坂本門前町の街並みさかもともんぜんまちのまちなみ

比叡山の東麓にある延暦寺や日吉大社の門前町。比叡山の歴史とともに栄枯を重ね、平安時代から、山側の上坂本が門前町、湖畔の下坂本が荷揚げ港として発展し、中世には近江国最大の都市として繁栄。坂本港から運ばれる物資の集積地、京への中継地として人口1万数千人を数える商業都市になった。
 比叡山焼討ち後は次第に浜大津にその地位を奪われたが、近世以降に延暦寺と密接な関係を保って形成された50を超える里坊*の特色ある建築や庭園*や門、当地独特の穴太衆(あのうしゅう)積み*石垣等が、緑深い樹木や清冽な水路等とともに、神仏融合した特異な景観を見せ、歴史的風致を維持している。現在でも滋賀県側の比叡山の入口にあたる。
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みどころ

日吉大社や比叡山に向かうなだらかな坂道で振り返ると、鳥居におさまる琵琶湖が見える。
 50を超える里坊と、里坊や通りに穴太衆の石垣が延々と続く景観は、日本の伝統的建造物群保存地区のなかでも特異な景観をみせている。ぜひ車から降りて、ゆっくりと歩いて坂本の街をみてほしい。
 坂本の郷土料理としてのそばは、延暦寺の修行僧の栄養源として、旅人へのもてなしとして親しまれてきた。
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補足情報

*里坊:昔、延暦寺の僧侶は山で生涯を過ごした。しかし山での生活は厳しく、江戸時代のはじめころから高齢になると、天台座主に願い出て里に住む許可を得た。この山下の住まいを「里坊」といい、このことを「山下に里坊を願う」といった。坂本には、穴太衆積みに格調ある土塀をめぐらした50余の里坊がびっしりと並んで、門前町の面影を残している。
*庭園:元里坊である旧竹林院の邸内には、主家の南西に約3,300m2の庭園(国名勝)が広がり、大正年間に建てられた2棟の茶室と四阿がある。有料で見学可能。
*穴太衆積みの石垣:自然石を巧みに組み上げた堅固な石垣を造る坂本の石工集団を穴太衆という。安土城をはじめとする城郭や寺院などの建築で活躍してきた。坂本のまちのいたるところに残る石垣が、美しい景観を作り出している。