登米町の歴史的建造物群とよままちのれきしてきけんぞうぶつぐん

登米市(とめし)登米町(とよままち)*は県北部に位置し、北上川がまちの東端を流れる。北上川の舟運で発達しただけに、鉄道からの便は悪く、仙台駅から高速バスを利用して約90分、三陸自動車道登米ICから約4分である。
 藩政時代、伊達一門の登米伊達2万1千石の城下町として栄え、明治維新後は北上川の舟運による米などの集散地として繁栄し、当地方の政治、経済、文化の中心地としての位置を占めていた。戦後に交通体系が陸運へと変化してから、人口流出が続いた。
 登米町(当時)は、過疎からの脱却を目指して、1985(昭和60)年に隣接3町とミニ独立国*「みやぎ北上連邦」を建国した。その中で町は先人が残した歴史的文化遺産を、町の活性化の目標として、「みやぎ明治村構想」を打ち出した。構想に沿って、旧登米高等尋常小学校校舎(現、教育資料館)*、旧登米警察署庁舎(現、警察資料館)*、旧水沢県庁舎(現、水沢県庁記念館)*などの保存修理を行った。そのほかに、江戸時代の武家屋敷の春蘭亭*や名誉町民の渡辺正人氏の寄贈によって建てられた登米懐古館*も整備された。町並みにあった店舗を整備した人に補助をする、街なみ景観整備事業も1993(平成5)年から開始している。
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みどころ

明治や江戸の建物を見ながら登米のまちを歩くと、酒蔵の資料館や薬局に併設された蔵を利用したアンティーク資料館、町出身の高倉勝子美術館・桜小路がある。何よりもうれしいのは、北上川で育ったウナギを賞味できる店や、郷土料理「はっと汁」や「油麩丼」の店が、数多くみられることである。ゆっくりとまちを楽しまれる方は、複数の施設を観覧できる割安な共通チケットを利用するとよい。
 蔵造り商店街と鉤型小路を歩くと、魅力ある大きな建築をみることができる一方、震災で壊れ荒れたままの建物も見られる。年に1か所でも整備を進めて行けば、さらに魅力あるまちになっていくだろう。
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補足情報

*「とめ」と「とよま」:同じ漢字名でも、市名は「とめ」、町名は「とよま」である。もともと地元では「とよま」だったが、登米町にあった旧水沢県庁に来ていた役人たちが「とめ」とよんでしまい、それが国や県の指定する読み方なってしまった。たとえば、現在も「宮城県立登米(とめ)高校」、「登米市立(とよま)中学校」、以前も登米(とめ)郡登米(とよま)町だった。
*ミニ独立国:井上ひさし著『吉里吉里人』が1981(昭和56)年に発刊されてから 著書で展開されるような独立国が日本各地に生まれた。1987(昭和62)年当時、独立国は150か国を超え、200にも達しているのではといわれた。2020(令和2)年ころ、50近くは残っているといわれるが、多くは活動停止状態にある。
*旧登米高等尋常小学校の校舎:1888(明治21)年建築の木造2階建の和洋折衷の校舎で、1階中央にポーチとバルコニーがあり、レンガ造の門柱も当時のまま残る。内部は教育資料館として公開されており、人形による明治の授業風景の再現や、教育関係の歴史資料が多数展示されている。
*旧登米警察署庁舎:小学校と同じ、山添喜三郎の設計で、1889(明治22)年に建てられ、1968(昭和43)年まで警察署として使用。洋風を取り入れた木造2階建てで、2階に吹き抜けのバルコニーがある。屋根は寄棟造り桟瓦葺きで、外壁は板張りにペンキ塗り仕上げ。明治中期の擬洋風建築として、貴重な文化遺産である。
*旧水沢県庁庁舎:1871(明治4)年に県庁が置かれ、翌年県庁舎が落成、1875(明治8)年まで使われる。冠木門に入母屋造の屋根、破風には狐格子と純粋な日本建築だが、本棟には洋風を取り入れているという、日本独自の洋風建築の遺例である。
*春蘭亭:江戸時代中期以降の武家屋敷。登米の武家屋敷は書院を別棟にしないで、母屋に取り込む直家(すごや)型が特徴。この地に自生する春蘭の花を加工した春蘭茶を提供したことから名付けられた。ここの喫茶コーナーで、春蘭茶を飲むことができる。
*登米懐古館:1961(昭和36)年、寺池城址に名誉町民渡邊政人氏の寄贈によって建てられたが、2019(令和元年)年、移転新築した。館内には、伊達家ゆかりの鎧や兜、刀剣・絵画・彫刻・工芸などの品々が展示してある。
関連リンク みやぎの明治村(株式会社とよま振興公社)(WEBサイト)
参考文献 みやぎの明治村(株式会社とよま振興公社)(WEBサイト)
登米市(WEBサイト)
『登米エリアガイドブック2015』登米市観光物産協会
宮城県登米市観光パンフレット

2023年07月現在

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