恵那市岩村町本通りの町並みえなしいわむらちょうほんどおりのまちなみ

岩村町は恵那市の南部に位置し、岩村城の城下町として発展してきた。周囲が山々で囲まれて標高は500~600mと比較的高い。全長約1.3kmにおよぶ本通りが、緑や川の周辺環境と一体となった歴史の町並みとして、1998(平成10)年に「重要伝統的建造物群保存地区」として選定された。
 岩村城方面から、江戸時代の切妻造・平入り二階建ての町家建物が残る本町、柳町が約600m続き、敵の侵入を防ぐ目的でクランクし曲がる「枡形」跡地に復元された高札場があり、そして西町、新町が700m程あって、明知鉄道岩村駅方面に伸びている。
 枡形より東側の本町地区は、漆喰のなまこ壁の土蔵があり、江戸時代中期から末期に栄えた問屋・木村邸、江戸時代に染物業を営んでいた商家・土佐屋、幕末の商家・勝川家が内部を一般公開している。
 桝形より西側の地区は江戸末期から順次発展し、明治時代1906(明治39)年に岩村と大井(現・恵那市)を結んだ岩村電気軌道*の開通により繁栄した町並みがある。明治時代以降の建物は、江戸期に比べ軒の高い二階建てが多い。
 なお、家々には1575(天正3)年に計画的に造られた天正疎水(家の軒下や中庭を通して生活・防火用水として使用した水路)が今も残されている。
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みどころ

江戸時代城下の商家の町並みと、明治時代以降の近代化発展過程を伝える町家群とがほどよく調和して、歴史的景観が保たれながらも地元の商店街として生業も営まれていて、住民の息遣いが感じられる町家歩きが楽しめる。2013(平成25)年には、電線類地中化がされ、昔ながらの町並み風情が高まった。
 「女城主の里」にちなみ、家の軒先の青い暖簾には、その家の女性の名前が書かれている。また、軒下の多くに、佐藤一斎*の著書「言志四録(げんししろく)」の言葉を刻んだ木板が掛けられ、高い志が感じられる。
 江戸時代に長崎から伝えられた製法を守り続ける岩村カステラ*、五平餅、地元産の餅米を使ったかんから餅のお店や地酒の蔵元などが点在して、味覚の魅力も高い。
 2018(平成30)年NHKの朝のテレビ小説「半分、青い。」の舞台・ロケ地になった西町地区商店街が、ドラマでは昭和時代の雰囲気の「ふくろう商店街」として登場した。また、2023(令和5)年公開の映画『銀河鉄道の父』の撮影が前出の町屋「木村邸」、「勝川家」や本通りの町並みを使って行われた。ドラマや映画の聖地巡礼で訪れる観光客も増えている。
 更に、世界ラリー選手権(WRC)のリエゾン区間としてラリーカーが本通りの町並みを走行する。近代的なラリーカーと古い町並みのアンバランスが車ファンの心を揺さぶり、毎年多くの観客がここで観戦する。
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補足情報

*岩村電気軌道:岩村電気軌道株式会社は1903(明治36)年に設立され、3年後の1906(明治39)年に鉄道事業を開始。
この開発は地元の岐阜県恵那郡岩村町(現恵那市岩村町)で庄屋で酒造業を営む浅見与一右衛門の主導によって進められた。全国的に見ても画期的なことで、電気鉄道の開業順位は全国で15番目、岐阜県では初めてである。
*佐藤一斎:岩村藩の家老・佐藤信由(のぶより)の次男で、江戸時代後期の儒学者。門下生には佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山などがいて、著書の「言志四録」は幕末の西郷隆盛、勝海舟、坂本竜馬などに大きな影響を与えたといわれる。
*岩村カステラ:岩村藩の御殿医であった神谷雲沢が蘭学を学びに長崎へ赴いた際、オランダ人からカステラの製法も習得し帰藩。今も岩村の菓子屋では、小麦粉、卵、砂糖など昔ながらの材料を使用し、当時の製法にこだわりをもって作っている。石臼を使用して材料を撹拌したきめ細やかな生地を銅製の型に一つずつ流し込み、オーブンに入れて焼き上げる。こうすることで気泡が小さくなって身が詰まり、卵焼きのような見た目のカステーラに仕上がる。
関連リンク 岩村町観光協会(WEBサイト)
参考文献 岩村町観光協会(WEBサイト)
城下町ホットいわむら (WEBサイト)
文化庁(WEBサイト)
『いわむら観光マップ』岩村町
『てくてく恵那』恵那市

2024年02月現在

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