六本木
六本木ヒルズや東京ミッドタウン、泉ガーデンタワーなどのオフィスを併設する巨大複合ビルを筆頭に、スタイリッシュなレストランやショップ、高級タワーマンションが林立する、日本屈指のハイスペックなブランドエリア、六本木。
首都高速3号線下の六本木通りと外苑東通りの交差点を中心に、東は溜池、南は飯倉、西は西麻布、北は乃木坂に囲まれた一帯だ。今でこそ、「成功者の町」であり、国際色豊かな文化の発信地でもある六本木だが、この町はまったく別の歴史を歩んできた。
六本木という地名の由来は、江戸時代に、6本の松の古木があったからとも、”木”にちなんだ6大名の中屋敷があったからともいわれるが、定かではない。江戸時代には、武家屋敷が並ぶ武家地区で、寺院や神社も多く見られた。幕末の1859(安政)年に、アメリカ公使館が設置されたことを機に諸外国の公使館や宿舎が建てられていった。現在でも約80カ国の大使館が置かれていることから、国際色豊かな町の原点はこのときつくられたといえる。明治時代に入ると、まだ住人も少なく、広大な敷地を確保できたため、軍隊の町へと変貌していく。長州藩下屋敷跡地は大日本帝国陸軍の歩兵第一連隊となり、広島藩中屋敷の跡地には第三連隊が置かれたのである。この2連隊は、1936(昭和11)年に起こった二・二六事件の主力部隊である。第二次世界大戦後、日本陸軍の町は、アメリカ軍の町に一変する。GHQの拠点が置かれ、歩兵第三連隊駐屯地は、星条旗新聞社や宿泊施設、ヘリポートに変わり、町にはアメリカ兵やアメリカ人を相手にするキャバレーやダンスホールバーが進出し、バンドマンやダンサー以外の日本人は立ち入ることができない「東京租界」とも呼ばれた。日本人が暮らせる町になったのは、1952(昭和27)年の対日講和条約発効以降といわれる。それでも、米兵向けのバーやクラブは多く残り、「夜の町」としての顔が築かれていった。
アメリカの町から若者の町へと変貌するきっかけとなったのが、1957(昭和32)のテレビ朝日の開局だ。芸能人やアーティストが移り住み、公使館や海外文化に惹かれて集まる多くの若者は「六本木族」と呼ばれた。1964(昭和39)年の東京オリンピック開催に合わせ、日比谷線が開通すると、アクセスが断然よくなり、さらに町は発展。バブル期には、ディスコやクラブが大盛況を収めた。バブル崩壊後は、静けさが戻り、芸能人や一部の若者のややディープな町となったが、2000(平成12)年に大江戸線が開通して交通アクセスがよくなり、2003(平成15)年に六本木ヒルズ、2007(平成19)年に防衛庁跡地に東京ミッドタウンが誕生すると、六本木は「夜の町」から、日本文化と海外文化が交差する町として、新たな魅力を持つようになる。
また、2007年には第三連隊駐屯地跡地に「新国立美術館」が開館し、六本木ヒルズの森美術館、東京ミッドタウンのサントリー美術館を合わせ、徒歩で回れる「六本木アート・トライアングル」が注目され、今や「アートの町」としての存在感も高まりつつある。
首都高速3号線下の六本木通りと外苑東通りの交差点を中心に、東は溜池、南は飯倉、西は西麻布、北は乃木坂に囲まれた一帯だ。今でこそ、「成功者の町」であり、国際色豊かな文化の発信地でもある六本木だが、この町はまったく別の歴史を歩んできた。
六本木という地名の由来は、江戸時代に、6本の松の古木があったからとも、”木”にちなんだ6大名の中屋敷があったからともいわれるが、定かではない。江戸時代には、武家屋敷が並ぶ武家地区で、寺院や神社も多く見られた。幕末の1859(安政)年に、アメリカ公使館が設置されたことを機に諸外国の公使館や宿舎が建てられていった。現在でも約80カ国の大使館が置かれていることから、国際色豊かな町の原点はこのときつくられたといえる。明治時代に入ると、まだ住人も少なく、広大な敷地を確保できたため、軍隊の町へと変貌していく。長州藩下屋敷跡地は大日本帝国陸軍の歩兵第一連隊となり、広島藩中屋敷の跡地には第三連隊が置かれたのである。この2連隊は、1936(昭和11)年に起こった二・二六事件の主力部隊である。第二次世界大戦後、日本陸軍の町は、アメリカ軍の町に一変する。GHQの拠点が置かれ、歩兵第三連隊駐屯地は、星条旗新聞社や宿泊施設、ヘリポートに変わり、町にはアメリカ兵やアメリカ人を相手にするキャバレーやダンスホールバーが進出し、バンドマンやダンサー以外の日本人は立ち入ることができない「東京租界」とも呼ばれた。日本人が暮らせる町になったのは、1952(昭和27)年の対日講和条約発効以降といわれる。それでも、米兵向けのバーやクラブは多く残り、「夜の町」としての顔が築かれていった。
アメリカの町から若者の町へと変貌するきっかけとなったのが、1957(昭和32)のテレビ朝日の開局だ。芸能人やアーティストが移り住み、公使館や海外文化に惹かれて集まる多くの若者は「六本木族」と呼ばれた。1964(昭和39)年の東京オリンピック開催に合わせ、日比谷線が開通すると、アクセスが断然よくなり、さらに町は発展。バブル期には、ディスコやクラブが大盛況を収めた。バブル崩壊後は、静けさが戻り、芸能人や一部の若者のややディープな町となったが、2000(平成12)年に大江戸線が開通して交通アクセスがよくなり、2003(平成15)年に六本木ヒルズ、2007(平成19)年に防衛庁跡地に東京ミッドタウンが誕生すると、六本木は「夜の町」から、日本文化と海外文化が交差する町として、新たな魅力を持つようになる。
また、2007年には第三連隊駐屯地跡地に「新国立美術館」が開館し、六本木ヒルズの森美術館、東京ミッドタウンのサントリー美術館を合わせ、徒歩で回れる「六本木アート・トライアングル」が注目され、今や「アートの町」としての存在感も高まりつつある。

みどころ
美術館、高級ブランド店、高級ホテルが揃う都内の一等地である。高級グルメからカジュアルな料理、各国料理などさまざまな料理が楽しめ、バーやクラブが深夜まで営業する繁華街でもある。
六本木ヒルズ、けやき坂、東京ミッドタウンなどでは、11月下旬~12月下旬にライトアップ・イルミネーションが開催され、その美しさを見ようと多くの人が訪れる。
六本木ヒルズ、けやき坂、東京ミッドタウンなどでは、11月下旬~12月下旬にライトアップ・イルミネーションが開催され、その美しさを見ようと多くの人が訪れる。

補足情報
*六本木ヒルズ:高さ238mの森タワーを中心に、巨大な蜘蛛の彫刻ママンが目を引く広場「66プラザ」、タワーの53階にある現代アートの「森美術館」、ヒルサイド1階にある「六本木ヒルズアリーナ」、毛利家の屋敷であった名残をとどめる「毛利庭園」などで構成される。
*東京ミッドタウン:248mのミッドタウン・タワーを囲むように高さの異なるビルが立つ。ショッピングエリアは「ガレリア」棟で、ガレリア3階には和の要素があふれる隈研吾設計の「サントリー美術館」がある。このほか、ホテルリッツカールトン、三宅一生が創立者のデザインの展示施設「21_21DESIGN SIGHT」、そして「芝生広場&ミッドタウン・ガーデン」がある。ミッドタウン・ガーデンのランドスケープのコンセプトには、形を模倣するのではなく自然と共生する日本庭園の概念が取り入れられている。
*国立新美術館:日本で5番目の国立美術館で、美術品を収蔵しない美術館。設計は黒川紀章。
*東京ミッドタウン:248mのミッドタウン・タワーを囲むように高さの異なるビルが立つ。ショッピングエリアは「ガレリア」棟で、ガレリア3階には和の要素があふれる隈研吾設計の「サントリー美術館」がある。このほか、ホテルリッツカールトン、三宅一生が創立者のデザインの展示施設「21_21DESIGN SIGHT」、そして「芝生広場&ミッドタウン・ガーデン」がある。ミッドタウン・ガーデンのランドスケープのコンセプトには、形を模倣するのではなく自然と共生する日本庭園の概念が取り入れられている。
*国立新美術館:日本で5番目の国立美術館で、美術品を収蔵しない美術館。設計は黒川紀章。
関連リンク | GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト) |
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参考文献 | GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト) |
2025年06月現在
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