脇町南町のうだつの町並みわきまちみなみまち     まちなみ

JR徳島線穴吹駅から車で約10分。脇町は、江戸時代の初期、脇城の城下町として建設された。一城令(1615(慶長20・元和元)年)により脇城が廃城となったあとも、吉野川の水運を利用した阿波藍の集散地として発展した。1889(明治22)年の市町村制施行時には、人口において、徳島・撫養(鳴門市)につぐ県内第3の町であった。
 江戸時代中期から昭和初期にかけて建築された、伝統的な造りの町屋およそ50軒が約430mにわたって軒を連ねる。江戸時代の町家は切妻造平入りで、前面に下屋庇を設ける。明治時代以降の町家は、入母屋造妻入りのものが加わる。屋根は本瓦葺きで、壁と軒裏は防火のために塗り込めの漆喰仕上げにし、2階の窓を虫籠窓にしたものが多い。脇町南町の町家最大の特徴である卯建は、2階の壁面から突き出した袖壁で、漆喰塗りの本瓦葺き屋根を持つ。卯建は隣接する町屋の延焼の防止が目的で作られたが、しだいに装飾性を帯びた家格の象徴となり、「うだつをあげる*」家々がふえてきた。なかでも目を引くのが、藍商佐直吉田家住宅である。やや離れて卯建の建物ではないが、脇町劇場オデオン座に訪れる人も多い。
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みどころ

卯建の上がった家々が、南町通りにずらりと並ぶ。。その中でも特に古いものは、国見家の1707(宝永4)年と田村家の1711(宝永
8)年の2棟で、現存する日本の町家の中でも古い例に属している。「吉田家住宅は1792(寛政4)年に建てられた。」主屋・質蔵・中蔵・藍蔵・離れの5棟が中庭を囲んで立ち並び、豪壮な藍商人の暮らしぶりが伺える。1985(昭和60)年以降に、市立図書館、脇町中学校や民間のショッピングセンターにも、卯建のついた町家風の建物に建てられている。
 卯建の建物ではないが、旅行者に関心がある建造物がある。
 大谷川の川畔にある脇町劇場(オデオン座)は、1934(昭和9)年に芝居小屋として建てられ、戦後は映画館として町民に愛されてきた。1995(平成7)年に閉館。
 吉野川と合流する地点から約1km上流にある大谷川堰堤は、明治初めに日本政府が招いた御雇外国人で、オランダの土木技術者ヨハニス・デ・レイケの指導の下、1886(明治19)年から2年かけて築造された砂防堰堤である。
 南町の南、町家の裏手には高い石垣が積まれ、各戸に石段が設けられている。吉野川はかつて町のすぐ南を流れていたため、ここに船着き場が設けられ、藍などの荷の積み下ろしがされていたのである。
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補足情報

*卯建(うだつ)が上がらぬ:立身ができない。身分がぱっとしない。富裕の家でなければ「うだち」を上げられなかったことから転じたといわれる。「うだつ」はウダチの転。うだち(卯建)とは、江戸時代の民家で、建物の両側に「卯」の字形に張り出した小屋根付きの袖壁。装飾と防火を兼ねる(広辞苑 第三版、1983年)。
*この他、主な建物は次の通りである。
・森家住宅:1919(大正8)から1954(昭和29)年まで病院として使用された屋内に、昭和時代初期の診療器具や薬局・看護婦詰所などが残されている。
・美馬観光ビューロー:1899(明治32)年に建築された脇町税務署が前身である。
・割烹旅館田おか:中町にある。主屋・表門・蔵屋は国登録文化財。もと呉服商の別邸で、大正末期に旅館として創業した。
関連リンク 美馬市(WEBサイト)
参考文献 美馬市(WEBサイト)
美馬観光ビューロー(一般社団法人美馬観光ビューロー)(WEBサイト)
『徳島県の歴史散歩』
『広辞苑』 第三版 岩波書店
『歴史の町並 2020年度版』 全国伝統的建造物群保存地区協議会

2023年02月現在

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