新宿
新宿駅の1日の鉄道乗降客数は約350万で、その数は世界最多でギネス記録にもなっている。JR東日本、私鉄、地下鉄合わせて14路線が乗り入れる一大ターミナル駅で、近くには「新宿」の名の付く駅が9駅もある。
1603(慶長8)年に江戸幕府を開いた徳川家康が、江戸を起点とした主要幹線道路の五街道を整備。そのひとつの甲州街道では、日本橋と最初の宿駅・高井戸までの距離が長かったため、内藤氏*が幕府に返上した地に新たに宿駅を設けた。新しい宿の意味で「内藤新宿」と名付けられ、それが新宿の地名の由来となっている。現在の新宿1丁目~3丁目あたりである。
1885(明治18)年、日本鉄道の開通にともない、新宿駅も開業したが、当時の乗降客は1日50人程度だったという。そんな新宿への人の流れを大きく変えたのが、1923(大正12)年に発生した関東大震災だった。地盤の安定した東京西部へ住まいを移転する人が急増した結果、新宿駅の利用者も増加。新宿駅周辺は、西部地域に住む人々の買い物や娯楽の場としてにぎわい始めた。伊勢丹や三越などの百貨店のほか、数多くの飲食店が軒を連ねるようになり、1929(昭和4)年の鉄道省*による調査では、新宿駅の乗降客数が東京駅、上野駅をしのぎ、第1位を記録した。
戦後、焦土と化した新宿駅周辺の復興も早かった。終戦の4日後には、現歌舞伎町の町会長だった鈴木喜兵衛を中心に、地元住人が復興計画に着手。歌舞伎の演舞場を中核とする「興行街実現」ビジョンを立て、映画館や演芸場、ダンスホールなどからなる興行の街を目指した。新しい街の名は、石川栄耀(ひであき)*の提案により「歌舞伎町」と名付けられた。建築規制や財政面から構想は実現しなかったが、1947(昭和22)年、計画のひとつだった映画館「新宿地球座(現新宿ジョイシネマ)」が開業にこぎつけた。1956(昭和31)年には、歌舞伎町1丁目に新宿コマ劇場*がオープン。以降、閉館する2008(平成20)年まで約半世紀にわたり、歌舞伎町の中心、演歌の殿堂として多くの人に親しまれることになる。1950年代以降、コマ劇場のほかにも娯楽施設や飲食店、バー、キャバレー、遊技場が次々と建設され、日本最大級の繁華街へと発展。不夜城の異名を持つ街となった。
近年では、2008(平成20)年に閉館したコマ劇場の跡地に、高さ130mの新宿東宝ビル*が建設され、さらに隣接して高さ225mの東急歌舞伎町タワー*が完成。戦後直後の構想は実現しなかったが、21世紀に入り、歌舞伎町は全国から人を集める興行街となったのである。
一方、新宿駅東口から西武線新宿駅にかけても飲食店が続々とオープンしていった。口火を切ったのは「歌声喫茶」の誕生である。1954(昭和29)年12月、西武新宿駅前の大衆食堂で、客がロシア民謡に合わせて歌い出したことが始まりとされる。「歌声喫茶ともしび」*に端を発し、1960年代から新宿東口一帯で歌声喫茶は全盛期を迎える。ロシア民謡のみならず、シャンソン、労働歌、唱歌、なつかしのヒット曲などをピアノやアコーディオンに合わせて、客が全員で合唱し、楽しんだ。90年代の昭和レトロブームのころまで流行はつづいたが、カラオケの普及とともに、歌声喫茶の店はほとんどが姿を消した。また、1960年代、新宿は「若者文化の聖地」と呼ばれ、小説家や役者、ダンサー、絵描き、映画関係者、全共闘の闘士などあらゆる分野の若者がたむろした。しかし、70年代以降、若者の聖地は渋谷へ移り、80年代からは家電やドラッグストア、海外ブランドの店が進出し、街は様変わりしていく。そんななか、西武新宿駅西側にあって約80店舗が集まる「思い出横丁」は、今も昭和の名残をとどめている。終戦直後に焼け野原にできた露天商マーケットがルーツで、一帯が飲み屋街に発展。そのノスタルジックな情景は現在、多くの外国人観光客をも魅了している。
東口とはまったく異なる発展を遂げたのが西口だ。1965(昭和40)年に広大な敷地の淀橋浄水場が閉鎖されると、跡地の再開発計画として新宿副都心計画がスタートした。1960年代後半から、新宿初の超高層ビルである京王プラザホテルを皮切りにホテルや超高層のオフィスビルの建設が進んだ。1990(平成2)年には、丹下健三設計の新都庁舎*が完成し、西新宿のランドマークに。2000年代に入ってからも高層化はやまず、2017(平成29)年には居住ビルとして日本最高階数となる60階建てのマンションが完成し、周辺の再開発は今後もつづいていく。
駅の南部でも開発は進み、JR東日本本社、高島屋百貨店が進出して、2016(平成28)年には大規模なバスタ-ミナル「バスタ新宿」や、高層ビルの新宿ミライナタワーが完成している。
1603(慶長8)年に江戸幕府を開いた徳川家康が、江戸を起点とした主要幹線道路の五街道を整備。そのひとつの甲州街道では、日本橋と最初の宿駅・高井戸までの距離が長かったため、内藤氏*が幕府に返上した地に新たに宿駅を設けた。新しい宿の意味で「内藤新宿」と名付けられ、それが新宿の地名の由来となっている。現在の新宿1丁目~3丁目あたりである。
1885(明治18)年、日本鉄道の開通にともない、新宿駅も開業したが、当時の乗降客は1日50人程度だったという。そんな新宿への人の流れを大きく変えたのが、1923(大正12)年に発生した関東大震災だった。地盤の安定した東京西部へ住まいを移転する人が急増した結果、新宿駅の利用者も増加。新宿駅周辺は、西部地域に住む人々の買い物や娯楽の場としてにぎわい始めた。伊勢丹や三越などの百貨店のほか、数多くの飲食店が軒を連ねるようになり、1929(昭和4)年の鉄道省*による調査では、新宿駅の乗降客数が東京駅、上野駅をしのぎ、第1位を記録した。
戦後、焦土と化した新宿駅周辺の復興も早かった。終戦の4日後には、現歌舞伎町の町会長だった鈴木喜兵衛を中心に、地元住人が復興計画に着手。歌舞伎の演舞場を中核とする「興行街実現」ビジョンを立て、映画館や演芸場、ダンスホールなどからなる興行の街を目指した。新しい街の名は、石川栄耀(ひであき)*の提案により「歌舞伎町」と名付けられた。建築規制や財政面から構想は実現しなかったが、1947(昭和22)年、計画のひとつだった映画館「新宿地球座(現新宿ジョイシネマ)」が開業にこぎつけた。1956(昭和31)年には、歌舞伎町1丁目に新宿コマ劇場*がオープン。以降、閉館する2008(平成20)年まで約半世紀にわたり、歌舞伎町の中心、演歌の殿堂として多くの人に親しまれることになる。1950年代以降、コマ劇場のほかにも娯楽施設や飲食店、バー、キャバレー、遊技場が次々と建設され、日本最大級の繁華街へと発展。不夜城の異名を持つ街となった。
近年では、2008(平成20)年に閉館したコマ劇場の跡地に、高さ130mの新宿東宝ビル*が建設され、さらに隣接して高さ225mの東急歌舞伎町タワー*が完成。戦後直後の構想は実現しなかったが、21世紀に入り、歌舞伎町は全国から人を集める興行街となったのである。
一方、新宿駅東口から西武線新宿駅にかけても飲食店が続々とオープンしていった。口火を切ったのは「歌声喫茶」の誕生である。1954(昭和29)年12月、西武新宿駅前の大衆食堂で、客がロシア民謡に合わせて歌い出したことが始まりとされる。「歌声喫茶ともしび」*に端を発し、1960年代から新宿東口一帯で歌声喫茶は全盛期を迎える。ロシア民謡のみならず、シャンソン、労働歌、唱歌、なつかしのヒット曲などをピアノやアコーディオンに合わせて、客が全員で合唱し、楽しんだ。90年代の昭和レトロブームのころまで流行はつづいたが、カラオケの普及とともに、歌声喫茶の店はほとんどが姿を消した。また、1960年代、新宿は「若者文化の聖地」と呼ばれ、小説家や役者、ダンサー、絵描き、映画関係者、全共闘の闘士などあらゆる分野の若者がたむろした。しかし、70年代以降、若者の聖地は渋谷へ移り、80年代からは家電やドラッグストア、海外ブランドの店が進出し、街は様変わりしていく。そんななか、西武新宿駅西側にあって約80店舗が集まる「思い出横丁」は、今も昭和の名残をとどめている。終戦直後に焼け野原にできた露天商マーケットがルーツで、一帯が飲み屋街に発展。そのノスタルジックな情景は現在、多くの外国人観光客をも魅了している。
東口とはまったく異なる発展を遂げたのが西口だ。1965(昭和40)年に広大な敷地の淀橋浄水場が閉鎖されると、跡地の再開発計画として新宿副都心計画がスタートした。1960年代後半から、新宿初の超高層ビルである京王プラザホテルを皮切りにホテルや超高層のオフィスビルの建設が進んだ。1990(平成2)年には、丹下健三設計の新都庁舎*が完成し、西新宿のランドマークに。2000年代に入ってからも高層化はやまず、2017(平成29)年には居住ビルとして日本最高階数となる60階建てのマンションが完成し、周辺の再開発は今後もつづいていく。
駅の南部でも開発は進み、JR東日本本社、高島屋百貨店が進出して、2016(平成28)年には大規模なバスタ-ミナル「バスタ新宿」や、高層ビルの新宿ミライナタワーが完成している。

みどころ
新宿は、東口と西口に大別され、東口もさらに三丁目に向かう東部と歌舞伎町に向かう北部とに分かれる。西口も都庁方面と、南のバスターミナル方面とに分かれる。それぞれが独自な発展をしているため、異なる風景や感動に出会える。

補足情報
*内藤氏:1590(天正18)年に徳川家康が関東に入国した際に、広大な屋敷地を拝領した内藤清成の姓。内藤清成は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将であり、大名。
*鉄道省:もと内閣各省の一つ。国有鉄道やその付帯業務の管理のほか、地方鉄道や軌道の監督などを行う。1920(大正9)年に鉄道院が昇格したもので、1943(昭和18)年に運輸通信省に統合され、2年後に運輸省に改編された。
*石川栄耀:1893~1955。都市計画家。名古屋市の都市計画原案の作成に携わり、都市計画実現の手法として土地区画整理事業の導入・発達のため尽くし、名古屋都市計画の基礎を築いた。新宿歌舞伎町の生みの親。日本の都市計画の発展に寄与。日本都市計画学会には、石川賞が設けられている。
*新宿コマ劇場:1956 年~2008年まで、52年の長きに渡って、「演歌の殿堂」として広く認知され、数々のミュージカル作品も上演されてきた。映画館の「新宿コマ東宝」と劇場の「シアターアプル」を併設。1970年代に全盛期を築き、ピーク時には年間100万人を超える動員力を誇り2088席を埋めてきたが、1990年代には演歌の人気低迷が深刻化し、閉鎖となった。演歌の殿堂といわれるが、70~80年代には、山口百恵やYMOの公演や、サザンオールスターズのカウントダウンイベントなども行われた。
*新宿東宝ビル:IMAX シアターを備えた映画館、レストラン、ホテルがある。地上30階、地下1階の高層ビル。
*東急歌舞伎町タワー:新宿東宝ビルの高さを超える225m、地上48階のビル。映画館、劇場、ライブハウス、次世代型アトラクション体験施設やエンターテインメントレストランのほか、2つのホテルが入る。
*歌声喫茶ともしび:老舗のこの店は、2020年9月に閉店するまで営業を続けたが、2024年に高田馬場駅近くで営業を再開している。
*都庁舎:高さ243m、地上48階の「第一本庁舎」、高さ163m、地上34階の「第二本庁舎」、高さ約41m地上7階「都議会議事堂」、広さ約5,000m2の「都民広場」で構成される。設計は建築家・丹下健三、1990(平成2)年12月に竣工。
都庁舎は、自由に見学できるようになっている。「展望室」は「第一本庁舎」45階の「南と北」に分かれており、高さ地上202mからの景色は素晴らしい。2024(令和6)年には、プロジェクションマッピングが話題となった。
*鉄道省:もと内閣各省の一つ。国有鉄道やその付帯業務の管理のほか、地方鉄道や軌道の監督などを行う。1920(大正9)年に鉄道院が昇格したもので、1943(昭和18)年に運輸通信省に統合され、2年後に運輸省に改編された。
*石川栄耀:1893~1955。都市計画家。名古屋市の都市計画原案の作成に携わり、都市計画実現の手法として土地区画整理事業の導入・発達のため尽くし、名古屋都市計画の基礎を築いた。新宿歌舞伎町の生みの親。日本の都市計画の発展に寄与。日本都市計画学会には、石川賞が設けられている。
*新宿コマ劇場:1956 年~2008年まで、52年の長きに渡って、「演歌の殿堂」として広く認知され、数々のミュージカル作品も上演されてきた。映画館の「新宿コマ東宝」と劇場の「シアターアプル」を併設。1970年代に全盛期を築き、ピーク時には年間100万人を超える動員力を誇り2088席を埋めてきたが、1990年代には演歌の人気低迷が深刻化し、閉鎖となった。演歌の殿堂といわれるが、70~80年代には、山口百恵やYMOの公演や、サザンオールスターズのカウントダウンイベントなども行われた。
*新宿東宝ビル:IMAX シアターを備えた映画館、レストラン、ホテルがある。地上30階、地下1階の高層ビル。
*東急歌舞伎町タワー:新宿東宝ビルの高さを超える225m、地上48階のビル。映画館、劇場、ライブハウス、次世代型アトラクション体験施設やエンターテインメントレストランのほか、2つのホテルが入る。
*歌声喫茶ともしび:老舗のこの店は、2020年9月に閉店するまで営業を続けたが、2024年に高田馬場駅近くで営業を再開している。
*都庁舎:高さ243m、地上48階の「第一本庁舎」、高さ163m、地上34階の「第二本庁舎」、高さ約41m地上7階「都議会議事堂」、広さ約5,000m2の「都民広場」で構成される。設計は建築家・丹下健三、1990(平成2)年12月に竣工。
都庁舎は、自由に見学できるようになっている。「展望室」は「第一本庁舎」45階の「南と北」に分かれており、高さ地上202mからの景色は素晴らしい。2024(令和6)年には、プロジェクションマッピングが話題となった。
関連リンク | GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト) |
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参考文献 |
GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト) 東急歌舞伎町タワー(株式会社TSTエンタテイメント)(WEBサイト) 新宿東宝ビル(東宝株式会社)(WEBサイト) 歌舞伎町ポータルサイトKABUKI町(歌舞伎町商店街振興組合)(WEBサイト) |
2025年06月現在
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