知覧武家屋敷庭園ちらんぶけやしきていえん

江戸時代、武士の数が多かった薩摩藩は、領地を外城(とじょう)とよばれる地区に分け、地頭や領主の屋敷を中心に「麓」とよばれる武家集落をつくって統治していた。これは鹿児島城下に武士団を結集させず、分散して軍事拠点を複数つくるためでもある。外城は鹿児島県内に102カ所もあったが、なかでも知覧には武家集落、「麓」の典型的な姿が現在まで残されている。
 武家屋敷通りとよばれる通り沿いに、10余りの屋敷庭園が風致地区として保存されているが、そのうち7庭園が国の名勝指定を受け公開されている。切石や玉石を積んだ石垣とイヌマキの大刈込みに囲まれた武家屋敷が続く佇まいは、別名「薩摩の小京都」とよばれ、1981(昭和56)年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
#

みどころ

屋敷を囲む石垣の植え込みに茶の木が使われているところもあり、知覧らしい。屋敷は薩摩武士の心を感じさせる質実剛健な造り。庭は枯山水庭園と池泉式庭園がある。石造りの門を入ると、屋敷が直接見えないように正面に目隠し(ヒンプン)があり、T字路の突き当りには魔除けの石敢當(せっかんとう・いしがんとう)があるなど、当時、支配していた琉球の文化も随所に見られるところが興味深い。
 途中にはカフェやレストランもあり、江戸時代の雰囲気を感じながらの散策が楽しい。
#

補足情報

*平山亮一(ひらやま りょういち)氏邸庭園:石組を1つも用いず、刈込みだけで作庭されている。石垣上にマキの刈込み、その前面にサツキの刈込みを配し、マキは連山を思わせる。
*佐多直忠(さた なおただ)氏邸庭園:母ケ岳(ははがだけ)を借景とし、向かって左に連山石組を置き、石組の間にマツ・ウメを植えた枯山水庭園。防備を兼ねた大陸的な手法を用い、しかも水墨画的枯山水の風格を備えた名園である。
*森重堅(もり しげみつ)氏邸庭園:江戸中期の築庭とされる庭園で、公開しているうちで唯一の築山池泉式庭園である。細長い池の手前と対岸に巨岩を用い、多数の奇岩怪石で護岸が作られ、この地方特有の庭園といわれる。
関連リンク 知覧武家屋敷庭園(知覧武家屋敷庭園有限責任事業組合)(WEBサイト)
参考文献 知覧武家屋敷庭園(知覧武家屋敷庭園有限責任事業組合)(WEBサイト)
『鹿児島県の歴史散歩』山川出版社、2005年

2020年09月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。