大多喜の町並みおおたきのまちなみ

房総半島のほぼ中央に位置する大多喜町は、城下町として栄えてきた町であり、中世には「小田喜」と呼ばれていた。戦国時代に入ると、長南の武田氏、里見氏の武将である正木氏などが支配し、北条氏滅亡後は徳川四天王の一人である本多忠勝*が領有した。本多忠勝は、里見氏の攻撃に備え、城を強化し城下町の整備を行った。明治以降は合併を繰り返し、1954(昭和29)年に旧大多喜町と上瀑(かみたき)村、総元(ふさもと)村、西畑(にしはた)村、老川(おいかわ)村の4村と合併、現在の大多喜町となった。産業としては、町域の北・東部は米作中心の農業、南部は林業を営む。
 町中心部は、城下町としての歴史が今も色濃く残る。特に城下町通りには、国指定重要文化財の渡辺家住宅をはじめ、国登録有形文化財の伊勢幸、同豊乃鶴酒造、同大屋旅館、商い資料館など、歴史的価値の高い建物が多く残されている。そして南郭通りに面する大多喜小学校は、城の町を全面に出したデザインとなっている。
 中心部には駐車場、大多喜駅前には、羽田空港・品川間の高速バス停があり、JR・いすみ鉄道など様々な交通手段でのアクセスが可能である。また、駅前の観光センター(大多喜町観光本陣)では人力車、貸し自転車を扱っており、徒歩以外での散策も行うことができる。
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みどころ

城下町通りを中心に江戸時代の風情を残す街並みをみると、時代が逆戻りしたような感覚を覚える。古い建物だけでなく、新しい建物の一部も城下町の雰囲気に合わせたデザインを取り入れており、町の雰囲気づくりに貢献している。城下町に多くみられるカギ型の通り(敵の攻撃を弱めるための造り)も健在で、城下町の風情を歩いて楽しむことができる。電線の地中化が行われれば、雰囲気は一層良くなるだろう。
 歴史的な街並みとともに、大多喜小学校及び大多喜町役場(中庁舎)を訪れたい。前者は大多喜城を意識したデザインと背景の大多喜城との対比がユニークであり、後者は戦後の代表的建築物として日本建築学会賞(1959(昭和34)年)を受賞するとともに、地域の文化と歴史を継承する遺産という点が評価され、ユネスコアジア太平洋遺産賞(2013(平成25)年)を受賞した。(牧野 博明)
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補足情報

*本多忠勝:1548~1610年。酒井忠次、榊原康政、井伊直政とともに、徳川四天王の一人に数えられる。幼い頃から徳川家康に仕え、戦いにおいてかすり傷一つ負わなかったと伝えられる。
関連リンク 大多喜町(WEBサイト)
参考文献 大多喜町(WEBサイト)
大多喜町(WEBサイト)
房総の小江戸 大多喜城下町散策マップ

2020年04月現在

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