松崎町のなまこ壁と鏝絵まつざきちょうのなまこかべとこてえ

伊豆西海岸の南部に位置し、駿河湾に面している松崎町*1は、古くから松崎港を中心に栄えていたといわれる。明治期に入ると、繭が早い時期からとれる温暖な土地柄であることから養蚕業が盛んになり、富裕層も増え、瓦葺きの堅牢な建物が求められるようになった。
 冬の松崎は駿河湾からの西風が強く防火が欠かせなかったため、壁面に四角い平瓦を並べて張り、その継ぎ目を漆喰でかまぼこ型に盛り上げる工法の「なまこ壁」造りが取り入れられるようになった。「なまこ壁」は母屋の妻壁や腰まわり、土蔵などに使用されることが多いが、類焼を避けるよう隣接する部分にのみ用いる家もある。現在残されている「なまこ壁」の建物は、町の中心の「なまこ壁通り」にある近藤家、少し山間に入ったところにある旧岩科学校校舎*2などが代表的であるが、全町で明治中期から昭和初期に建設された189棟*3が遺されている。
 これらの「なまこ壁」造りの建物には厄除や日除、子孫繁栄などの願いが込められ、波の模様や雲の形、ウサギに鶴と亀、牡丹に唐獅子などの鏝絵や、妻壁に家紋が施されているものも見られる。鏝絵は松崎町出身の「伊豆の長八」と呼ばれる名工、入江長八*4が漆喰に漆を混ぜることで鮮やかな色を出す漆喰装飾細工の技法を取り入れ、芸術性溢れるものとして確立した。鏝絵は関東大震災までは関東地方を中心に全国各地に見られたが、現在は数少なくなっている。
 町の中心部の南には「伊豆の長八美術館」*5があり、約50点の作品を展示。また、美術館の前にある長八記念館(浄感寺)では、同寺に施された天井絵・彫刻・漆喰細工をみることができる。
#

みどころ

「なまこ壁」や「鏝絵」は生活様式の変化や老朽化によって見かけることは少なくなったが、松崎町には、今もなお多くのなまこ壁の建物が母屋として、土蔵として残されている。
 白黒のコントラストが強く重厚な外観、滑らかなに入念に仕上げられた漆喰、招福の願いを込め建物のそここに施された表現性と装飾性の高い鏝絵など、江戸末期から大正期にかけての左官職人の技が光る。町を散策しながら、こうした職人の技を鑑賞して歩くのも楽しい。美術館、記念館でも鏝絵の職人が生み出した芸術性の高い鏝絵をみることができる。
 少し市街から山間に入るが、旧岩科学校校舎の外装は「なまこ壁」で、2階の欄間には入江長八の鏝絵があり、千羽鶴が日の出を目指し飛翔する様が繊細なタッチで描かれている。
#

補足情報

*1 松崎町:江戸後期編纂で明治期に増訂された「豆州志稿」によると、1211(建暦元)年の文書にすでに「仁科荘松崎」の名があり、1678(延宝6)年の検地帳には「松崎村」と記され、「下田ニ次テ繁昌ノ地ナリ川港アリテ往来ノ舩潮繋リス夏秋鰹節ヲ製シテ、江都へ送ル、上品ノ名アリ」としている。
*2 旧岩科学校校舎:1873(明治6)年創立。校舎は1880(明治13)年竣工。地元の大工が設計施工し、洋風建築の初期様式を取り入れているものの、和風の建築技法が多くみられる建物。2階和室には入江長八の漆喰鏝絵が残されている。
*3 189棟:2002年の調査では母家52棟、蔵126棟、その他11棟。 旧依田邸と中瀬邸には、黒漆喰のなまこ壁もみられる。  
*4 入江長八:1815(文化12)~1889(明治22)年。『豆州志稿』によると「年甫(はじめ)テ十二(歳)泥工ト為(な)リ尋テ江戸ニ遊ヒ其技大ニ進ム巧ヲ以テ花卉人物等ヲ摸出スルニ形状皆真ニ逼(せま)ル世推シテ天下無匹ト稱ス」と記述している。
*5 伊豆の長八美術館:国道136号線沿いにある、江戸時代の劇場建築のような白い建物。側面外壁は腰になまこ壁を配し、中庭外壁は土佐漆喰仕上げ、館内の天井・壁面は白壁造りとなっている。左官工事は日本左官業組合連合会が全面協力し現代左官技術の粋を集めて完成された。まさに「漆喰芸術の殿堂」である。