東近江市五個荘金堂の町並み
東は愛知川、西は繖山、南は箕作山に区切られ、ほぼ平坦な水田地帯が広がり、古墳群や古代条里制遺構を残す古い歴史の町である。近世に活躍した近江商人のひとつ五個荘商人の発祥地「てんびんの里」として知られ、今も当時の蔵屋敷が残っている。近江商人たちの本宅と伝統的な農家住宅が一体となった町並みで、1998(平成10)年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
江戸時代に藩の陣屋を中心に三方に寺院が配置され、白壁、土蔵、舟板塀が続く町並には、錦鯉が泳ぐ水路が縦横に走っている。現在は、近江商人屋敷2邸(外村繁(とのむらしげる)邸*・中江準五郎*(なかえじゅんごろう)邸)と金堂まちなみ保存交流館(旧中江富十郎邸)が公開されている。
近くには、近江商人博物館や日本画家・中路融人の作品記念館、観光案内所「ぷらざ三方よし」や五個荘観光センターがある。
江戸時代に藩の陣屋を中心に三方に寺院が配置され、白壁、土蔵、舟板塀が続く町並には、錦鯉が泳ぐ水路が縦横に走っている。現在は、近江商人屋敷2邸(外村繁(とのむらしげる)邸*・中江準五郎*(なかえじゅんごろう)邸)と金堂まちなみ保存交流館(旧中江富十郎邸)が公開されている。
近くには、近江商人博物館や日本画家・中路融人の作品記念館、観光案内所「ぷらざ三方よし」や五個荘観光センターがある。

みどころ
商人本宅は、広大な敷地を板塀で囲み、内部に切妻や入母屋造りの主屋を中心に数寄屋風の離れや土蔵・納屋を建て、池や築山を配した日本庭園をもつのが特徴。農家住宅は、葦葺屋根の主屋と納屋等を持つ伝統的な形式。いずれも屋敷内に川戸(かわと)やあらいとなどで水路の水を引き込み、生活用水に利用していた。
作家の司馬遼太郎(しばりょうたろう、1923-96年)は、五個荘金堂地区を訪れた時、この町並みの印象を『街道をゆく・近江散歩』で「たがいに他に対してひかえ目で、しかも微妙に瀟洒(しょうしゃ)な建物をたてるというあたり、施主・大工をふくめた近江という地の文化の土壌の深さに感じ入ったのである」と記している。
凛として落ち着いた町並みは訪れる人になつかしさを感じさせてくれる。金堂の町並みを散策しながら、近江商人の屋敷などを案内してくれる地元の観光ボランティアガイドを利用すると、より理解が深まる。
作家の司馬遼太郎(しばりょうたろう、1923-96年)は、五個荘金堂地区を訪れた時、この町並みの印象を『街道をゆく・近江散歩』で「たがいに他に対してひかえ目で、しかも微妙に瀟洒(しょうしゃ)な建物をたてるというあたり、施主・大工をふくめた近江という地の文化の土壌の深さに感じ入ったのである」と記している。
凛として落ち着いた町並みは訪れる人になつかしさを感じさせてくれる。金堂の町並みを散策しながら、近江商人の屋敷などを案内してくれる地元の観光ボランティアガイドを利用すると、より理解が深まる。

補足情報
*外村繁邸:外村繁は、「草筏」「筏」「花筏」など近江商人を題材にした小説を書いた作家。この邸は彼の生家で、外村宇兵衛家の分家として明治34年に建てられた屋敷である。
*中江準五郎:大正時代から戦前まで朝鮮半島や中国で次々に百貨店を開設し『百貨店王』と呼ばれた三中井一族の末弟である。
*中江準五郎:大正時代から戦前まで朝鮮半島や中国で次々に百貨店を開設し『百貨店王』と呼ばれた三中井一族の末弟である。
関連リンク | 東近江市(WEBサイト) |
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参考文献 |
東近江市(WEBサイト) 滋賀・びわ湖 観光情報(公益社団法人びわこビジターズビューロー)(WEBサイト)びわこ 「滋賀県の歴史散歩」 滋賀県歴史散歩編集委員会 山川出版社 東近江市観光Web(一般社団法人東近江市観光協会)(WEBサイト) |
2025年04月現在
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