妻籠宿つまごしゅく

岐阜県側から木曽路に入ると1番目の宿。伊那谷への追分でもあり、賑やかな宿場町であった。明治末の中央本線開通後、荒れて寒村となっていたが、1968(昭和43)年から集落保存を実施して脚光を浴びるようになった。現在、周辺の自然景観も含めて、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 出し梁に千本格子、卯建*のある古風な家なみがつづき、その中に行燈・看板をかけた民宿・茶店・民芸店がある。町の中心にある光徳寺は1583(天正11)年の創建で、堂々とした石垣は隣の桝形*とともに、城塞の役目をしていたという。宿を出ると飯田街道への分岐点があり、その西に大妻籠の集落がある。
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みどころ

妻籠は高度成長時に取り残され、衰退の一途であったが、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みを住民自らが見直し、全国に先駆けて保存運動が起った。その結果町並み保存のため、妻籠の人たちは家や土地を、「売らない・貸さない・こわさない」 という3原則の住民憲章をつくり、ここで生活しながら、江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えていく決心をした。
 町中の見どころ として、まずは町の南部の寺下の町並みで妻籠宿最初の保存運動が行われたところ。ひときわ大きいのは脇本陣奥谷(国重要文化財)と本陣*など。歴史資料館、郵便史料館、観光案内所などにも寄って、妻籠の理解を深めたい。
 妻籠から馬籠峠を経て馬籠までは旧中山道の情緒を残す信濃路自然歩道があり、途中に藤原家住宅や吉川英治の小説「宮本武蔵」の舞台となった男滝・女滝、一石栃白木改番所跡*などを見ながら馬籠峠へ出ることができる。(林 清)
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補足情報

*卯建:建物の外側、軒先に袖壁を付けたものをいい、防火のためや、その家の家格を表す意味もあったという。
*桝形:外敵の侵入を防ぐため街道を直角に曲げたもの。
*本陣:島崎藤村の母ぬいの生家、藤村の兄広助の養家であったが明治時代取り壊され1995(平成5)年に復元されたもの。
*一石栃白木改番所跡:材木の無許可搬出を取り締まった番所。