五條市五條新町の町並みごじょうしごじょうしんまちのまちなみ

五條地方は、吉野川の右岸にある河岸段丘の上にあり、須恵、五條などの集落では古くから大和・紀伊・伊勢を結ぶ街道の要(かなめ)として物産の集積地として市などが開かれていた。江戸時代に入り、1608(慶長13)年に吉野川河畔寄りに五條二見藩が置かれて城下に二見の町場が生まれた。さらに須恵や五條と、二見とをつなぐ形で新町の町場が形成されたという。しかし、二見藩が8年ほどで廃藩となり、その後は幕府直轄の代官所*1が五條や新町付近に置かれ、行政の中心として、また、宿場町、商業地として発展*2し、現在の五條市の中心地となった。また、この地は幕末に活動した天誅組*3が旗上げしたところでもある。
 これらの歴史的背景のもと、五條市の五條や本町、新町、二見には古い町並みが見られ、「五條市五條新町」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。保存地区の総面積は約7万m2で、地区内にある伝統的建造物は165件。このうち五條1丁目にある栗山家住宅(内部非公開)は、慶長12年(1607)の棟札をもつ。建築年代の明らかな民家では日本最古とされ、国の重要文化財に指定されている。一帯では江戸初期までに成立した町割が良く残り、江戸時代以降の時代時代によって移り変わっていく民家の造り*4を観察することできる。五條の町並みは緩やかにカーブした道沿いに続き、町割が不均一だが棟高などは均一性がある。新町では棟高などにはばらつきがみられるものの、町割は比較的均一で、下屋*5の位置が揃えられているため、町並みとしては一定の統一感があるという特色がある。
 なお、重要伝統的建造物群保存地区の中心、新町まではJR和歌山線五条駅から1.2kmほど。
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みどころ

五條新町として重要伝統的建造物群保存地区に選定されているが、もともとは、五條と新町は別の集落であったため、町割や棟高や民家の造りにそれぞれ特色があり、1kmほど続く細長く伸びた保存地区の町歩きは興味がつきない。時代によって多様な建物があるので、本町にある「まちなみ伝承館」*6などに立ち寄ってガイドマップなどを手に入れてから、町歩きに出掛けることをお勧めする。
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補足情報

*1 代官所:天誅組の焼き打ちに見まわれた1863(文久3)年までは、旧五條市役所があった場所にあったが、翌年、現在の五條市立民俗資料館(旧五條代官所長屋門)付近に移転した。
*2 発展:1791(寛政3)年に刊行された『大和名所図会』では「五條里には宇智郡の駅にして、四方の旅客はここにゆききし、遠近の産物もここに交易して、朝市・夕市とて商家富みて、郷の賑ひいはん方なし」と商家の店先の絵図とともに記している。
*3 天誅組:1863(文久3)年8月に土佐・鳥取・久留米・熊本藩などの脱藩士によって結成され、五條で挙兵した討幕尊攘の過激派。9月には鎮圧されたが、武力討幕の先駆となった。
*4 民家の造り:五條・新町の民家の造りの特色としては、町家の1階部分の建具に格子が多用されていること、2階の窓の形式として、時代によって、虫籠窓、鉄格子窓、引き違いのガラス窓、格子窓など多種多様に変化していること、防火壁として漆喰塗りの工夫がみられることなどが挙げられる。
*5 下屋:げや。1階と2階の間に突き出した庇。
*6 「まちなみ伝承館」:入館無料。水曜日(祝日にあたる場合は翌日)と年末年始は休館。