喜多方市は、県北西部に位置する。北は山形県米沢市、山形県飯豊町、東は北塩原村、南は会津若松市、会津坂下町、湯川村、磐梯町、西は西会津町、新潟県阿賀町と接する。
 JR磐越西線、国道121号、459号が通じる。
 会津盆地の北に位置し、北西に飯豊連峰が連なり、東には磐梯山の頂を望む雄国山麓が裾野を広げる。市の中心部から南部にかけては平坦な地形で、市街地を囲むように、田園地帯が広がる。市の南端には一級河川である阿賀川が流れており、猪苗代湖を源とする一級河川の日橋川や山林地帯からの支流が只見川と合流し新潟県に向かって流れている。
 1954年(昭和29)喜多方町と7村が合併して市制施行。2006年(平成18)2町2村を合併。会津の北方に位置していたことから、古来、北方(きたかた)と称され、江戸時代には会津藩の領地となっていた。中心市街は田付川の東西にまたがり、1875年(明治8)東岸の小田付村と西岸の小荒井村などが一つになって喜多方町が成立。近世、小田付には代官所が置かれ、また市場町でもあった。南部の塩川地区は米沢街道の宿駅で、会津米の出荷河港としてにぎわった。明治時代中ごろ会津三方道路の開通、岩越鉄道(磐越西線)の開設で北方の交通の中心となり、工業も発達した。
 漆器、下駄、生糸、しょうゆ、みそを特産。近年では「ラーメンの町」としても有名。農業は米作のほか、ソバ、アスパラガス栽培も行われる。
 熊野神社の長床(平安時代の拝殿)、願成寺の阿弥陀如来と脇侍、中善寺の薬師如来、勝福寺観音堂、示現寺の椿彫木彩漆笈は国指定重要文化財。市内には土蔵が多く、「蔵の町」としても知られ、市内各所に歴史的な残されている。「喜多方 蔵の里」には県重要文化財の旧手代木家住宅、旧外島家住宅が移設されている。1994年に喜多方市美術館が開館。日本北限の田植神事「慶徳稲荷神社田植神事」等がある。また、会津型(染型紙)の型彫り体験や桐の粉人形の絵付け、化石発掘体験等の歴史と伝統を体験できるプログラムもある。北部には熱塩、日中の2温泉があり、北西部は磐梯朝日国立公園の一部となっている。

観光資源一覧

新宮熊野神社(長床)の写真

新宮熊野神社(長床) (福島県 喜多方市 )

JR磐越西線喜多方駅の南西約4kmにある。社伝によると、1055(天喜3)年源頼義、義家*親子が「前九年の役」*で陸奥征討の途中、現在の会津若松市河東町に熊野三社を勧請して創建し、「後三年の役」*で再訪した義家が現在地での造営を命じ、1089(寛治3)年に遷座したと伝えられる。  大イチョウを前にした拝殿は長床*と称し、棟高11.3m...

喜多方蔵のまち並みの写真

写真提供:(一社)喜多方観光物産協会

喜多方蔵のまち並み (福島県 喜多方市 )

喜多方市は会津盆地の北部に位置し、豊かな地下水に恵まれ良質な米の産地で、近世以降、酒・味噌・醤油などの醸造業が盛んであった。さらに、漆器などの産地でもあり、定期市が開かれ物産の集散地として栄えた。このため市の中心部を南北に流れる田付川両岸の中心街から山間に至るまで粗(あら)壁・白壁・黒漆喰(しつくい)・煉瓦造などの...

山都そばの写真

写真提供:喜多方市山都総合支所

山都そば (福島県 喜多方市 )

JR磐越西線山都駅から北西へ約10km、喜多方市山都町の山懐に入った宮古地区*は古くから良質なソバの産地として知られていた。この良質なソバを活用し、1984(昭和59)年から当時の山都町商工会の主導により「むらおこし」としてブランド化に取り組んだのが「山都そば」である。*  「山都そば」の特色は、製粉の歩溜まりを約70%とし甘皮...

喜多方ラーメンの写真

写真提供:(一社)喜多方観光物産協会

喜多方ラーメン (福島県 喜多方市 )

喜多方には良質な水*があり、優良な米作りの地域であることから、古くから酒・味噌・醤油などの醸造業が栄えてきた。喜多方ラーメンは、その良質な水によって麺が作られ、茹でられ、伝統の醤油・味噌などによってラーメンスープの味のベースが作られている。麺の特徴はコシが強い「熟成多加水麺」*の平打ち麺を多くの店が使用している。ス...

願成寺(会津大仏)の写真

願成寺(会津大仏) (福島県 喜多方市 )

JR磐越西線喜多方駅の北6kmほどのところにある。願成寺の始まりは法然の高弟で浄土宗多念義派の祖隆寛が法難に遭い、奥州に配流となったが、途中相模国で遷化したため、1227(嘉禄3)年に意を受けた法弟の實成が遺骨を配所があった加納松原(現在地の南方)に葬り、一宇を建立したことによる。このため、同寺では隆寛を開山、實成を創立とし...