海野宿うんのじゅく

東御市西部、田中駅の北西約1.5km。JR信越本線と千曲川にはさまれた河岸段丘にある町並み。徳川幕府によって開かれた脇往還「北国街道」*の宿場町で、現在でも東西約650mにわたり街道時代の町並みと遺構が残る。道路中央に設けられた堀割や、独特の格子戸や防火用の火返しを付けた民家が、当時とほぼ同じ姿で道路両側に軒を連ねる。
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みどころ

海野宿は、道路の中央に水の流れのある掘り割りと、柳などの並木が美しく並び、両側には海野格子と呼ばれる独特の格子戸や防火用の火返しを付けた民家が軒を連ねている。江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成しており、往時の面影を色濃く残している。町並み全体に清潔感があふれ、気持ち良い。
 また、海野宿の産土神(うぶすなかみ)*である白鳥神社の境内の社叢は神社の歴史を物語り、中央にあるけやきの木は樹齢七百年を超え、毎年4月の例祭には街道に12本の大のぼりが立ち並ぶなど昔ながらの風習が今も受け継がれている。(林 清)
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補足情報

*北国街道:北陸路と中山道をつなぐ脇往還。五街道の一つとして中山道が定められるとすぐ、幕府によって伝馬宿が置かれ公街道となった。信濃追分から中山道と分かれ、小諸・田中・海野・上田・坂木・戸倉・矢代・篠ノ井・善光寺を経て、牟礼・柏原・野尻とつづき、関川で国境を越え越後に入り、高田・直江津に通じる。道は信越国境を除けば、ほぼ平坦で難所が少ない。海路で寺泊まで運ばれた佐渡の金を江戸へ運ぶ道としても重要な街道であった。また、加賀百万石前田家が通行したので加賀道とも呼ばれたが、同時に善光寺参詣の道としても賑わった。
 中山道と北国街道の分岐として栄えた追分宿には、分岐の道しるべとなっていた大きな石の常夜燈、石仏、石碑が今も残っている。石碑には「さらしなは右・みよしのは左にて・月と花とを・追分の宿」と刻まれている。上田では紺野町辺りの杉並木や六地蔵が往時を偲ばせる。上田から街道中の難所岩鼻を抜けると善光寺に出る。善光寺平を北上し、牟礼・柏原へ。柏原は俳人小林一茶の故郷として知られ、一茶の家は北国街道に面してあった。一茶が14歳で江戸に奉公に出た時も、この街道を上った。
*産土神:生まれた土地の神。
関連リンク 一般社団法人信州とうみ観光協会(WEBサイト)
参考文献 一般社団法人信州とうみ観光協会(WEBサイト)
白鳥神社 (WEBサイト)
「長野県の歴史散歩」 出川出版社

2022年09月現在

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