ばせる。 小樽運河は小樽駅から港に向かって坂を下ったところにある。幅20~40m、長さ1,120m(完成時は約1,300m)の運河で、周囲は明治・大正期に建...
弘前の洋館群 ( 青森県 弘前市 )
弘前市は藩政期の歴史的建造物、明治・大正期の洋風建築など多くの地域資源が、各時代の趣を伝えながら調和することで歴史的な街並みを形成しており、戦災や大きな災害に遭うことがなかったため、江戸時代からの街並や古い建物が残っている。特に旧弘前市立図書館や旧第五十九銀行本店本館など明治・大正時代に建築された洋風建築が数多く残...
金ケ崎町城内諏訪小路 ( 岩手県 金ケ崎町 )
JR東北本線金ケ崎駅から徒歩5分に位置する。旧金ケ崎要害の城と武家町のほぼ全域にあたる地域。江戸時代は大町氏3000石の城下町。仙台藩伊達領の最北端にあたり、対盛岡藩の拠点として「金ケ崎要害」と称された。今も表小路・達小路などに武家屋敷のたたずまいが見られる。 金ケ崎要害とは、伊達氏が大身家臣に治世に当たらせた藩の重要拠点...
増田町の内蔵と町並み ( 秋田県 横手市 )
JR奥羽本線十文字駅から南東に約3km、増田町の中心街の中町、七日町商店街通り(中七日通り)には、「内蔵」と呼ばれる土蔵を擁する明治から昭和期の商家などが建ち並び、重要伝統的建造物群保存地区(約10.6万m2)に選定されている。増田町は雄物川の支流、成瀬・皆瀬両河川の合流点にある市場町*1として江戸時代から発展してき...
喜多方蔵のまち並み ( 福島県 喜多方市 )
喜多方市は会津盆地の北部に位置し、豊かな地下水に恵まれ良質な米の産地で、近世以降、酒・味噌・醤油などの醸造業が盛んであった。さらに、漆器などの産地でもあり、定期市が開かれ物産の集散地として栄えた。このため市の中心部を南北に流れる田付川両岸の中心街から山間に至るまで粗(あら)壁・白壁・黒漆喰(しつくい)・煉瓦造などの...
大内宿 ( 福島県 下郷町 )
会津鉄道湯野上温泉駅から北西3.5km、山間にある会津西街道*の旧宿場。会津西街道は会津藩の廻米*を江戸に送るルートであり、会津盆地との間に標高900mの大内峠があるため、大内宿は荷駄の中継・宿泊地として重用された。1884(明治17)年に大川沿いの国道121号線が開通するまで繁栄した。 現在でも、水路が両端を走る街道沿いに約30戸...
真壁の町並み ( 茨城県 桜川市 )
つくば市の北にあり、町並みの東側に足尾山と加波山(かばさん)、南側には筑波山が見られる。真壁*は、律令期(7世紀後半~10世紀)から国府(現・石岡市)と東山道をつなぐ要衝の地にあり、中世には真壁氏の支配のもと城下町が形成され、近世には、笠間藩の陣屋を中心に木綿などの物産の集散地として栄えた。このため、真壁の町並みの特徴...
栃木市の町並み ( 栃木県 栃木市 )
まちの北から南へ渡良瀬川の支流巴波川が流れ、西に太平山がそびえている。江戸時代には巴波川の河川交通により、卸問屋が集まる町として発達し、また例幣使街道の宿場町としても栄えた。 1871(明治4)年には栃木県庁が置かれ、栃木県の県庁所在地として急速に繁栄したが、1884(明治17)年に宇都宮に県庁が移り、県名だけが残った。 ...
小幡の町並み ( 群馬県 甘楽町 )
城下町小幡は、室町時代に小幡氏の拠城であった国峰城が築かれ、江戸時代に織田氏、松平二万石の陣屋町として栄えたところで、武家屋敷の町並みを今に残している。織田信長の次男信雄(のぶかつ)*が小幡に城下町を築く際に作られた庭園は楽山園として残されており、現在では当時の姿に復元された。 小幡地区を南北に流れる雄川堰は、古...
川越蔵造りの町並み ( 埼玉県 川越市 )
藩主松平信綱により、川越城下は慶安年間(1648~1652年)に十ヵ町・四門前・郷分の町割りが行われた。十ヵ町は、札ノ辻(高札場)を中心に上五ヵ町の商人町が囲み、下五ヵ町は職人町で構成された。しだいに商人が職人町にもでてきて、職人は裏店に引っ込んだ。 1893(明治26)年、川越の大火により全町の4割にあたる1,302戸が焼失。類焼...
佐原の町並み ( 千葉県 香取市 )
古い家並みを残す佐原は、江戸時代から利根川水運の中継地として発展し、商人の町として栄えた。町中を流れる小野川沿いや香取街道沿いには、江戸時代から昭和期に至るまでの町屋や土蔵、レンガ造りなど情緒漂う建物が多く残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されている。それらの建物の多くは、現在も活用されてい...
大多喜の町並み ( 千葉県 大多喜町 )
房総半島のほぼ中央に位置する大多喜町は、城下町として栄えてきた町であり、中世には「小田喜」と呼ばれていた。戦国時代に入ると、長南の武田氏、里見氏の武将である正木氏などが支配し、北条氏滅亡後は徳川四天王の一人である本多忠勝*が領有した。本多忠勝は、里見氏の攻撃に備え、城を強化し城下町の整備を行った。明治以降は合併を繰...
横浜山手西洋館 ( 神奈川県 横浜市 )
1858(安政5)年に締結された日米修好通商条約をはじめとする安政の五カ国条約を機に、1859(安政6)年に横浜は開港場となり、1860(万延元)年には外国人居留地が開放された。当初の居留地は現在の山下町のエリアに設けられたが(「関内居留地」や「山下居留地」とよぶ)、埋立による低湿地帯であったために山手丘陵地の開放が求められ、現...
宿根木集落 ( 新潟県 佐渡市 )
宿根木は、海岸段丘下の入り江に形成された集落である。集落は鎌倉時代から南北朝時代にかけて成立したと考えられる。江戸時代以降、宿根木は西廻り航路の寄港池として繁栄し、北前船の船主や船大工が集住し、一般の港町とは様相が異なっていた。 宿根木の住居は、舟板を用いた独特な家が多く、かつては石置板葺で、全体に外観は質素であ...
加賀東谷の町並み ( 石川県 加賀市 )
加賀市南部の山間部は、近世には大聖寺藩の奥山方に属し、藩の御用炭を生産しており、近代から昭和前期にかけても大半の集落が炭焼きを主産業としていた。昭和30年代以降、ダム建設や、災害、離村などにより失われた集落があるなかで、大日山を源とする動橋(いぶりはし)川と杉ノ水川の上流域に点在する荒谷(あらたに)、今立(いまだち)...
橋立町の船板住宅群 ( 石川県 加賀市 )
石川県南西部に位置し、JR北陸本線加賀温泉駅から北西へ約5km。橋立は、かつて北前船の船主や船頭、船乗りなどが多く住んでいたまちで、日本でも1、2を競う富豪村と呼ばれていた。北前船とは、大坂と蝦夷地(北海道)を結び、瀬戸内海と日本海の各港に寄港して積荷を売買する商売をしてまわった買積船で、近世後半から明治期にかけて盛んに活...
金沢の武家屋敷 ( 石川県 金沢市 )
昔ながらの土塀や石畳の小路が残り、豪壮な武家屋敷が立ち並ぶ長町武家屋敷跡。金沢市の伝統環境保存区域および景観地区に指定されていて、今でも趣のある景観が維持されているエリア。かつての城下町の面影を次第に失いつつあるが、まだ各所に残る頑丈な武者窓をもつ長屋門や土塀に往時を偲ぶことができる。比較的武家屋敷の雰囲気が残るの...
ひがし茶屋街 ( 石川県 金沢市 )
南北約130m、東西約180m、約1.8haで、保存地区内の建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、1820(文政3)年の茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残る。1831(天保2)年、茶屋街が藩命により一旦廃止され、1846(弘化3)年にひがし茶屋街は愛宕(あたご)と呼称された。1867(慶応3)年に再び茶屋街が認められ...
近江町市場 ( 石川県 金沢市 )
1721(享保6)年に各所の市場が現在の地に集められたことから始まったとされる。以来加賀藩の繁栄とともに栄え、約300年もの間、金沢を代表する市場として賑わってきた。1966(昭和41)年には郊外に新しく開設された金沢中央卸売市場に卸仲卸が移転し、小売専門の市場となった。 売り子の威勢のいい掛け声が場内に響くなど昔ながらの市場の雰...
卯辰山山麓寺院群 ( 石川県 金沢市 )
金沢駅の東方、卯辰山の西麓から山腹にかけて約50の寺院が散在している。1599(慶長4)年に前田利家を祀る宇多須神社、1601(慶長6)年には豊臣秀吉を祀る豊国神社(卯辰山王社)を建立、歴代藩主が崇敬した。一方、前田家の祈願所である観音院が広大な境内を中腹に占め、卯辰山は加賀藩の宗教空間として特別なエリアとして形成される。山麓...
主計町茶屋街 ( 石川県 金沢市 )
金沢市の「三茶屋街」のひとつで、北国街道が浅野川を渡る地点に架かる浅野川大橋の下流に位置する。茶屋町として明治期から昭和戦前期にかけて栄え、当時の建造物が多く残る。昼間でも薄暗い石段が続く「暗がり坂」や、2008(平成20)年に地元住民から依頼を受けて、作家・五木寛之氏が命名した「あかり坂」は、趣のある風景に出会える場所...
にし茶屋街 ( 石川県 金沢市 )
ひがし茶屋街、主計町茶屋街と並ぶ金沢三茶屋街のひとつ。茶屋街のエリアはそれほど広くないものの、約100mのメインストリートには出格子の茶屋建築が連なり、江戸時代の面影を色濃く残している。にし茶屋街では現役の茶屋も多く、芸妓さんも活躍している。茶屋の跡地に建つ「金沢市西茶屋資料館」は見どころのひとつ。隣接する木造の洋風建...
奥能登の黒瓦の集落群 ( 石川県 珠洲市 / 石川県 輪島市 / 石川県 能登町 / 石川県 穴水町 )
「能登には、黒瓦の屋根と下見板張りの伝統的な住居が多く、統一感のある景観と独特の風情を生み出している。黒瓦は、「能登瓦」とも呼ばれ、材料に能登の水田の土を使い、山の薪を燃料にして、七尾市や珠洲市などの農村地帯で生産されてきた。黒あるいは銀黒の美しい釉薬で覆われた能登瓦は、耐寒性に優れるといわれている 。輪島市の黒島(...
熊川宿 ( 福井県 若狭町 )
国道303号線が上中~熊川~滋賀県高島市今津を結んでいるが、この道はかつての若狭街道で、途中の保坂から南へ折れると朽木、大原、八瀬を経て京都に至るのが鯖街道である。 近江と若狭との国境に位置する熊川は、熊川城が築かれたり、近江との国境大杉に関所が置かれたりし、1589(天正17)年、浅野長政が命じて、宿場町としての役割を担...
越前大野湧水のまち ( 福井県 大野市 )
大野市には湧水地が数多く点在し、古くから水に恵まれているまちであった。今でも市内の多くの家庭では、ホームポンプを設置し地下水*を汲み上げて、そのまま利用している。地下水は、飲み水をはじめ料理や風呂の水などの生活用水として、利用している。軟水で口当たりのよい地下水で、水温は1年を通じて約15度と一定で、夏は冷たく、冬は温...
赤沢宿 ( 山梨県 早川町 )
身延山の西、七面山*(1982m)の麓を流れる春木川の谷を見下ろす急な斜面にへばりつくようにあるのが、赤沢宿である。 古くから七面山は山岳信仰の対象で修験場であったが、日蓮*が身延山に久遠寺を開創して以降、七面山が身延山の守護神七面大明神*の鎮座する山としても崇敬されはじめ、身延山と七面山を信者が行き交うようになった。...
奈良井宿 ( 長野県 塩尻市 )
中山道六十九次のうち、江戸から数えて34番目の宿場で、江戸時代には奈良井千軒といわれたほど賑やかな宿場町であった。現在もJR奈良井駅の南西、旧街道沿いに庇(ひさし)の深い2階建、猿頭*、黒い千本格子の民家がつづいている。創業230年という旅籠越後屋など、町並みは往時の街道・宿場情緒を偲ばせる。西に難所といわれた鳥居峠をひか...
小布施の町並み ( 長野県 小布施町 )
小布施町は長野県の北部に位置し、西部に千曲川、南部に松川、北部に篠井川と三方を川に囲まれている、半径2km以内にすべての集落が入る長野県で1番小さな町。北信五岳・北アルプスを望むことができ、果樹栽培が盛んで特にリンゴと栗が代表的産物。葛飾北斎がこの地に4回も訪れているゆかりの地でもある。1982(昭和57)年から始まった町並み...
海野宿 ( 長野県 東御市 )
東御市西部、田中駅の北西約1.5km。JR信越本線と千曲川にはさまれた河岸段丘にある町並み。徳川幕府によって開かれた脇往還「北国街道」*の宿場町で、現在でも東西約650mにわたり街道時代の町並みと遺構が残る。道路中央に設けられた堀割や、独特の格子戸や防火用の火返しを付けた民家が、当時とほぼ同じ姿で道路両側に軒を連ねる。
妻籠宿 ( 長野県 南木曽町 )
岐阜県側から木曽路に入ると1番目の宿。伊那谷への追分でもあり、賑やかな宿場町であった。明治末の中央本線開通後、荒れて寒村となっていたが、1968(昭和43)年から集落保存を実施して脚光を浴びるようになった。現在、周辺の自然景観も含めて、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。 出し梁に千本格子、卯建*のある古風な...
美濃町の町並み ( 岐阜県 美濃市 )
岐阜市から長良川を20kmほど上流の県南部中央に位置し、美濃紙*の本場として知られる。市域中央で長良川と支流板取川が合流し、その合流点の南に中心市街が開ける。古くは上有知(こうずち)と呼ばれた地で、江戸時代初期に高山の町並みを作り上げた金森氏*が築き、小倉山城*の城下町として発達した。往時は長良川の水運を利用した、紙や...
飛騨古川の瀬戸川と白壁土蔵街 ( 岐阜県 飛騨市 )
飛騨市古川町は、高山市の北西(JR高山線で3駅北)に位置し、町中心地で宮川と荒城川(あらきがわ)が合流している。 天正年間(1573~1592年)に飛騨を平定した金森氏により、増島城の城下町として、碁盤目に区割りされ整えられた。その際、新田開発の用水として整備された瀬戸川は、武家屋敷と商人町を分けることにもなり、武家屋敷があ...
白川郷合掌造り集落 ( 岐阜県 白川村 )
白川郷の中心である荻町(おぎまち)地区は、山あいを縫うように流れる庄川によって形成された三日月形の河岸段丘の平地にある。急勾配の茅葺き屋根の家屋や小屋が約1kmにわたり点在し、家屋周辺には水田や畑、水路が広がっている。 江戸時代末期(1830~1867年)の建築と伝わる「和田家(わだけ)」や、5階建ての庫裡(くり)がある「明...
馬籠宿 ( 岐阜県 中津川市 )
江戸日本橋と京都三条大橋を結んだ中山道(なかせんどう)六十九次の43番目の宿場町。その中で木曽川に沿い、険しい峠を越え深い谷を抜け、山あいをめぐる区間を中山道・木曽路十一宿と称し、北は長野県塩尻市の贄川(にえかわ)宿から、妻籠(つまご)宿を経ていちばん南が馬籠宿である。 馬籠峠からつづく斜面にのったところで、ひと筋...
高山三町の町並み ( 岐阜県 高山市 )
市の中心部を流れる宮川(みやがわ)の東、南北に連なる三本の通りを総称して「三町(さんまち)」という。三町は、さらに安川通りを境に上町と下町に分かれていて、南側が上一之町(かみいちのまち)から上三之町(かみさんのまち)、北側が下一之町(しもいちのまち)から下三之町(しもさんのまち)である。江戸時代末期から明治時代*に...
恵那市岩村町本通りの町並み ( 岐阜県 恵那市 )
岩村町は恵那市の南部に位置し、岩村城の城下町として発展してきた。周囲が山々で囲まれて標高は500~600mと比較的高い。全長約1.3kmにおよぶ本通りが、緑や川の周辺環境と一体となった歴史の町並みとして、1998(平成10)年に「重要伝統的建造物群保存地区」として選定された。 岩村城方面から、江戸時代の切妻造・平入り二階建ての町家...
水とおどりの城下町郡上八幡 ( 岐阜県 郡上市 )
郡上市は岐阜県のほぼ中部で長良川上流に位置する。その中心市街地の八幡町は、古くから飛騨・美濃・越前を結ぶ交通の要衝であり、郡上八幡城の城下町である。三方を山に囲まれた盆地で、町の中央には吉田川と小駄良(こだら)川が流れる。雨は周辺の山々や南東部の石灰岩層の割れ目から地下浸透し、伏流水として湧き水や井戸の水源となる。...
木曽三川の輪中集落 ( 岐阜県 海津市 / 岐阜県 羽島市 / 愛知県 愛西市 / 愛知県 弥富市 / 三重県 桑名市 )
木曽三川(きそさんせん)とは、岐阜県南西部から愛知県北西部と三重県北部の一部にかけて広がる濃尾平野を流れる木曽川、長良川、揖斐川の3つの川の総称である。 太古、木曽三川は上流から土砂を運び、濃尾平野を形成した。栄養のある土地と豊富な水に恵まれた木曽三川下流地域は、農作物が育ちやすく、水運にも便利で多くの人々が生活を...
松崎町のなまこ壁と鏝絵 ( 静岡県 松崎町 )
伊豆西海岸の南部に位置し、駿河湾に面している松崎町*1は、古くから松崎港を中心に栄えていたといわれる。明治期に入ると、繭が早い時期からとれる温暖な土地柄であることから養蚕業が盛んになり、富裕層も増え、瓦葺きの堅牢な建物が求められるようになった。 冬の松崎は駿河湾からの西風が強く防火が欠かせなかったため、壁面に四角い...
有松の町並み ( 愛知県 名古屋市 )
名鉄名古屋本線有松駅の西側に絞り染めで名高い有松の町並みがある。有松宿は、1608(慶長13)年、東海道の鳴海宿と池鯉鮒宿の間に尾張藩によって開かれた。しかし、宿場でなく、休憩用で宿泊が禁じられた間の宿であった。1613(慶長18)年に、一説に有松しぼりの開祖*といわれる竹田庄九郎ら8人が移住して、1615(元和元)年から1625(寛永...
御城番屋敷 ( 三重県 松阪市 )
JR・近鉄松阪駅より徒歩約15分。御城番屋敷は、現存する江戸時代の武家長屋の中で、最大規模とも言われる貴重なもの。2004(平成16)年、国の重要文化財に指定された。松坂城の裏門跡と搦手門(竹御門)跡を結ぶ石畳の両側に、美しく整えられた槇垣を巡らした御城番屋敷は、松坂城を警護する「松坂御城番」という役職の武士20人とその家族が...
関宿 ( 三重県 亀山市 )
JR関西本線関駅より徒歩約5分。三重県亀山市にある関宿(せきじゅく)は、東海道53次、江戸から数えて47番目の宿場町である。宿場町の距離は約1.8km。道路の両脇には江戸時代から明治時代にかけて建てられた町家が今でも奇跡的に200軒ほどが残っている。鈴鹿山脈の東麓に位置し、古代には三関*のひとつである鈴鹿関が置かれていた。 関宿...
伊勢河崎のまちなみ ( 三重県 伊勢市 )
JR・近鉄「伊勢市駅」、近鉄「宇治山田駅」から徒歩約15分。伊勢の河崎は、伊勢市の中心を流れる勢田川の両側に広がる町で、水運を生かした問屋街として知られ、特に江戸時代からは伊勢神宮の参宮客への物資を供給する「伊勢の台所」として栄えた。当時は蔵や町家が川の両岸に建ち並び、直接船から物資を蔵に入れることができるようになって...
水木しげるロード ( 鳥取県 境港市 )
水木しげるロードは境港駅から水木しげる記念館まで800m続く商店街の名称。漫画家・水木しげるが描く妖怪の世界観をテーマとした名所として知られる。水木氏の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターを中心として日本各地の妖怪たちをモチーフとしたブロンズ像など多数のオブジェが設置されている。共通テーマのもと商店は、それぞれに販売...
津和野の町並み ( 島根県 津和野町 )
島根県の西端、山陰の小京都と呼ばれる小さな城下町。津和野川に沿って細長く町なみが連なり、東に青野山・西に城山がそびえている。町の中心殿町付近には武家屋敷や白壁の旧家が昔日の姿そのままに立ち、道ばたの掘割には色とりどりの鯉が群れ遊んでいる。 かつてはツワブキの茂る野であったという津和野の歴史は、吉見頼行・頼直親子が...
大森の町並み ( 島根県 大田市 )
大森町は大田市域の南西の山峡にある。石見銀山が徳川幕府の天領となって以降、その繁栄により銀山柵内(さくのうち)の北側にあたる大森地区の建設へと発展し、支配の中心地も銀山地区から大森地区へと移っていった。奉行所が置かれ、石見銀山の行政と商業の中心地として町が整備された。 山間の狭い谷間に作られた町は、身分に関係なく...
矢掛の宿場町 ( 岡山県 矢掛町 )
県の南西部、小田川の自然堤防の上に道を通してできた集落で、旧山陽道*の宿場町として栄えた。関ケ原の戦いののち天領・備中松山藩領(池田家)・庭瀬藩領(松平家)など支配体制がめまぐるしく変化したが、1699(元禄12)年に庭瀬藩領板倉家2万石の所領となり、その後、同家が11代にわたって支配し、明治を迎えた。この間、矢掛には陣屋が...
津山市城東町並み ( 岡山県 津山市 )
津山の城下町は、津山城を築いた初代津山藩主森 忠政*1により、吉井川の左岸(北側)に出雲街道*2に沿って東西に細長く形成された。城の周辺に武家地、街道沿いに町人地、町の外縁部に社寺を配置している。城下の出雲街道には、約3kmの範囲に18カ所の鍵曲がり(かいまがり)*3が設けられており、軍事色の強い城下町であった。大きな戦禍に...
倉敷川畔の街並み ( 岡山県 倉敷市 )
第二次世界大戦の空襲を免れた倉敷には、江戸時代から昭和まで各時代の建物が残っている。JR倉敷駅から南に徒歩15分ほど、倉敷川畔と鶴形山を含む倉敷美観地区*は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている。江戸から明治にかけて運河として利用された倉敷川の川畔には、白壁の商家や土蔵が並び、川沿いの柳並木と調和して、しっ...
吹屋の町並み ( 岡山県 高梁市 )
JR備中高梁駅から約25km、吉備高原西部、標高550mの山あいにある、銅山*と赤色顔料のベンガラ*の製造で栄えたまち。旧吹屋往来*に沿って、赤褐色の石州瓦とベンガラ格子に赤い土壁や白漆喰壁の町並みが続く。この町並みは、ベンガラの製造・販売で財を成した豪商たちが石州(現在の島根県)から宮大工を招き、江戸後期から明治にかけて形...
脇町南町のうだつの町並み ( 徳島県 美馬市 )
JR徳島線穴吹駅から車で約10分。脇町は、江戸時代の初期、脇城の城下町として建設された。一城令(1615(慶長20・元和元)年)により脇城が廃城となったあとも、吉野川の水運を利用した阿波藍の集散地として発展した。1889(明治22)年の市町村制施行時には、人口において、徳島・撫養(鳴門市)につぐ県内第3の町であった。 江戸時代中期...
琴平門前町 ( 香川県 琴平町 )
「こんぴらさん」といえば、石段の両側にびっしりと土産店が建ち並ぶ表参道のようすが目に浮かぶ。現在の琴平門前町は、表参道とそれに続く新町商店街、参道口で表参道と交わる神明町通り、JR琴平駅から神明町までの通りがそのおおよその範囲である。神明町通りは1889(明治22)年に讃岐鉄道(現JR土讃線)の開通に合わせてできた新道で、旅...
男木島の町並み ( 香川県 高松市 )
男木島は高松港の北方約10km、フェリーで約40分のところにある。周囲約5km、面積1.37km2、海に浮かぶ独立峰のような島で、島の最高地点は標高213mのコミ山。島の北端にある男木島灯台は、灯台守を主人公とした映画「喜びも悲しみも幾歳月」*のロケ地として有名である。古くから漁業の島として知られ、現在もサワラやタコなどを漁...
外泊「石垣の里」 ( 愛媛県 愛南町 )
愛南町外泊は、幕末から明治時代初期にかけて隣の中泊地区からの分家の移住によってつくられた集落で、入り江に面した急斜面に、高い石垣をめぐらした家々が、山の中腹までひしめき合うように立ち並んでいる。石垣は台風や冬の北西季節風による潮害を防ぐために造られたもので、軒に達するほどの高さがあり、独特の景観を造りだしている。こ...
内子の町並み ( 愛媛県 内子町 )
内子の町並みは、町中心街の北に約600mにわたって続く「内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区」を中心にして広がる。現在残る町並みは、幕末から大正頃にかけて造られたもので、桟瓦葺(さんがわらぶき)の大屋根、漆喰となまこ壁に美しく調和する出格子(でごうし)や破風飾など、豪壮で重厚な造りに往時の面影を偲ばせている。 一方...
卯之町の町並み ( 愛媛県 西予市 )
重要伝統的建造物群保存地区に全国で86番目に選定された「卯之町(うのまち)の町」には、歴史人物由来の地や歴史価値の高い建築物が当時の姿そのままに残っている。 白壁、格子戸(こうしど)、半蔀(はじとみ)、卯建(うだつ)などが特徴の江戸末期から昭和初期の建築物などである。 「開明学校」は学制が公布された1872(明治5)年...
安芸市土居廓中の町並み ( 高知県 安芸市 )
安芸平野のほぼ中央、安芸川の西岸に近世に形成された旧武家町が町割り、面影をとどめている。東西約410m、南北約360m、約9.2ha。2012(平成24)年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。藩政期は武家のみが住み、碁盤目の町割、路地幅、江戸末期から昭和戦前の家屋、武家町らしい生垣、練塀*などの歴史的風致が面的に現存する。戦国期の...
門司港周辺建造物群 ( 福岡県 北九州市 )
1889(明治22)年に国の特別輸出港に指定された門司港。以降、金融機関や商社、海運会社などが支店を構え、横浜、神戸と並ぶ国際貿易港として栄えた。地区の交通拠点となったのは「門司駅(現門司港駅)*」。しかし、1942(昭和17)年の関門鉄道トンネルの開通によって、同駅を経由せずに本州との行き来が可能になったことなどを背景に、町...
秋月城下町 ( 福岡県 朝倉市 )
朝倉市の中心市街地から北へ約7km、標高約860mの古処山の麓に広がる城下町・秋月。中世からここに拠った秋月氏が豊臣秀吉に抗して遷されたのち、黒田長政の三男長興が秋月藩初代藩主となり、1624(寛永元)年に新たに城を築き、5万石の城下町として復興した。今は石垣と堀の一部が残り、黒門や長屋門などに昔日の面影が偲ばれる。 町全体...
筑後吉井の町並み ( 福岡県 うきは市 )
筑後平野の東部、筑後川の中流域に広がるうきは市吉井町。JR久大本線の北側に、古い町並みが残っている。江戸時代、城下町久留米と日田天領を結ぶ豊後街道の在郷町として大いに栄え、その後は、ろうそくや菜種をはじめとした地域の特産品加工を扱う有力商人の金融活動などで繁栄。 町並みは、もともとは茅葺きが多かったが、明治初期の大...
新川田篭の町並み ( 福岡県 うきは市 )
筑後川の支流の一つである隈上川沿いの谷筋に広がる集落。川水を、水路を使って利用し、石垣で造成した棚田で稲作を営んでいる。上から見ると棟がコの字型をした「くど造り」と呼ばれる形式の民家・平川家住宅*を代表とした寄棟造の茅葺きの主屋など、昔ながらの建築が残り、かつての農村景観を今に伝えている。
浜庄津町浜金屋町の町並み ( 佐賀県 鹿島市 )
2006(平成18)年4月21日、肥前浜宿内の2地区が、国の「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)」として同時選定を受けた。そのうちの1つが、ここ浜庄津町浜金屋町。浜川河口の右岸に位置し、長崎街道のひとつ多良海道が町の中央を通る。近世に鹿島藩の港町として、商人や船乗り、鍛冶屋等が住み発展。海道と小路が町のフレームを形成し、...
浜中町八本木宿の町並み ( 佐賀県 鹿島市 )
江戸時代に長崎街道の脇街道である多良海道の宿場町として栄えた。また、多良岳山系の清水と佐賀平野の米に恵まれ、江戸中期頃から酒造が次第に盛んになり、江戸後期には10数軒の酒屋があった。現在も全国に銘酒を送り出す酒蔵が3蔵残る。旧多良海道は通称「酒蔵通り」と呼ばれ、醸造町として初めての重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け...
塩田津の町並み ( 佐賀県 嬉野市 )
長崎街道の宿場町として、また有明海の干満の差を利用して発達した川港として栄えた塩田津。江戸時代には佐賀藩の支藩である蓮池藩・西目の政治の中心地でもあった。江戸期後半から火災に強い漆喰造りの「居蔵家」と呼ばれる大型町屋ができ重厚な町並みが形成された。2005(平成17)年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
神浦の町並み ( 長崎県 平戸市 )
平戸港から約15km北にある的山大島(あづちおおしま)の神浦地区にある港町。江戸中期から昭和初期の町家が連続して建ち並ぶ。 江戸時代、平戸藩の招きにより井元(いのもと)氏が大島政務役として大島に入り、1661(寛文元)年、三代政務役の井元義信が藩主の命令で神浦を捕鯨基地とした捕鯨業を開始した。この捕鯨業は成功を収め、オラ...
長崎市東山手・南山手の洋風建築群 ( 長崎県 長崎市 )
長崎における外国人居留地は、1858(安政5)年に締結された日米修好通商条約をはじめとする安政の五カ国条約を機に、1859(安政6)年に長崎は開港場となり、外国人居留地が設定されため、同年、長崎湾奥の東側、大浦海岸を中心に埋め立て、造成工事が着手されたことに始まる。居留地は、外交団の要求もあり、順次埋め立て面積が広げられ、山...
豆田町の町並み ( 大分県 日田市 )
古くから北部九州の各地を結ぶ交通の要衝として栄えた日田。江戸時代には、その大半を天領として支配され、九州の政治、経済、文化の中心地として繁栄。日田が天領となるのは1639(寛永16)年で、日田御役所(日田陣屋)が設置。この陣屋膝下の町として発展した町人地が豆田町だ。町並みの成立は、17世紀初頭の城下町建設に遡る。 今も往...
杵築武家屋敷群 ( 大分県 杵築市 )
杵築市は、国東半島の南のつけ根、日豊本線杵築駅から4kmほど東に市街が発達している。松平藩三万二千石の城下町で、杵築城が半島の突端にそびえ立ち、内陸の南北にそれぞれ、坂の上の高台に武家屋敷が点在する。武家屋敷のある高台は、南北それぞれ、南台、北台と呼ばれる。その谷あいはかつては商人たちの町で、現在も商店が連なる。
美々津の町並み ( 宮崎県 日向市 )
耳川(みみかわ)の河口に立地する美々津。江戸期には高鍋藩の商業港として発展し、幕末から明治、大正期にかけては廻船業で栄え、町には今も多くの廻船問屋であった建物が残っている。京都や大阪の町家造を取り入れた建物には、虫籠窓や京格子、通り庭風の土間がある。河口付近にある港から三本の主道路が南に貫き、それらを繋ぐように「ツ...
飫肥城下町の町並み ( 宮崎県 日南市 )
飫肥藩の城下町として江戸時代初期の城下町割りをよく留めている。街路幅も当時のままで、石垣や生垣、門などが往時のまま残されているところが多い。飫肥城下町の町並みは、1977(昭和52)年に重要伝統的建造物群保存地区として選定された。九州・沖縄地方では最初の選定地である。町中には随所に古い商家や武家屋敷跡、鯉の泳ぐ水路などが...
入来麓武家屋敷群 ( 鹿児島県 薩摩川内市 )
鎌倉時代からの領主、入来院(いりきいん)氏が築城した清色(きよしき)城を中心に広がる、山と川に囲まれた武家屋敷集落跡。城のすそ野に家臣の住まいを配置する「麓」*を形成し、集落へと発展した。山、川、田などの環境が一体となり、屋敷の配置や区割り、野石を使った美しい玉石垣や生垣、武家屋敷門(茅葺門)、大手門前の濠や広馬場...
出水麓の町並み ( 鹿児島県 出水市 )
鹿児島の最北部、肥後藩との藩境にあった出水麓*は、重要な防衛基地のひとつ。薩摩藩の「外城」として藩内で最初に築かれ、規模も最大だった。出水麓には、3,000人~5,000人の武士たちが暮らし、整然と区画された武家屋敷が立ち並んでいた。碁盤の目のような町割りや、川石を積み上げた石垣、緑の生垣など、今も400年前と変わらぬ風景を残し...
知覧武家屋敷庭園 ( 鹿児島県 南九州市 )
江戸時代、武士の数が多かった薩摩藩は、領地を外城(とじょう)とよばれる地区に分け、地頭や領主の屋敷を中心に「麓」とよばれる武家集落をつくって統治していた。これは鹿児島城下に武士団を結集させず、分散して軍事拠点を複数つくるためでもある。外城は鹿児島県内に102カ所もあったが、なかでも知覧には武家集落、「麓」の典型的な姿が...
国際通り ( 沖縄県 那覇市 )
那覇のメインストリート。県庁北口交差点(パレットくもじ前交差点)から安里三叉路までの約1.6kmの通りで、琉球料理店やステーキハウスなどの飲食店をはじめ、土産物店やホテルなどが軒を連ね、沖縄随一の賑わいをみせている。 沖縄県庁が泉崎に移転したことにより、泉崎と首里を結ぶ道として1934(昭和9)年に完成した「新県道」が前身...
渡名喜島の町並み(渡名喜島) ( 沖縄県 渡名喜村 )
渡名喜島は那覇市の北西約58kmにある、周囲約12.5kmの小さな島。南北の丘陵地帯の間の低地に集落があり、赤瓦屋根の伝統的な民家と、屋敷を囲むフクギ並木、未舗装の白砂の道といった沖縄の原風景が残っている。この景観は2000(平成12)年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。 渡名喜島の民家は、道路より土地を掘り下げて建...
竹富島の赤瓦屋根の民家群(竹富島) ( 沖縄県 竹富町 )
竹富島は石垣島の南西約6kmに浮かぶ、周囲約9kmの楕円形をした隆起サンゴ礁の小島。石垣島から船で約10分、気軽に行ける離島として人気が高い。遠浅の美しい浜コンドイ浜、星砂が見られるカイジ浜、水牛車での島内観光など、小さな島ながら楽しみは多い。 島のほぼ中央にある東、西、仲筋の3つの集落は、昔ながらの赤瓦屋根の家々が残り、...