増田町の内蔵と町並みますだまちのうちぐらとまちなみ

JR奥羽本線十文字駅から南東に約3km、増田町の中心街の中町、七日町商店街通り(中七日通り)には、「内蔵」と呼ばれる土蔵を擁する明治から昭和期の商家などが建ち並び、重要伝統的建造物群保存地区(約10.6万m2)に選定されている。増田町は雄物川の支流、成瀬・皆瀬両河川の合流点にある市場町*1として江戸時代から発展してきた。1643(寛永20)年の開始と伝えられる増田の朝市は、現在も毎月下桁2、5、9の付く日に開かれている。
 増田町は江戸時代には、成瀬・皆瀬川沿いの村々で生産されたコメ、葉タバコ、生糸などの集散地として、農産物やその加工品を取り扱う商家が集まったが、明治時代に入ると江戸時代の資本蓄積をもとに、農産物の流通だけではなく、銀行、水力電気会社、製陶会社、味噌醤油醸造会社などの事業が創設され、大正時代には町内の銅、鉛、亜鉛等を産出する吉乃鉱山の増産もあいまって経済、商業が盛況となり、平鹿郡周辺の中心的な町*2のひとつとなった。
 これらの経済、商業の中心となった中町、七日町商店街通り(中七日通り)には、明治の初めころから商業地特有の短冊形の敷地*3に雪害や火災*4から建物を防ぐため、大規模な主屋*5とともに、背面に上屋で覆った内蔵(うちぐら 鞘付土蔵)と呼ばれる土蔵が連続して建てられた。内蔵の規模としては間口3.5間(6.3m)×奥行5間(9.0m)ほどの物が多い。観音開きの扉が付けられ、左右が組み合うように漆喰をねる掛子(かけご)塗りが用いられ、壁は磨き上げられた黒漆喰のものが多い。扉や腰は、漆塗りの木枠によって養生されている。内部は、1階奥を畳敷きの座敷とする蔵が多く、スギ・クリ・ヒバなどの良材をふんだに使い、太い柱を密に立て込み太い梁を架けたり、繊細な組子の意匠が配されたり、木部を漆塗り仕上げにしたり、贅を尽くしているものもある。
 敷地後方には、主屋、内蔵とは別屋で外蔵(とぐら)が建てられ、主屋・内蔵・外蔵を土間(トオリ)で結ぶ商家町屋はこの地方独特のものである。重要伝統的建造物の保存対象は、主屋、内蔵(うちぐら 鞘付土蔵)、外蔵(とぐら)付属屋、洋風建築など130件にのぼる。このうち、公開している建造物*6は、観光物産センター蔵の駅(旧石平金物店)*7、佐藤又六家*8、佐藤三十郎家*9、旧勇駒酒造*10、石直商店*11、漆蔵資料館*12など19軒である。
 中町、七日町商店街通り(中七日通り)の東側に隣接して横手市増田まんが美術館*13があり、東北に2kmほどのところにある真人公園のサクラで知られている。
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みどころ

中七日町通りを中心にした東西約 350m、南北約 420mの保存地区は、江戸時代に整備された町割りも比較的よく遺されている。その町割りにしたがって、明治から昭和初期にかけて建てられた、この地方独特の主屋と内蔵を備えた町家、商家が軒を並べており、かつて繁栄した在郷町の雰囲気をそのままに伝えている。
 まず、保存地区の中心にある「観光物産センター蔵の駅(旧石平金物店)」に立ち寄り、町あるきの地図や建造物の公開状況などの情報を仕入れると良い(不定休や事前予約の必要な建造物もあるので注意が必要)。
 見学先としては公開している建造物を順次巡ることになるが、建造物のオーナー自らがガイドしてくれるところもあり、明治から大正にかけての地方における素封家の経済面、文化面などの拠って立つところを理解することができる。
 また、中七日町通りに面してある、老舗の酒蔵、日の丸醸造を訪ねるのも面白い。日の丸醸造は1689(元禄2)年創業で、店舗から内蔵、醸造蔵まで往来可能な造りになっている。醸造蔵は見学できないが、明治期の建造の内蔵については酒の試飲付きで見学できる(有料)。内蔵は太い通し柱などで堅牢な造りで、土蔵全体が黒漆喰で仕上げ、土扉と冠木は磨き仕上げとなっている。土扉を飾る鞘飾りには、大戸や内部の欄間と同じ繊細な亀甲の組子細工がはめ込まれ漆塗り仕上げとなっている。豪華ななかにも気品ある建物で往時の盛業がうかがえる。
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補足情報

*1 市場町:市肆(いちび市場)については、「古は三七ノ日に立しが、今は二五九に定まり。本ト町、田町、七日町、上町、此五町ぞ肆(たち)ぬ。」と、江戸時代末期の紀行家菅江真澄が「雪出羽道」で、市場が定例で開かれていたことを記録している。
*2 平鹿郡周辺の中心的な町:1924(大正13)年の「増田郷土史」では「成瀬皆瀬ニ川の合する所に當り、一小都會あり。是即ち増田町なり。増田町は、平鹿郡の東南に偏せる小都會」とし、「稲庭田子内二澤目(成瀬川と皆瀬川)の住民有無相通じ、貿易交換の用地として、増田に集合す。されば、二澤目の盛衰は、直接増田町の消長に關す。」としている。
*3 短冊形の敷地:間口が5間(9m)前後、奥行きは50間から70間(90~126m)の極端な短冊形の敷地となっている。
*4 防火:増田の町は「天明六(1786)年丙午ノ四月八日、戌の刻ばかり大風吹に火災ありて、此増田の町家なごりなく寺(満福寺)も櫻も焼たりし」(雪出羽道)など、江戸時代には数度の大火に遭い、「初午(立春を過ぎた最初の午の日)の日には火を起こして茶を飲まない」という言い伝えがあったという。
*5 主屋:短冊形の敷地の中に奥行25間(45m)ほどの主屋が建てられている。大半の主屋は切妻造・妻入造。正面の上部に梁組にして下屋庇を備えるのが一般的。瓦や梁組にも意匠が凝らされている。
*6 公開している建造物:「有料・無料」「常時公開」「予約により公開」など、家屋によって公開方法が違うので事前の確認が必要。また、公開している建造物は、現在も所有者が居住または店舗として営業している家屋であることから、見学には注意を払い、配慮が必要である。
*7 観光物産センター蔵の駅(旧石平金物店):典型的な造りの商家で、間口が狭く、奥行きが極端に長い町割りの姿がそのまま残り、内蔵もあるため、増田の町屋の特徴を知る格好のもの。明治中期建造。
*8 佐藤文六家:江戸時代の旧家で、一見、商家造りだが主屋(店蔵)とそれにつながる文庫蔵からなる。社寺装飾が施された主屋は豪華。明治期の増田商人の隆盛ぶりがうかがえる。明治前期建造。
*9 佐藤三十郎家:東側の通りに面し切妻造妻入の店舗兼主屋があり、続いて座敷蔵が建て造られ、南側に通り土間が設けられている。正面は白漆喰壁に短い束と梁の伝統的構えで、座敷蔵の座敷は漆塗りが施されている。
*10 旧勇駒酒造:店舗は大正後期の建築で昭和10年代に増築。内部の旧仕込み蔵は「宝暦蔵」と呼ばれ、江戸時代後期の建築。現在は飲食店として利用されている。
*11 石直商店:内蔵は遺されていないが、明治中期の呉服商の店舗形態がよくわかる建造物。家人の居住部分は質素だが、店舗部分や客間には舟底天井など趣向が凝らされている。
*12 漆蔵資料館:もともとは江戸時代から続く、増田商人のひとり小泉五兵衛家が大正後期に建造したもの。内蔵は基礎・土台に院内石、煙返しの踏み段に黒御影、側廻りは白黒の漆喰塗りを施し、開口部は磨き漆喰の造りになっている。外蔵も重厚に造られており、増田銀行の頭取を務めた小泉家が贅を尽くして建造したことが分る。
*13 横手市増田まんが美術館:日本が誇るまんが文化を継承し、その魅力を発信しようと1995(平成7)年に開館。初代名誉館長は、旧増田町出身の「釣りキチ三平」などで知られる故・矢口高雄。この美術館の特徴的なのは漫画の原画の保存・展示に力を入れていること。原画収蔵枚数は40万枚を超える。矢口高雄、さいとう・たかお、浦沢直樹、赤塚不二夫、水木しげるなど数多くの有名漫画家の原画を収蔵し、展示している。まんが制作に関するワークショップも開かれている。