丹後ちりめん街道たんごちりめんかいどう

丹後ちりめん街道は、与謝野町加悦の高級織物「丹後ちりめん*」で栄えた地区の通称である。旧加悦町役場庁舎から西山工場までの南北約700mの旧街道筋に面する地区を指し、一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。京都丹後鉄道宮豊線与謝野駅、京都縦貫自動車道与謝天橋立ICのいずれからでも、車で約10分で到達する。
 この地区は丹後ちりめんの産地として、また京都と丹後を結ぶ物流の拠点として、江戸時代から昭和初期にかけて隆盛を極めた。明治~大正期には牛肉屋、料理旅館、帽子屋、化粧品屋、ランプ屋、人力車屋なども並び、他所から遠足で来た子どもたちが賑わいぶりを見て「ここは日本か」と驚いたというエピソードが伝わる。現在も町にはその繁栄ぶりを伝える商家や銀行をはじめ、江戸~昭和初期の建物約120棟が残っており、専門家から「屋根のない建築博物館」とも呼ばれている。
 丹後は古くからの絹織物産地で、ちりめん織りの技法が江戸中期にもたらされて発展した。1722(享保7)年、加悦の手米屋小右衛門らが京都西陣でその技術を学んで持ち帰り、加悦谷にちりめんを広めたとされる。小右衛門らは現在では「ちりめんの始祖」と崇められ、ちりめん街道の杉本家住宅の前には「縮緬発祥之地」としてその功績をたたえる石碑がある。
 加悦は戦国時代末期に丹後を平定した細川藤孝の重臣の城下町として開かれた。その名残として、街道筋には敵の侵入を防ぐべく設けられたクランク型の折れ曲がりが4カ所あり、短冊形地割が残っている。また防御のための寺町も形成され、街道の南部には実相寺、吉祥寺、宝厳寺、天満神社などの社寺が集まっている。
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みどころ

長く続く街並みから往時の繁栄ぶりがうかがえる。そんな町の歴史を伝える商家や銀行などの建物が多く残っており、そのうちの主な見どころを紹介する。
 ちりめん街道の北の入口に立つ旧加悦町役場庁舎は、丹波大震災後の1929(昭和4)年の完成。当時最新の技術と工法で建てられた洋風建築で、耐震対策も施されていた。現在は与謝野町観光協会の観光案内所となっており、シルクブランド産品なども展示。シルク糸を使った手作り体験もできる。
 街道の中ほどにある旧尾藤家住宅はこの地域を代表するちりめん商家。幕末に建てられて以後、家業の隆盛に伴って増改築を重ね、1928(昭和3)年には洋館が付加された。加悦地区の時代の変容を写す建物として重要とされ、2024(令和6)年、国の重要文化財に指定された。
 街道の南端付近の西山工場は現存する丹波最古のちりめん工場。1896~1908(明治29~41)年にかけて建てられた3棟が現在も稼働している。
 旧加悦鉄道加悦駅舎は、加悦鉄道*の開業に合わせて1926(大正15)年に建てられたもの。木造2階建ての洋風建築で、外壁は白い板壁、屋根には緑色の瓦が葺かれている。現在は加悦鉄道資料館となっており、貴重な資料を展示。建物横には国重要文化財に指定されている旧加悦鉄道2号蒸気機関車などが展示されている。
 ちりめん街道から北西に4kmほど離れたところには丹後ちりめん歴史館がある。昭和初期の織物工場を活用した「織物ミュージアム」で、丹後ちりめんほか全国のシルク製品を取り揃え、実際の織物現場で使用される力織機や、珍しい八丁撚糸機なども展示されている。
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補足情報

*丹後ちりめん:ちりめん(縮緬)とは生地の表面に細かい凸凹状の「シボ」を表した絹織物。丹後ちりめんは、京都府の丹後地方で緯糸に強撚糸を使用して織られ、丹後で精練加工をしてシボを生み出した、後染め織物の総称。丹後は日本最大の絹織物産地であり、和装用後染め織物(生地)のシェアは約70%に達する。
*加悦鉄道:大正時代に住民が資金を出し合って私鉄の加悦鉄道を設立し、国鉄(当時)宮津線の丹後山田駅と加悦駅を結ぶ5.7kmの鉄道線を開設。1985(昭和60)年に廃止された。
関連リンク 与謝野町観光協会(WEBサイト)
参考文献 与謝野町観光協会(WEBサイト)
THE SILK IN TANGO 丹後織物工業組合(WEBサイト)
与謝野町観光協会(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 下」山川出版社

2025年05月現在

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