男木島の町並みおぎじまのまちなみ

男木島は高松港の北方約10km、フェリーで約40分のところにある。周囲約5km、面積1.37km2、海に浮かぶ独立峰のような島で、島の最高地点は標高213mのコミ山。島の北端にある男木島灯台は、灯台守を主人公とした映画「喜びも悲しみも幾歳月」*のロケ地として有名である。古くから漁業の島として知られ、現在もサワラやタコなどを漁獲する沿岸漁業が行われている。農業は斜面に階段状につくられた畑地で行われる零細なもので、かつては牛を飼育し、春秋の農繁期に「借耕牛(かりこうし)」*として高松方面に貸し出し、対価に麦や米を得る家庭も多かった。
 島内に平坦地が少ないことから、南西部の急勾配の傾斜地に石垣を積んで階段状に集落がつくられている。港から集落を眺めると民家の屋根が鱗のように重なり、集落内の細い路地は、坂道やカーブ、石段など変化に富んでいる。島に多くの家が建てられたのは、戦後の引き揚げによって人口が著しく増加した1950(昭和25)年代で、当時の人口は1,500人を超えていた。しかし、高度経済成長期に多くが都市部に流出し、1980(昭和55)年代には人口は500人程度にまで落ち込み、現在は100人ほどが常時、島で暮らしているとみられる*。2010(平成22)年に初めて開催された瀬戸内国際芸術祭では、作品の制作・展示のために島の空き家が利用され、105日間で累計9万6503人(1日平均919人)の来場者があり*、「島が沈む」と言われるほどの賑わいを見せた。 2013(平成25)年の2回目の芸術祭の後にUターンや移住者が増えはじめ、翌年4月より、休校していた小学校が6年ぶり、中学校が3年ぶりに再開された。
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みどころ

高松からの便がよいわりに、いかにも瀬戸内海の小島らしい風情の素朴でのどかな島。瀬戸内国際芸術祭では、島の特徴をいかした作品展開で注目され、人気を集めた。港に面した傾斜地に民家の屋根が重なり合うように並び、迷路のように入り組んだ高低差のある路地空間は、どこか懐かしい気持ちにさせられる。石垣の上に建つ民家のファサードに切り取られた空、視界がひらければかならず見える海、曲がり角を曲がるたびについカメラを構えてしまう。石段の上に門を構える家があれば、道端の入口の奥に中庭が見える家もあって、どんな造りなのかと興味がわく。芸術祭の作品が継続公開されている建物や、レストランやカフェになっている民家もあるので、ぜひ中に入ってみたい。車が入れない細い路地では、荷物を運ぶのに「オンバ」(乳母車)と呼ばれる手押し車が使われる。芸術祭では島民愛用のオンバの所有者に合わせたペイントが施され、今でも日常的に使用されている。
 港の「男木交流館」も芸術祭の作品で、貝殻をイメージした白い屋根に8つの言語の文字がデザインされており、フェリー待合所として島の案内を行っている。路地で迷いかけても、下の方を見ればすぐ目に入るので、帰り道の目印になる。集落の上の方にある豊玉姫神社は、島一番のビュースポット。男木島は瀬戸内の島には珍しく、港が西向きのため、沈む夕陽を眺めるのもいい。島の南側に回ると漁港があり、奥の堤防には背景の海と空に溶け込むような立体アート「歩く方舟」がある。
 集落外では、洞窟「ジイの穴」、柱状節理の「タンク岩」と男木島灯台を結ぶ遊歩道がある。遊歩道と灯台の周辺には、島に自生していたものを掘り起こすなどして、36万個の球根が植えられている。毎年2月には一帯にスイセンの甘い香り漂い、「水仙ウォーク」が開催される。
 宿泊施設や飲食店は不定休のため、事前に予約や確認を。(勝田 真由美)
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補足情報

*1957(昭和32)年松竹制作、木下惠介監督。男木島灯台は1895(明治28)年に建てられた全国でも珍しい、塗装を施していない総御影石造りの灯台。1987(昭和62)年に無人化され、灯台に隣接する退息所(灯台職員住宅)は資料館として公開されている。
*借耕牛(かりこうし):農作業のために別の地域から牛を借りてくる風習。香川県の平野部は田畑が多いが、多くの牛を飼うには飼料が不足していたため、主に徳島県の山間部から牛を借りていた。耕作地に乏しい島しょ部でも、県本土の農家に牛を貸し出していた。
*2020(令和2)年国勢調査では人口132人。
*瀬戸内国際芸術祭実行委員会「瀬戸内国際芸術祭2010 総括報告」