川越蔵造りの町並みかわごえくらづくりのまちなみ

藩主松平信綱により、川越城下は慶安年間(1648~1652年)に十ヵ町・四門前・郷分の町割りが行われた。十ヵ町は、札ノ辻(高札場)を中心に上五ヵ町の商人町が囲み、下五ヵ町は職人町で構成された。しだいに商人が職人町にもでてきて、職人は裏店に引っ込んだ。
 1893(明治26)年、川越の大火により全町の4割にあたる1,302戸が焼失。類焼を免れた数軒の蔵造り建物や東京の日本橋界隈の商家を参考に、耐火建築としての蔵を3年かけて作り上げた。今の一番街の蔵はその頃のものが大半を占めているが、当時は札ノ辻の北側をふくめ、蔵造りの建物はもっと広範囲であった。
 現在の一番街には、現埼玉りそな銀行川越支店をはじめ大正時代に建築された洋館や、昭和・平成の建物もみられ、さまざまな時代の建物が重層する点が川越の特徴である。
 時の鐘*は1653(承応2)年に破損した鐘の鋳造を信綱が命じた記録が残っており、その後も、鐘と櫓はたびたび作り替えられている。現在のものは1893(明治26)年の大火後につくられたものである。
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みどころ

蔵造り建物の多くは、明治26年の大火をきっかけに建てられたもので、建物とひさしの高さ、切妻屋根というつくりが統一されていることで、重厚な町並みの美しさを生み出している。東京という大都市の近くにありながら、これほどの町並みがしっかりと残っていることも特徴である。十ヵ町が現在でもまとまって、町並み保存に努めている。
 江戸、明治、大正の建物が継承されており、蔵造り以外の建築物にも目を向けてもらいたい。重厚な蔵造りの町並みにあって、時の鐘とともに大正時代の洋風建築がランドマークとなっている。一番街の一本裏手(東側)を歩いても、見どころのある建物が散見される。
 江戸時代以来、一番街は川越の中心街であったが、現在では食をはじめ、見て食べてたのしい商店街となり、平日でもたいへんな人出である。隣接する菓子屋横丁ともに多くの観光客で賑わっている。(溝尾 良隆)
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補足情報

*時の鐘:高さは、奈良の大仏と同じ16.2m、檜造りの鐘楼である。藩主酒井忠勝の頃(1627~34年)につくられたが、大火で焼失し、1653(承応2)年、松平信綱の命で改築。その後、藩主秋元喬知は、1704(宝永元)年、前任地甲州から銅鐘をここに移した。時を知らせる正確さは、江戸にも知られていた。現在の櫓は、明治になって復元したもので、電動にはなったが、川越のシンボルとして、今も1日4回、市民に時を告げている。
関連リンク 川越市(WEBサイト)
参考文献 川越市(WEBサイト)
『川越大事典』川越大事典編纂会、1988年

2020年04月現在

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