ひがし茶屋街
南北約130m、東西約180m、約1.8haで、保存地区内の建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、1820(文政3)年の茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残る。1831(天保2)年、茶屋街が藩命により一旦廃止され、1846(弘化3)年にひがし茶屋街は愛宕(あたご)と呼称された。1867(慶応3)年に再び茶屋街が認められて「ひがし」「東新地」と呼ばれるようになる。道の両側には今も料亭が並び、細い格子(キムスコ)をもつ2階建の家並みからは、ときとして三味の音が聞かれ、情緒が深い。日露戦争の若きロシア将校捕虜と東廓の芸者の恋愛を描いた、五木寛之の「朱鷺(とき)の墓」の舞台としても知られる。また、浅野川に架かる小橋まで足を延ばすと、1830(天保元)年創業のあめ屋「俵屋」があり、古い商家の面影を伝えている。
みどころ
茶屋町創設時の敷地割をよく残し、格子戸と大戸、それに2階の造りが高い街並みは、全国でも希少な茶屋様式の町家を多く残している。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003(平成15)年12月に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。金沢文化を代表する茶屋街のひとつ。和の趣を感じるフォトジェニックな写真を撮影するには最適なスポット。
補足情報
*着物をレンタルした女性観光客が伝統的な町並みをバックに撮影している姿が多く見られる。また、格式ある割烹や、お洒落な町家カフェ、伝統工芸品を扱うセレクトショップなどが立ち並び、金沢らしいグルメやショッピングが楽しめる。
*金沢の文化を後世に伝える為、「金沢・浅の川園遊会」が1987(昭和62)年から界隈の住民によって行われている。現在、5月上旬に、ひがし茶屋街にて「ひがし茶屋街 越中八尾おわら流し」、7月下旬から8月上旬にかけ主計町茶屋街にて「金沢・浅の川園遊会『白糸川床』」が開催されている。
*金沢の文化を後世に伝える為、「金沢・浅の川園遊会」が1987(昭和62)年から界隈の住民によって行われている。現在、5月上旬に、ひがし茶屋街にて「ひがし茶屋街 越中八尾おわら流し」、7月下旬から8月上旬にかけ主計町茶屋街にて「金沢・浅の川園遊会『白糸川床』」が開催されている。
関連リンク | 金沢旅物語(金沢市観光協会)(WEBサイト) |
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参考文献 | 金沢旅物語(金沢市観光協会)(WEBサイト) |
2023年08月現在
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