高湯温泉たかゆおんせん

JR東北本線・東北新幹線福島駅から西へ約16km、吾妻山の北東山腹、標高750mにあり、磐梯吾妻スカイライン北入口にあたる。9つの源泉を引き湯した6軒ほどの旅館が、道路沿いに緑に埋もれるように点在する。
 開湯は江戸時代初期慶長年間(1596~1615年)*といわれ、古くから湯治場として知られてきた。現在も自然湧出している源泉をアカマツの樋の送湯管で配湯している。斎藤茂吉など*多くの文学者にも愛されてきた。
 温泉街には源泉を引いた半露天風呂の共同浴場「あったか湯」があり、温泉街の高台からは福島盆地の眺望もよい。泉質は硫化水素・硫黄泉で白濁している。泉温は42~51℃。
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みどころ

自噴源泉で豊富な湯量があり、温泉は白濁し、硫黄の臭いもするが肌へのあたりは良い。吾妻連峰への登山の際には、ここで疲れを取りたいものである。高湯温泉では、この自噴源泉を守るため、地元をあげ周囲の自然環境の保全に努め、各旅館とも加水加温をせずにかけ流しを維持している。また、温泉周辺の保全されている自然のなかでの森林浴なども楽しい。
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補足情報

*慶長年間(1596~1615年):1607(慶長12)年に近在出身の宍戸五右衛門が開湯したという説と、現在の「安達屋旅館」の祖である菅野国安が同年に開湯したという説がある。江戸後期の地誌『信達一統志』では「熱湯」として紹介されており「此の温泉は慶長年中今の菅野氏(現・安達屋旅館)の先祖道徹居士と云人初て開發せしなり。春秋の際浴する者多し」と湯治場として盛んであったことがわかる。また、1886(明治19)年に発行された『日本鉱泉誌』では、高湯温泉は「玉子湯鉱泉」「熱湯鉱泉」「瀧ノ湯鉱泉」の3つの源泉が紹介されており、いずれも発見は1602(慶長7)年だとしている。当時、もっとも入浴客が多かったのが「熱湯鉱泉」であり、「川岸ノ平地ニテ岩層ヨリ二泉ヲ涌出シ」ていたといい、「人家其傍ニ櫛比シ殆ンド市街ヲ成ス」として、幕末から明治初期にかけ戊辰戦争の影響で荒廃した時期もあったというが、明治中期では湯治場として再び栄えていることが記されている。
*斎藤茂吉など:1916(大正5)年、高湯温泉に逗留した斎藤茂吉は多くの詩歌を残している。逗留先の吾妻屋旅館で、当時あった共同浴場「熱湯」の様を「山の峡(かい)わきいづる湯に人通(かよ)ふ 山とことはにたぎち霊(れい)し湯」と詠んだ。このほか、小説家埴谷雄高、庄野順三、俳人加藤楸邨なども小説の中や紀行文のなかで高湯温泉を取り上げている。

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