産寧坂の街並み
市バス「清水道」から東へ清水坂を10分ほど上って行くと、有名な「七味家本舗」が立つ。産寧坂(三年坂)とは本来、この店の横から北へ下る50mほどの石段をいう。ただし一般的には、坂の下から北へ延びる石畳の道も含めて産寧坂といわれる。また産寧坂の北に続く二年坂、高台寺前を通る「ねねの道」*、石塀小路*あたりも含め、一帯は「京都市産寧坂」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。ここでは保存地区全体を「産寧坂の街並み」として述べる。石段や石畳の道に沿って京町家が立ち並ぶ、いかにも京都らしい佇まいの地区である。
産寧坂(三年坂)の名の由来は、清水寺の子安観音に「お産が寧(やすら)かであるように」と祈願するために通る坂であったから、808(大同3)年にできたからなどといわれる。同様に二年坂の名は、807(大同2)年に整備されたからなどの説がある。
東山の麓のこのあたりは、平安京以前からの歴史があり、清水寺、法観寺(八坂の塔)、八坂神社などの門前町として古くから賑わった。江戸中期以降はこれらの社寺を巡る道沿いに市街地が形成され、明治以降さらに拡大し、現在に至っている。保存地区の面積は約8万2,000m2。江戸末期~大正時代に建てられた町家が多数残り、地区内の建造物の約65%が伝統的建造物。この町家群と周辺の社寺が一体となって、歴史的街並みを形成している。
産寧坂(三年坂)の名の由来は、清水寺の子安観音に「お産が寧(やすら)かであるように」と祈願するために通る坂であったから、808(大同3)年にできたからなどといわれる。同様に二年坂の名は、807(大同2)年に整備されたからなどの説がある。
東山の麓のこのあたりは、平安京以前からの歴史があり、清水寺、法観寺(八坂の塔)、八坂神社などの門前町として古くから賑わった。江戸中期以降はこれらの社寺を巡る道沿いに市街地が形成され、明治以降さらに拡大し、現在に至っている。保存地区の面積は約8万2,000m2。江戸末期~大正時代に建てられた町家が多数残り、地区内の建造物の約65%が伝統的建造物。この町家群と周辺の社寺が一体となって、歴史的街並みを形成している。

みどころ
清水寺から産寧坂~二寧坂~「ねねの道」とたどると、円山公園・八坂神社に至る。途中には法観寺(八坂の塔)、高台寺などもある。石段や石畳の風情ある道沿いには、京町家を改装した新旧の飲食店、土産物店などが並び、実に京都らしい散策道となっている。産寧坂から円山公園まで20分ほどで歩けるが、道自体に魅力*があり、飲食や買い物をしながら、ゆっくりたどる人が多い。

補足情報
*ねねの道:円山公園から高台寺の前を通り高台寺南門通(通称・維新の道)まで約450m続く、石畳の美しい道。道の東側に立つ高台寺は、豊臣秀吉の菩提を弔うために正室のねねが開いた寺で、道の西側にある圓徳院はねねが余生を過ごした寺である。
*石塀小路:ねねの道と、1筋西側の下河原通を結ぶ、石畳の細い道。何度か折れ曲がる道の両側には、旅館などの石垣や石塀、木の塀が続く。大正時代の街並みの面影を残し、しっとりした情趣を感じられる。
*道自体の魅力:まっすぐ通った道は先の先まで見通せるためわかりやすいが変化がない。これに対し、産寧坂~二寧坂は石段や坂があり、ところどころで緩やかに曲がる道のため、視界に変化があり、また賑わいがより一層感じられ魅力的である。
*石塀小路:ねねの道と、1筋西側の下河原通を結ぶ、石畳の細い道。何度か折れ曲がる道の両側には、旅館などの石垣や石塀、木の塀が続く。大正時代の街並みの面影を残し、しっとりした情趣を感じられる。
*道自体の魅力:まっすぐ通った道は先の先まで見通せるためわかりやすいが変化がない。これに対し、産寧坂~二寧坂は石段や坂があり、ところどころで緩やかに曲がる道のため、視界に変化があり、また賑わいがより一層感じられ魅力的である。
関連リンク | 京都市情報館(WEBサイト) |
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参考文献 |
京都市情報館(WEBサイト) 京都市観光協会 京都観光Navi(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 中」山川出版社 |
2025年05月現在
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