谷根千(谷中・根津・千駄木)やねせん(やなか・ねづ・せんだぎ)

谷根千「やねせん」とは、谷中・根津・千駄木地区の略称。このエリアは、関東大震災や戦災を免れ、いまでも江戸後期から明治、大正、昭和の町並みが保存されている。また、3つの町は隣接しながらも、寺町の谷中、職人街の根津、文豪や芸術家に愛された千駄木、とそれぞれ個性が際立つ点も特徴だ。「谷根千」の呼び名が定着したのは、1984(昭和59)年に、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』が創刊されたことがきっかけだった。創刊に携わったのは、この地に暮らす3人の主婦。「自分たちが本当に読みたい雑誌をつくりたい」と始めた結果、谷根千における生活の楽しさ、快適さが広まり、来訪者の増加とともに、移住者も増えていった。今では歩いて回れる散策コースとしても人気だ。
 ここでは谷根千の散策ルートを、JR日暮里駅を起点として時計回りに、主な見どころとともに紹介しよう。まずJR日暮里駅北改札西口を出て徒歩5分ほどで朝倉彫塑館*につく。周辺に70以上もの寺が点在するのは、1626(寛永3)年の明暦の大火後、前年に創建された上野寛永寺を核に多くの寺が谷中に移り、寺町が形成されたためだ。朝倉彫塑館を出て左(南)に進むと、広大な谷中霊園*に行きつく。サクラの時期は、霊園内にある約250mの桜並木が美しい。
 坂道を下り、言問通りと不忍通りの交差点周辺が文京区の根津エリア。根津には、根津1・2丁目、弥生1・2丁目で構成される「根津弥生七ヶ町」がある。根津神社を中心とし、弥生土器も出土した一角で、門前町の雰囲気と下町の気風をもつ。地下鉄根津駅を北上すると、1919(大正8)年にアメリカの福音派系の教会として建てられた根津教会。木造一部二階建てで、壁面は横板の下端を下の板に重ねて張る下見板張りという工法でつくられた、木のぬくもりあふれる礼拝堂である。そこから徒歩数分で根津神社。4月から5月にかけ100種、3,000株のツツジが満開となる。神社東側一帯は明治まで根津遊廓のあった場所だ。
 根津神社から不忍通りを北上すると千駄木駅だが、不忍通りの西側にある汐見坂を北上し、団子坂上を左折すると、森鴎外の旧居「観潮楼」の跡地に立つ森鴎外記念館*にたどりつく。鴎外は1892(明治25)年から亡くなる1922(大正11)年までここで過ごした。団子坂の北側には旧安田楠雄邸*がある。団子坂は江戸時代には菊栽培の植木屋が多く、明治時代には菊人形を飾る小屋が並び、見物客でにぎわったという。菊見せんべいなどに、その名残が見られる。
 千駄木駅から、不忍通りの東側を走るよみせ通りを北上すると、谷中の中心地である谷中銀座商店街へ。昭和の風情と下町情緒に包まれた商店街を抜けると「夕やけだんだん」だ。階段の上から見る夕景が美しい。さらに直進すると約5分で日暮里駅に戻る。
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みどころ

いつも賑やかで楽しい谷中銀座商店街は、JR日暮里駅と地下鉄千代田線千駄木駅から、徒歩約5分。全長170mの狭い道に沿いに約60店舗がひしきめきあい、野菜、魚肉など日常の食料品店のほか、みやげ店や食べ歩きの店が並ぶ。猫の多いことでも知られ、猫の尻尾形のドーナッツなど、猫をモチーフにした食べ物や、「谷中の七福猫」と呼ばれる東京藝大の大学院生が制作した7匹の木製の猫に出会える。この商店街は夕陽のスポットとしても知られ、夕暮れどきには、「夕焼けだんだん」と名付けられた階段から、夕陽をバックにしたレトロな町並みと商店街が見下ろせる。
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補足情報

*朝倉彫塑館:彫刻家朝倉文夫のアトリエと住居だった建物を公開。敷地全体は国の名勝に指定、建物は国有形文化財に登録。
*谷中霊園:1874(明治7)年に開設。10万m2の敷地に、著名な政治家、芸術家、文学者、俳優などおよそ7,000基の墓がある。
*森鷗外記念館:鷗外が半生を過ごした旧居「観潮楼」跡地に建てられた。庭園を望むカフェも併設。
*旧安田楠雄邸:1919(大正8)年に「豊島園」の創始者によって建てられ、大震災後、安田財閥創始者の娘婿が購入し、その後長男楠雄が相続した邸宅と庭園。和洋折衷スタイルで大正時代の意匠が随所に残る。雁行式の建物のため、見る部屋によって眺めが異なる奥行きのある緑豊かな日本庭園も必見。
関連リンク GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト)
参考文献 GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト)
「地球の歩き方 東京」 株式会社Gakken
「谷根千百景」 石田良介 日貿出版社

2025年06月現在

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