祇園
江戸時代以来の、京都指折りの繁華街。京都五花街*の祇園甲部と祇園東があり、舞妓や芸妓の姿を見うける華やかな町である。祇園の範囲は、東西は京阪本線祇園四条駅からすぐ東の大和大路通から八坂神社西門前を走る東大路通まで、南北は四条通をはさみ、北は白川南通・新橋通から南は団栗(どんぐり)通まで。
鎌倉初期に祇園社(感神院)*の門前町として発生したが、火災などで衰微した。江戸時代になって祇園社や清水寺への参詣人が多くなるにつれ、茶屋が軒を並べるようになる。1670(寛文10)年に鴨川堤防工事の結果、祇園外六町が開かれ、さらに1713(正徳3)年に四条通の北に祇園内六町が開かれると、祇園社から河原町にかけての四条通は京都最大の遊興の街となった。明治になって祇園社は八坂神社と名を改めたが、祇園の地名はそのままに、現在でも四条通より南の花見小路周辺、四条通北側の祇園新橋にはお茶屋の建物が続き、特有の風情を見せている。一方、お茶屋からバーや小料理店に転向していく店も増え、祇園も変貌しつつある。
鎌倉初期に祇園社(感神院)*の門前町として発生したが、火災などで衰微した。江戸時代になって祇園社や清水寺への参詣人が多くなるにつれ、茶屋が軒を並べるようになる。1670(寛文10)年に鴨川堤防工事の結果、祇園外六町が開かれ、さらに1713(正徳3)年に四条通の北に祇園内六町が開かれると、祇園社から河原町にかけての四条通は京都最大の遊興の街となった。明治になって祇園社は八坂神社と名を改めたが、祇園の地名はそのままに、現在でも四条通より南の花見小路周辺、四条通北側の祇園新橋にはお茶屋の建物が続き、特有の風情を見せている。一方、お茶屋からバーや小料理店に転向していく店も増え、祇園も変貌しつつある。

みどころ
四条通を南に折れて花見小路通に入る角に、ベンガラ壁と犬矢来(いぬやらい)*がひときわ目立つのが一力亭*。「仮名手本忠臣蔵」にも登場する格式高いお茶屋である。花見小路から東側に枝分かれする南園小路や青柳小路、花見小路通の1本西側の西花見小路通などにも風情あるお茶屋建築*が並んでいる。このあたりには祇園甲部歌舞練場*もある。花見小路を南に突き当たると、一帯が臨済宗の古刹、建仁寺。その西、鴨川との間は五花街の一つ、宮川町である。
祇園新橋は、四条通から花見小路を北に進んだ左手、白川を西に渡った新橋通と、白川沿いの白川南通を指し、石畳を敷いたその美しい街並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。白川沿いには桜と柳の並木が続き、中ほどに祇園を愛した歌人吉井勇の歌碑*が立つ。新橋通と白川南通の分岐点に立つ辰巳大明神は舞妓、芸妓の技芸上達の信仰が厚い。その目の前の巽橋は、祇園を象徴するスポットとしてCMやドラマの撮影にもたびたび登場する。新橋通の北に並行する新門前通は骨董街として知られている。
四条通には有名な老舗、人気の有名店が軒を並べるが、北大路魯山人などのコレクションで知られる何必館(かひつかん)・京都現代美術館や目疾(めやみ)地蔵(仲源寺)といった見どころもあり、四条大橋東詰には、歌舞伎発祥の地を象徴する桃山風の意匠が目を引く南座*が立っている。四条通東端のすぐ北には、毎年11月に「祇園をどり」が開催される祇園会館もある。
祇園新橋は、四条通から花見小路を北に進んだ左手、白川を西に渡った新橋通と、白川沿いの白川南通を指し、石畳を敷いたその美しい街並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。白川沿いには桜と柳の並木が続き、中ほどに祇園を愛した歌人吉井勇の歌碑*が立つ。新橋通と白川南通の分岐点に立つ辰巳大明神は舞妓、芸妓の技芸上達の信仰が厚い。その目の前の巽橋は、祇園を象徴するスポットとしてCMやドラマの撮影にもたびたび登場する。新橋通の北に並行する新門前通は骨董街として知られている。
四条通には有名な老舗、人気の有名店が軒を並べるが、北大路魯山人などのコレクションで知られる何必館(かひつかん)・京都現代美術館や目疾(めやみ)地蔵(仲源寺)といった見どころもあり、四条大橋東詰には、歌舞伎発祥の地を象徴する桃山風の意匠が目を引く南座*が立っている。四条通東端のすぐ北には、毎年11月に「祇園をどり」が開催される祇園会館もある。

補足情報
*京都五花街:祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町、上七軒。祇園町は1886(明治19)年に甲部、乙部に分かれ、乙部はのちに祇園東となった。
*祇園社:祇園感神院、牛頭天王社などとも呼ばれたが、1868(慶応4)年に八坂神社と改称。
*犬矢来:京都の町家などの道路に面した建物裾を守る泥除け、犬の小便除けの防護柵。竹を湾曲させたものが多いが、塗装したものや金属製もある。
*一力亭:もとは万亭といったが、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の7段目「祇園一力の場」で、大石内蔵助が吉良方の目をくらますために遊んだところとして有名になり、一力亭と称するように。
*お茶屋建築:基本形は2階建て、切妻造平入。1階は格子、羽目板に犬矢来を設け、2階に張り出し縁を付け、軒から簾を垂らす。
*祇園甲部歌舞練場:祇園の南端にあり、春の都をどりと秋の温習会の開催される会場として知られている。1913(大正2)年竣工。木造2階建、入母屋造で、各階に桟敷席をもち、入口には大きな唐破風を備える。国の登録有形文化財。
*吉井勇歌碑:「かにかくに祇園はこひし寝るときも 枕の下を水のながるる」。勇の第1歌集「酒(さか)ほがひ」所収。勇の古希を祝って1955(昭和30)年に建てられた。
*南座:四条河原に生まれた芝居小屋からの伝統をもつ劇場。東西の人気歌舞伎役者が顔を並べる師走の「顔見世」の公演で有名。建物西側に、「阿国歌舞伎発祥地」の石碑がある。
*祇園社:祇園感神院、牛頭天王社などとも呼ばれたが、1868(慶応4)年に八坂神社と改称。
*犬矢来:京都の町家などの道路に面した建物裾を守る泥除け、犬の小便除けの防護柵。竹を湾曲させたものが多いが、塗装したものや金属製もある。
*一力亭:もとは万亭といったが、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の7段目「祇園一力の場」で、大石内蔵助が吉良方の目をくらますために遊んだところとして有名になり、一力亭と称するように。
*お茶屋建築:基本形は2階建て、切妻造平入。1階は格子、羽目板に犬矢来を設け、2階に張り出し縁を付け、軒から簾を垂らす。
*祇園甲部歌舞練場:祇園の南端にあり、春の都をどりと秋の温習会の開催される会場として知られている。1913(大正2)年竣工。木造2階建、入母屋造で、各階に桟敷席をもち、入口には大きな唐破風を備える。国の登録有形文化財。
*吉井勇歌碑:「かにかくに祇園はこひし寝るときも 枕の下を水のながるる」。勇の第1歌集「酒(さか)ほがひ」所収。勇の古希を祝って1955(昭和30)年に建てられた。
*南座:四条河原に生まれた芝居小屋からの伝統をもつ劇場。東西の人気歌舞伎役者が顔を並べる師走の「顔見世」の公演で有名。建物西側に、「阿国歌舞伎発祥地」の石碑がある。
関連リンク | 祇園商店街振興組合(WEBサイト) |
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参考文献 |
祇園商店街振興組合(WEBサイト) 京都市情報館「祇園新橋伝統的建造物群保存地区保存計画」(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 中」山川出版社 |
2025年05月現在
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