彦根の街並みひこねのまちなみ

彦根市は、江戸時代は井伊家35万石の城下町で、彦根城を中心に往時を偲ばせる古い町並みが各所に残っている。
 彦根城の城下町は、1600(慶長5)年に関ヶ原の戦いで勝利した徳川方の井伊家(直政・直継)によって造られた。1604(慶長9)年から着工された彦根城の築城に伴い、 元和期(1615年から1624年)に3重の堀を巡らす城下町の骨格が定まり、寛永期(1624年から1644年)にかけて順次整備された。
 内堀より内側の第一郭(くるわ)には天守を中心に櫓で囲まれた彦根山と麓の表御殿(現・彦根城博物館)等を設け、内堀と中堀との間の第二郭は内曲輪(うちくるわ)ともいい、槻御殿(現・玄宮楽々園)や家老など千石以上の重臣の屋敷があった。中堀と外堀との間の第三郭は外曲輪(そとくるわ)ともいい、中級の武家屋敷と町家が混在した内町(うちまち)で、外堀に面しては寺院が点々と配置された。特定の職人が住んでいたことを示す紺屋町、上・下魚屋町、職人町、桶屋町などの町名が残る。
 更に内町の外側と善利川(芹川)の間は、町家と足軽屋敷からなる外町(そとまち)。足軽組は下組・上組・北組とあり、現在も下組の善利組(現・芹橋2丁目)の町並みに足軽屋敷が残る。
 城下町の南東部に位置する河原一丁目、河原二丁目、河原三丁目及び芹町の各一部(約5万m2)は、「江戸時代前期に河川を付け替えて形成された城下町の特徴ある地割りを良く伝えるとともに、街路に沿って江戸時代から昭和戦前期にかけて建てられた町家等を良く残し、商家町としての歴史的風致を良く示すこと」から、2016(平成28)年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。(彦根市歴史的風致維持向上計画(第2期)45ページ参照)
 また、中山道の宿場町であった「鳥居本」や「高宮」には、格子構えの家や本陣跡など旧街道の面影が残る。
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みどころ

河原町芹町の町並みは、銀座通りから続いた「はなしょうぶ通り」と名付けられた道で、ゆるやかにS字を描く幅二間(約3.6メートル)程度の往来に沿った約780メートルの範囲である。短冊形に割られた敷地が並び、芹川の流路を付け替えて城下町を整備した雰囲気をよく残し、切妻造・瓦葺・平入りの伝統的な町屋が建ち並んでいる。高2階、つし2階で虫籠窓(むしこまど)と格子窓の2つがみられる。近代以降も商業地として栄えた様相を伝える銀行等の近代建築、洋風の町家もあり、町並みに変化がある。
 また、城町(旧魚屋町)にも、白壁に紅殻格子(べんがらごうし)、虫篭窓、2階の低い建物が通りに面して見られる。本町二丁目から三丁目を、以前は上魚屋町、城町一丁目を下魚屋町と呼び、約400mの間に40軒近い魚屋が軒を並べていたといわれる。
 外堀に架かる京橋から伸びる本町通りに沿った「夢京橋キャッスルロード」は、「OLD NEW TOWN」をテーマにして、白壁と黒格子の町家風に統一された飲食店や観光土産店等が並び、城下町の雰囲気を盛り上げている。
 隣接の「四番町スクエア」は大正時代の西洋建築を再現したエリアになっている。