福島県
印刷する中通り地方はJR東北本線、東北新幹線、国道4号、東北縦貫自動車道が縦断し、福島空港がある。浜通り地方では常磐自動車道、東北中央自動車道が通る。港湾は少ないが、国際貿易港としての小名浜港があり、相馬港は重要港湾である。
県の中央部を南北に走る奥羽山脈と、それに並走する太平洋岸沿いの阿武隈高地によって、県域は東から「浜通り」、「中通り」、「会津」の3地域に大別される。県域の中央にある奥羽山脈の上には吾妻・安達太良連峰、磐梯山、鎌房山などの火山が噴出。標高は1500~2000mで磐梯朝日国立公園の主要部をなしている。東部には低い丘陵地と平均標高約500mの高原からなる阿武隈高地が南北に走り、高地の所々には残丘の大滝根山などが突出する。西部の新潟県境には飯豊山地、越後山脈が走り、越後山脈は県内最高峰の燧ヶ岳(2356m)があり、越後山脈の一部と田子倉湖周辺は越後三山只見国定公園域に、また燧ヶ岳とその南麓から西方に広がる尾瀬ヶ原・尾瀬沼は尾瀬国立公園に指定されている。平地は太平洋岸に沿う浜通り低地帯、阿武隈川河谷の白河から福島に至る諸盆地と久慈川の谷底平野を含む中通り低地帯、会津平と猪苗代湖をめぐる湖岸平野がある。海岸線は単調だが、北部には砂浜海岸と潟湖の松川浦があり、南部の磐城海岸は小湾入と砂浜海岸が交錯、中部の双葉海岸では海食が進み、急崖をなす。県立自然公園には磐城海岸、奥久慈、霞ヶ城、南湖、霊山、只見柳津、勿来、松川浦、阿武隈高原中部、大川羽鳥、夏井川渓谷がある。
現在の福島県には幕末に、親藩かつ雄藩だった会津藩(23万石)があったが、他は親藩・譜代・外様の10万石に満たない多数の藩に分かれていた。廃藩置県後の紆余曲折の後、1876年(明治9年)に「会津」の前身にあたる若松県、「中通り」の前身にあたる福島県(1876年以前)、「浜通り」の前身にあたる磐前県の計3県の合併によって当県が成立。県名の福島は3県合併によって県庁所在地となった福島町(現・福島市)からとったもの。また「福島」の名は、福島城として使われたのが最初とされる。なお、「会津地方」の名称は、崇神天皇が北陸道に遣わした大彦命と東海道に遣わした建沼河別命が、日本海側と太平洋側から遠征して出会ったのが相津だったという記述があり、この相津が後に会津と表記されるようになった説が有力。「中通り地方」は中山道に由来し、「浜通り地方」は陸前浜街道に由来する。江戸時代を通じて支配関係が複雑であったことは、県内に一つのまとまった社会と文化の形成を妨げ、その影響は現在にまで及んでいるが、一方で封建領主による支配と規制がたび重なる交替のために十分に徹底せず、近代になってからの産業発達にとって好条件となった側面を持ち合わせている
特産品として果樹・野菜・工芸作物、肉用牛農家、花卉・花木がある。会津地区の平坦地は稲作中心で、磐梯高原や南会津の高冷地ではダイコン栽培などが盛ん。福島地区の果樹、阿武隈高地中部の葉タバコ、郡山地区南部のキュウリ、白河地区東部久慈川流域のコンニャクイモ栽培等がみられるほか、阿武隈高地や甲子高原では広く畜産がみられる。かつては養蚕が盛んだったが近年急速に衰退。伝統産業は、会津若松市の漆器と清酒、喜多方市や三島町の桐下駄、会津本郷町・相馬市・浪江町の陶器、川俣町・福島市飯野町地区の織物、二本松市の家具などがあげられる。相馬駒焼はいまでも登窯を用いており、伝統を重んじている。ほかに三春人形、白河だるま、土湯こけしなどの民芸品もある。この他、水産業では小名浜港が知られるのみ。鉱業では石灰石鉱山やタングステン鉱山などがわずかに稼働。工業では情報通信機器、電子部品・デバイス、食料品などの工場が稼働している。
3方部・7つのエリアに分かれ、それぞれに特徴的な文化や風土が魅力。福島県西部一帯を占め、豊かな自然と歴史に抱かれた「会津地方」は、尾瀬国立公園、磐梯朝日国立公園を有する自然豊かなエリア。裏磐梯の湖沼群や福島県のシンボル猪苗代湖と磐梯山、高山植物の宝庫尾瀬など見どころがある他、城下町の会津若松や大内宿に代表される歴史ある街なみも点在する。県中央部、奥羽山脈と阿武隈山地にはさまれた「中通り」は、四季折々の花と果物が魅力「福島の桃源郷」とも呼ばれる花見山や日本三大桜の一つに数えられる三春滝桜など多くの花の名所があり、『花街道』とも称されている。また豊富な湯量の温泉や魅力的な観光スポットが点在し、福島の観光拠点として注目されている。県の東側、太平洋に面した温暖な気候の「浜通り」は、一年を通して温暖な気候が特徴。環境水族館アクアマリンふくしまやスパリゾートハワイアンズなどを有するいわきエリアと、千年以上の歴史を持つ勇壮な祭り・相馬野馬追が見どころの相双エリアがある。また、震災で被害を受けた地域では産業創造を推進する施設が相次いで完成している。