御手洗の街並み
御手洗は、1994(平成6)年に重要伝統的建造物群保存地区として国から選定。瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島のひとつ、大崎下島に位置する。近世の沖乗り航路*の発展にともない、北前船が寄港する潮待ち・風待ちの港、瀬戸内海交通の中継貿易港として繁栄した。江戸時代中期から昭和初期にかけて、港の発展とともに海岸が埋め立てられ、時代とともに街区が変遷している。その中を、小路が網の目のように巡り、大小の町屋や商家、茶屋、船宿、神社、寺院など、当時の面影を残した建物が混在して建ち並ぶ。建築形態は町家が多いが、大正から昭和初期に建設された洋風建築も点在する。
御手洗の地名の由来は諸説あるが、平安時代、菅原道真が太宰府へ流される途中にこの地に立ち寄り、湧き水で手を洗ったことから”御手洗”という地名になったという説があり、天満神社には「菅公の井戸」が残る。
御手洗の地名の由来は諸説あるが、平安時代、菅原道真が太宰府へ流される途中にこの地に立ち寄り、湧き水で手を洗ったことから”御手洗”という地名になったという説があり、天満神社には「菅公の井戸」が残る。

みどころ
コンパクトな町並みに小路が網の目のように張り巡らされ、江戸から昭和初期の建物が混在して建ち並ぶ。往時の景観と、いまもそこに息づく暮らしを感じながらの町歩きが楽しい。「若胡子屋跡(わかえびすやあと)」は、1724(享保9)年に広島藩の免許を受けたお茶屋(遊郭)跡で、屋久杉を使った贅沢な造りの奥座敷など往時の栄華が偲ばれる。町年寄・多田家の屋敷であった「御手洗七卿落遺跡」には、1864(元治元)年、三条実美ら討幕派公卿が逗留したという。1937(昭和12)年築の「乙女座」は、当時の町長が御手洗の文化興隆のために私財を投じて建設した劇場。御手洗の歴史や文化を紹介する資料館「江戸みなとまち展示館」が併設されている。また、「歴史の見える丘公園」から瀬戸内の島々を一望するのもオススメ。

補足情報
*沖乗り航路:沿岸の港に立ち寄らず瀬戸内海の中央を抜けていく航路(⇔地乗り航路:海岸に沿って航海する航路)
関連リンク | 御手洗 重伝建を考える会(WEBサイト) |
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参考文献 |
御手洗 重伝建を考える会(WEBサイト) 文化庁「重要伝統的建造物群保存地区一覧」と「各地区の保存・活用の取組み」(WEBサイト) 呉地域観光連絡協議会(WEBサイト) 文化庁「日本遺産ポータルサイト」(WEBサイト) 山川出版社「広島県の歴史散歩」 |
2025年02月現在
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