大森の町並みおおもりのまちなみ

大森町は大田市域の南西の山峡にある。石見銀山が徳川幕府の天領となって以降、その繁栄により銀山柵内(さくのうち)の北側にあたる大森地区の建設へと発展し、支配の中心地も銀山地区から大森地区へと移っていった。奉行所が置かれ、石見銀山の行政と商業の中心地として町が整備された。
 山間の狭い谷間に作られた町は、身分に関係なく建物が混在する、当時としては珍しい都市構造であった。現在の町並みは1800(寛政12)年の大火後のもので、大森代官所跡*や重要文化財熊谷家住宅*や旧河島家住宅*、金森家*など当時の役人や商人の家が残り、当時の生活を伝えている。今は廃坑になっているが、谷間にぎっしりと赤瓦を敷きつめたような大森の町並みは、かつての鉱山町として栄えた当時の姿を今も残しており、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 2007(平成19)年世界遺産に登録。2020(令和2)年に日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史~”縄文の森””銀の山”と出逢える旅へ~」の構成文化財となる。
 現在では、昔ながらの生活文化や素朴さを大事にしながら「復古創新」をテーマに衣食住に関するこだわりの商品を販売し、心豊かな暮らしを提案する「群言堂」や、国産小麦100%、添加物なしにこだわり、伝統的なドイツパンだけではなく近隣で採れる野菜や果物などを柔軟に使ってオリジナルのパンを提供する「ベッカライ・コンディトライ・ヒダカ」などのファンが訪れている。
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みどころ

大森代官所跡や熊谷家住宅など当時の趣を伝える建物はもちろんだが、昔ながらのお店や有馬光栄堂、中田商店、理容館アラタなどもあるまちなかを、ぶらぶらと町歩きするのも楽しい。近年では、群言堂をはじめ、ドイツの製パンマイスターが営業するベッカライ・コンディトライ・ヒダカ、café住留など、食の楽しみもある地域となっている。
 新たな取り組みとして世界一小さなオペラハウスとしてオペラハウス大森座も作られた。また、城上神社、浄土宗の勝源寺、浄土真宗の西性寺、真言宗の観世音寺、曹洞宗の栄泉寺など、様々な宗派の寺社仏閣が集まっている珍しい土地である。
 この地の見所として、坑夫たちが埃が舞う坑道において、マスクの中に梅干しの果肉を挟んでいたことにちなんで、梅の木が植えられている。
 銀山川の支流に架かる橋は趣があり、そこを進むと様々な羅漢が並ぶ壮観な光景が広がる。この五百羅漢は当時銀山で働き亡くなった人物の供養や、その安全を祈って祭られていたものである。
 散策の際には、石見銀山ガイドの会によるガイドやレンタサイクルを利用すると良い。
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補足情報

*大森代官所跡:バス停大森代官所跡からすぐ、銀山川にかけられた石橋を渡ったところにある。江戸時代に、天領であった石見銀山を治める幕府の代官所がおかれた地である。正門と門長屋は当時のままで、1815(文化12)年の建築。旧武家時代のこの地方の代表的遺構として貴重な文化財である。内部は、かつては地方役所と銀山方役所が左右に立ち、奥は代官の住居となっていた。現在、内部は石見銀山資料館として開放中で、古図・古文書や銀採掘に用いられた当時の工具など、石見銀山の歴史を伝える資料を展示している。
*熊谷家住宅:鉱山業や酒造業などで栄えた石見銀山領内有数の商家。総漆喰の建物は、国の重要文化財に指定されている。現在では、昔のくらし体験や四季を楽しむ催しも開催されている。
*旧河島家住宅:唯一公開されている武家屋敷の遺宅で、1800年代初めの地役人住宅を復元したもの。
*金森家:1850(嘉永3)年に建てられた熊谷家に次ぐ規模の商家。酒造業で栄えた。