大内宿おおうちじゅく

会津鉄道湯野上温泉駅から北西3.5km、山間にある会津西街道*の旧宿場。会津西街道は会津藩の廻米*を江戸に送るルートであり、会津盆地との間に標高900mの大内峠があるため、大内宿は荷駄の中継・宿泊地として重用された。1884(明治17)年に大川沿いの国道121号線が開通するまで繁栄した。
 現在でも、水路が両端を走る街道沿いに約30戸の茅葺きの民家が宿場の面影をとどめて建ち並び、中には旧宿場時代の屋号を壁面に記した家もある。宿場の中央には本陣の建物を再現した町並み展示館*がある。重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
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みどころ

宿場の見学では、まず、宿場の奥まった小高いところにある子安観音脇の見晴台で宿場の町並みを俯瞰してから、土産物屋や蕎麦屋になっている古民家群を、ゆっくり宿場町の雰囲気を楽しみながら見て歩くのがよいだろう。建造物としての保存修理がきちんと施されていることに驚かされる。蕎麦屋ではまるごと一本のネギを箸代わりに使う「ねぎそば」が供されている。
 大内宿がいかに重要な宿場で会津の美しい風景のなかにあったかを、英国人女性探検家のイザベラ・バードが1878(明治10)年、東北地方を中心に旅行した際に書いた『日本奥地紀行』のなかで記している。「山王峠の頂からは夕焼けで黄金に霞み、この世のものとも思えないほどに美しい群山を眺めたのとは異なり、もっと広々としたもっとすてきな景色だった。私は大内という村にある養蚕場、郵便局、内国通運会社継立所を兼ねる家に泊まった。大名が泊まった所でもあった。この村は周りを山々で美しく囲まれた谷間にあった」と書き残している。
 また、司馬遼太郎も『街道をゆく』のなかで「大内の小盆地に入ったとき、景色のすがすがしさにおどろいた。まわりを、標高千メートルほどの峰々がかこんでいる。北に六石山(大内峠)、東に小野岳・西に烏帽子岳(檜和田峠)、神籠ケ岳などといった山々で、私どもは南から入った。大内という在所だけが、うそのように平坦だった。そのなかにひと筋の古街道がとおっていて、その古街道の両側に、大型の草ぶき屋敷が、幾棟も幾棟も、棟をむきあわせてならんでいるのである」と大内宿の立地の素晴らしさと宿場の雰囲気がよく残されていることを記している。
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補足情報

*会津西街道:会津若松から氷玉峠、大内宿、田島を経て、山王峠を越え栃木県の日光市下今市までの間をいう。このため、下野街道とも呼ばれている。現在の国道121号線と重なる部分が多いが、大内宿付近はこの新道からは外れている。
*廻米:江戸時代における米穀の輸送のこと。諸藩の蔵米や幕府直轄領の米穀などの輸送。海岸沿いは海路が一般的だったが、内陸の場合、河川や駄馬を活用した。
*町並み展示館:1984(昭和59)年に同じ街道の糸沢宿、川島宿の本陣を参考に復元したもの。茅葺き屋根のどっしりとした建物で、殿様用の玄関、上段の間、風呂、雪隠などがある。館内では茅葺きに関する資料や昔の民具等を展示。
関連リンク 下郷町(WEBサイト)
参考文献 下郷町(WEBサイト)
『福島県の歴史散歩』福島県高等学校地理歴史・公民科(社会科)研究会 山川出版社
『街道をゆく33 白河・会津のみち、赤坂散歩』司馬遼太郎 朝日新聞出版
下郷町(WEBサイト)
『日本奥地紀行』イザベラ・バード 平凡社

2023年09月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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