近江八幡の町並み
近江八幡市は琵琶湖に面し、湖東地域のほぼ中央にある。
1585(天正13)年、豊臣秀次(ひでつぐ)が叔父の豊臣秀吉の命により八幡山(はちまんやま)に城を築き、その南麓に安土城下の人々を移し住まわせて城下町とし、琵琶湖の水を導く八幡堀を開削し、楽市楽座を開いた。八幡山城廃城後は、幕府直轄地(天領)となったが、江戸時代を通じ全国に活躍する近江商人の商業活動の中心をなす在郷町として栄えた。
碁盤目状の整然とした町並みが残る旧城下町の東寄りの新町通り、八幡堀周辺、永原(ながはら)町通りに八幡山南麓の日牟禮八幡宮境内地を加えた約13万1000m2は、江戸時代末期から明治にかけて建築された近江商人本宅の家々が並ぶ町並みとして、1991(平成3)年に「重要伝統的建造物群保存地区」*として選定された。
町家は切妻造桟瓦葺き、平入の木造の中二階建てが基本で、正面の構えは格子(こうし)、出格子、虫籠窓(むしこまど)からなり、道路に面する庭に「見越しの松」を配している。更に、貫見せ(軒下の壁に貫を見せる)は珍しい意匠である。
また、明治末期にアメリカから来日して近江八幡を拠点にした建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ*が設計を手がけた洋風建築が市内にあり、池田町の洋館住宅群をはじめ、病院、郵便局、学校、教会等が20軒以上に及んでいる。
1585(天正13)年、豊臣秀次(ひでつぐ)が叔父の豊臣秀吉の命により八幡山(はちまんやま)に城を築き、その南麓に安土城下の人々を移し住まわせて城下町とし、琵琶湖の水を導く八幡堀を開削し、楽市楽座を開いた。八幡山城廃城後は、幕府直轄地(天領)となったが、江戸時代を通じ全国に活躍する近江商人の商業活動の中心をなす在郷町として栄えた。
碁盤目状の整然とした町並みが残る旧城下町の東寄りの新町通り、八幡堀周辺、永原(ながはら)町通りに八幡山南麓の日牟禮八幡宮境内地を加えた約13万1000m2は、江戸時代末期から明治にかけて建築された近江商人本宅の家々が並ぶ町並みとして、1991(平成3)年に「重要伝統的建造物群保存地区」*として選定された。
町家は切妻造桟瓦葺き、平入の木造の中二階建てが基本で、正面の構えは格子(こうし)、出格子、虫籠窓(むしこまど)からなり、道路に面する庭に「見越しの松」を配している。更に、貫見せ(軒下の壁に貫を見せる)は珍しい意匠である。
また、明治末期にアメリカから来日して近江八幡を拠点にした建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ*が設計を手がけた洋風建築が市内にあり、池田町の洋館住宅群をはじめ、病院、郵便局、学校、教会等が20軒以上に及んでいる。

みどころ
この地の近江商人は八幡商人として、特産品である麻布・畳表・蚊帳などの行商を行い、天秤棒を肩に全国に活動を広げ、各地に店を設ける豪商となった。保存地区には、その商人たちの問屋機能をもった本宅・本店と白壁の土蔵が、碁盤目状の美しい整然とした街路の中に立ち並んでいる。特に新町2丁目には、国の重要文化財である旧西川家住宅などがあり、往時の佇まいを残している。
城の堀割として作られた「八幡堀」は、琵琶湖に繋げることで水運による商いの要となり、近江八幡は商業の町として発展した。江戸時代後期には、近江において大津と並ぶ賑わいを見せたという。昭和初期までは、常に町の人々の経済・流通路だったが、戦後は陸上交通の発展によって廃れ、1965(昭和40)年頃は荒廃してしまったが、地元青年会議所と市民らが立ち上がり、清掃や浚渫等に努め、堀に沿った白壁の土蔵や旧家が立ち並ぶ華やかだった頃の姿がよみがえった。現在、昔ながらの屋形船による水郷巡りが運行されている。
城の堀割として作られた「八幡堀」は、琵琶湖に繋げることで水運による商いの要となり、近江八幡は商業の町として発展した。江戸時代後期には、近江において大津と並ぶ賑わいを見せたという。昭和初期までは、常に町の人々の経済・流通路だったが、戦後は陸上交通の発展によって廃れ、1965(昭和40)年頃は荒廃してしまったが、地元青年会議所と市民らが立ち上がり、清掃や浚渫等に努め、堀に沿った白壁の土蔵や旧家が立ち並ぶ華やかだった頃の姿がよみがえった。現在、昔ながらの屋形船による水郷巡りが運行されている。

補足情報
*重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区):市町村が、城下町、宿場町、門前町など歴史的な集落・町並みを「伝統的建造物群保存地区」と定め保存を図る。国が特に価値が高いと判断して「重要伝統的建造物群保存地区」に選定。
*ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(一柳米来留 ひとつやなぎめれる)(William merrell Vories、1880年-1964年):1905年に現在の八幡商業高校の英語教師として来日して、生涯近江八幡市に留まり、キリスト教の伝道や建築設計、学校や病院経営等で活躍した。全国各地にも多くの名建築を残している。
*ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(一柳米来留 ひとつやなぎめれる)(William merrell Vories、1880年-1964年):1905年に現在の八幡商業高校の英語教師として来日して、生涯近江八幡市に留まり、キリスト教の伝道や建築設計、学校や病院経営等で活躍した。全国各地にも多くの名建築を残している。
関連リンク | 近江八幡市((WEBサイト) |
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参考文献 |
近江八幡市((WEBサイト) 近江八幡(一般社団法人 近江八幡観光物産協会)(WEBサイト) 「日本の町並み」苅谷勇雅・ 西村幸夫 山川出版社 |
2025年04月現在
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