池袋
銀座や新宿、渋谷と並ぶ、東京の繁華街のひとつ。池袋の特徴や発展史を知る上で欠かせないポイントが4つある。
ひとつは、鉄道の影響だ。今でこそ、JR、東武鉄道、西武鉄道、東京メトロなど4社8路線が乗り入れる巨大ターミナル駅だが、鉄道黎明期には、駅の候補地にもあがらなかった。1885(明治18)年に、山手線の前身となる私鉄日本鉄道(現・JR)品川線の品川-赤羽が開通した当時、池袋周辺は武蔵野の豊かな自然あふれる田園地帯で、駅候補の対象外。北関東の常磐炭鉱から石炭を横浜港に運ぶ必要性に迫られ、目白駅が新駅建設地の候補となった際も池袋は候補から外れた。しかし、目白駅周辺には平地が少ないことから、池袋が浮上。こうして1903(明治36)年に、豊島線の池袋-田端が開通し、池袋駅が開業した。1909(明治42)年、豊島線は品川線と統合され、現在の山手線の基礎ができあがった。池袋駅は、常磐地域の石炭や木材だけでなく、練馬や板橋の農産物の集積地となり、駅周辺には商家や民家が建ち始めた。それでも開業当初の池袋駅の乗降者数は年間で5万人程度。100年後に、1日平均約265万人が乗降する駅になろうとは、誰も想像しなかっただろう。そのころの池袋は「畠とカヤの原っぱの向こうに、富士山がどっかりとすわっている(東京新誌)」と表現されていたほどなのだから。1914(大正3)年に、東上鉄道池袋-田面沢(現在の川越市小ケ谷付近、のち廃駅)間、翌年に、武蔵野線(現・西武池袋線)の池袋-飯能間が開通。これらの交通網の整備によって周辺の畑が宅地化され、通勤通学の利用者が激増していった。
もうひとつは、文教地としての発展だ。1874(明治7)年に創設された私塾「立教学校」は、1907(明治40)年に立教大学に改名。江戸時代に京都御所近くに公家のために設立された学習所(翌々年、学習院に改名)は、1908(明治41)年に目白に移転した。翌年には後の東京学芸大学の前身、東京府豊島師範学校が開校されるなど、各種の学校*が次々と開校したのである。
芸術家たちの活動拠点となったことも発展の一助となった。大正末期から、旧長崎村一帯に画家や音楽家、詩人などの芸術家たちが集まり、1930(昭和5)年ころから1940年代にかけて、100軒以上のアトリエ付き賃貸住宅が建てられた。一帯は「長崎アトリエ村」と呼ばれ、芸術家たちの創作の場に。東京美術学校(現・東京藝術大学)のある上野に近く、交通の便もよいのに家賃が安いという利点から、日本人のみならず、外国人芸術家も集まってきたため、「池袋モンパルナス」と呼ばれるようにもなった。そして、1952(昭和27)年に、当時の椎名町(現・南長崎)に木造アパート「トキワ荘」が建てられ、翌年から手塚治虫が住み始めると、後に日本の漫画界を牽引することになる藤子不二雄や石ノ森章太郎、赤塚不二夫など多くの若手漫画家も入居し始めた。トキワ荘は『マンガの聖地』とされ、老朽化のために1982(昭和57)年に取り壊されたが、現代の池袋の町づくりにも一役買っている。
4つ目は、大型商業施設の進出だ。1940(昭和15)年、武蔵野鉄道が東口に武蔵野デパート(9年後に西武百貨店池袋店と改称)を創設。東口には、東京丸物(のちのパルコ)や三越百貨店、西口には東横百貨店池袋店(現・東武百貨店)が誕生。百貨店の街となった池袋には、多くの買い物客が集まった。西武鉄道と西武百貨店が東口にあり、東武鉄道と東武百貨店が西口にあるこの関係を「不思議な池袋」とおもしろおかしく歌ったCMソング*も流行した。そのCMソングがはやった1978(昭和53)年、東口に池袋サンシャインシティ*が開業したことで、池袋はさらに発展。核となったサンシャイン60は高さ約240mで、開業当初はアジアでもっとも高いビルとして注目を集めた。さらに、水族館*や劇場、商業施設やホテルを擁する複合商業施設に発展していく。
2000(平成12)年に入ると、東口にはキャラクターグッズや同人誌、コスプレ用品を扱うポップカルチャーの店舗が続々誕生。2020(令和2)年には、豊島区役所跡地に芸術の拠点、Hareza池袋、2023(令和5)年10月には都営のアニメ東京ステーションがオープンした。トキワ荘に端を発するアニメ文化をまちづくりの核とする豊島区の未来ビジョンの一環だ。
一方、立教大学がある西口には、1990(平成2)年に東京芸術劇場*ができ、2019(令和元)年には、池袋西口公園が劇場公園「GLOBAL RING」としてリニューアルされた。これらを中心に「国際アート・カルチャー都市」の形成を目的に、2040年代の完成を目指し、大規模な再開発が進んでいる。
ひとつは、鉄道の影響だ。今でこそ、JR、東武鉄道、西武鉄道、東京メトロなど4社8路線が乗り入れる巨大ターミナル駅だが、鉄道黎明期には、駅の候補地にもあがらなかった。1885(明治18)年に、山手線の前身となる私鉄日本鉄道(現・JR)品川線の品川-赤羽が開通した当時、池袋周辺は武蔵野の豊かな自然あふれる田園地帯で、駅候補の対象外。北関東の常磐炭鉱から石炭を横浜港に運ぶ必要性に迫られ、目白駅が新駅建設地の候補となった際も池袋は候補から外れた。しかし、目白駅周辺には平地が少ないことから、池袋が浮上。こうして1903(明治36)年に、豊島線の池袋-田端が開通し、池袋駅が開業した。1909(明治42)年、豊島線は品川線と統合され、現在の山手線の基礎ができあがった。池袋駅は、常磐地域の石炭や木材だけでなく、練馬や板橋の農産物の集積地となり、駅周辺には商家や民家が建ち始めた。それでも開業当初の池袋駅の乗降者数は年間で5万人程度。100年後に、1日平均約265万人が乗降する駅になろうとは、誰も想像しなかっただろう。そのころの池袋は「畠とカヤの原っぱの向こうに、富士山がどっかりとすわっている(東京新誌)」と表現されていたほどなのだから。1914(大正3)年に、東上鉄道池袋-田面沢(現在の川越市小ケ谷付近、のち廃駅)間、翌年に、武蔵野線(現・西武池袋線)の池袋-飯能間が開通。これらの交通網の整備によって周辺の畑が宅地化され、通勤通学の利用者が激増していった。
もうひとつは、文教地としての発展だ。1874(明治7)年に創設された私塾「立教学校」は、1907(明治40)年に立教大学に改名。江戸時代に京都御所近くに公家のために設立された学習所(翌々年、学習院に改名)は、1908(明治41)年に目白に移転した。翌年には後の東京学芸大学の前身、東京府豊島師範学校が開校されるなど、各種の学校*が次々と開校したのである。
芸術家たちの活動拠点となったことも発展の一助となった。大正末期から、旧長崎村一帯に画家や音楽家、詩人などの芸術家たちが集まり、1930(昭和5)年ころから1940年代にかけて、100軒以上のアトリエ付き賃貸住宅が建てられた。一帯は「長崎アトリエ村」と呼ばれ、芸術家たちの創作の場に。東京美術学校(現・東京藝術大学)のある上野に近く、交通の便もよいのに家賃が安いという利点から、日本人のみならず、外国人芸術家も集まってきたため、「池袋モンパルナス」と呼ばれるようにもなった。そして、1952(昭和27)年に、当時の椎名町(現・南長崎)に木造アパート「トキワ荘」が建てられ、翌年から手塚治虫が住み始めると、後に日本の漫画界を牽引することになる藤子不二雄や石ノ森章太郎、赤塚不二夫など多くの若手漫画家も入居し始めた。トキワ荘は『マンガの聖地』とされ、老朽化のために1982(昭和57)年に取り壊されたが、現代の池袋の町づくりにも一役買っている。
4つ目は、大型商業施設の進出だ。1940(昭和15)年、武蔵野鉄道が東口に武蔵野デパート(9年後に西武百貨店池袋店と改称)を創設。東口には、東京丸物(のちのパルコ)や三越百貨店、西口には東横百貨店池袋店(現・東武百貨店)が誕生。百貨店の街となった池袋には、多くの買い物客が集まった。西武鉄道と西武百貨店が東口にあり、東武鉄道と東武百貨店が西口にあるこの関係を「不思議な池袋」とおもしろおかしく歌ったCMソング*も流行した。そのCMソングがはやった1978(昭和53)年、東口に池袋サンシャインシティ*が開業したことで、池袋はさらに発展。核となったサンシャイン60は高さ約240mで、開業当初はアジアでもっとも高いビルとして注目を集めた。さらに、水族館*や劇場、商業施設やホテルを擁する複合商業施設に発展していく。
2000(平成12)年に入ると、東口にはキャラクターグッズや同人誌、コスプレ用品を扱うポップカルチャーの店舗が続々誕生。2020(令和2)年には、豊島区役所跡地に芸術の拠点、Hareza池袋、2023(令和5)年10月には都営のアニメ東京ステーションがオープンした。トキワ荘に端を発するアニメ文化をまちづくりの核とする豊島区の未来ビジョンの一環だ。
一方、立教大学がある西口には、1990(平成2)年に東京芸術劇場*ができ、2019(令和元)年には、池袋西口公園が劇場公園「GLOBAL RING」としてリニューアルされた。これらを中心に「国際アート・カルチャー都市」の形成を目的に、2040年代の完成を目指し、大規模な再開発が進んでいる。

みどころ
水族館や展望台のあるサンシャインシティや、西口に東武百貨店、東口に西武百貨店の巨大デパートが建つ。芸術と文化にも力を入れている街。

補足情報
*各種の学校:1899(明治32)年に築地明石町に建設された立教学院(中学)が、1909(明治42)年、築地居留地から現在地に移り、立教大学と改称した。1908(明治41)年に創設された豊島師範学校も空襲に遭い、他の3つの師範学校とともに東京学芸大学として小金井に移転した。後に学芸大附属小学校も小金井に移転している。1912(明治45)年には、師範学校裏に、成蹊実務学校が開設されたが、1924(大正13)年吉祥寺へ移転し、1949(昭和24)年に成蹊大学となる。
駅の南には、1921(大正10)年に自由学園が創立。1934(昭和9)年に東久留米市に移転したが、 旧校舎は自由学園明日館としていまも池袋にあり、利用されている。建物はフランク・ロイド・ライトと遠藤新の共同設計。1997(平成9)年に国の重要文化財となる。大東文化大学は1941(昭和16)年に九段からこの地に移転したが、東京大空襲で焼失。一時青砥に移転した後、1949(昭和24)年に池袋に戻り、1961(昭和36)年までこの地にあった。
*CMソング:“不思議な不思議な池袋、東が西武で、西東武、高くそびえるサンシャイン、ビーック、ビック、ビック、ビックカメラ”
*サンシャインシティ:「巣鴨プリズン」と呼ばれた巣鴨拘置所跡地の開発にあたり、池袋の副都心性を強化しようという計画のもと、1978(昭和53)年にサンシャインシティは完成した。当時国内でもっとも高いビルで、池袋のランドマークとなった「サンシャイン60」の60階は「SKY CIRCUSサンシャイン60展望台」として開放され、58階、59階はスカイレストランとなっている。若者や子供たちに人気があるのは、「サンシャイン水族館」、「コニカミノルタプラネタリウム”満天”」、テーマパークの「ナンジャタウン」。二つのショッピングセンター「専門店街アルパ」と「サンシャインシティALTA」。その他、サンシャイン劇場、古代オリエント博物館、展示ホール、サンシャインプリンスホテルなど、都市生活に必要な多くの機能を備えている。
*水族館:2017(平成29)年には、サンシャイン水族館がリニューアルし、ペンギンが都会の空を飛ぶように泳ぐ水槽「天空のペンギン」が大きな話題になり、集客力を一層高めた。
*東京芸術劇場:学芸大学付属豊島小学校(元・豊島師範学校)跡地に、1990(平成2)年に完成。芦原信義の設計。西口公園と円のモチーフでデザインが一体化している。JR池袋駅と直結し、地下1階から地上5階まで吹き抜けの大規模なアトリウムがあり、館内にあるカフェは待ち合わせや打合せに便利。世界最大級のパイプオルガンを有するクラシック専用の大ホール、演劇や舞踊などの公園を行う中ホール、2つの小ホールがあるほか、4つの展示スペースや大小の会議室、リハーサル室などもある本格的な芸術文化施設。
駅の南には、1921(大正10)年に自由学園が創立。1934(昭和9)年に東久留米市に移転したが、 旧校舎は自由学園明日館としていまも池袋にあり、利用されている。建物はフランク・ロイド・ライトと遠藤新の共同設計。1997(平成9)年に国の重要文化財となる。大東文化大学は1941(昭和16)年に九段からこの地に移転したが、東京大空襲で焼失。一時青砥に移転した後、1949(昭和24)年に池袋に戻り、1961(昭和36)年までこの地にあった。
*CMソング:“不思議な不思議な池袋、東が西武で、西東武、高くそびえるサンシャイン、ビーック、ビック、ビック、ビックカメラ”
*サンシャインシティ:「巣鴨プリズン」と呼ばれた巣鴨拘置所跡地の開発にあたり、池袋の副都心性を強化しようという計画のもと、1978(昭和53)年にサンシャインシティは完成した。当時国内でもっとも高いビルで、池袋のランドマークとなった「サンシャイン60」の60階は「SKY CIRCUSサンシャイン60展望台」として開放され、58階、59階はスカイレストランとなっている。若者や子供たちに人気があるのは、「サンシャイン水族館」、「コニカミノルタプラネタリウム”満天”」、テーマパークの「ナンジャタウン」。二つのショッピングセンター「専門店街アルパ」と「サンシャインシティALTA」。その他、サンシャイン劇場、古代オリエント博物館、展示ホール、サンシャインプリンスホテルなど、都市生活に必要な多くの機能を備えている。
*水族館:2017(平成29)年には、サンシャイン水族館がリニューアルし、ペンギンが都会の空を飛ぶように泳ぐ水槽「天空のペンギン」が大きな話題になり、集客力を一層高めた。
*東京芸術劇場:学芸大学付属豊島小学校(元・豊島師範学校)跡地に、1990(平成2)年に完成。芦原信義の設計。西口公園と円のモチーフでデザインが一体化している。JR池袋駅と直結し、地下1階から地上5階まで吹き抜けの大規模なアトリウムがあり、館内にあるカフェは待ち合わせや打合せに便利。世界最大級のパイプオルガンを有するクラシック専用の大ホール、演劇や舞踊などの公園を行う中ホール、2つの小ホールがあるほか、4つの展示スペースや大小の会議室、リハーサル室などもある本格的な芸術文化施設。
関連リンク | GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト) |
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参考文献 |
GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト) 「東京新誌」涌井昭司 朝日新聞社 1969 「東武百貨店30年の歩み」東武百貨店 1993 |
2025年06月現在
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