須賀川松明あかしすかがわたいまつあかし

JR東北本線須賀川駅から南へ約1.2kmの中心街松明通りと隣接する翠ケ丘公園*を中心に、毎年11月第2土曜日に開催される火祭り。
 由来について現在は、この地を文安年間(1444~1449年)から統治していた須賀川二階堂氏(行光の系統)の居城須賀川城が、1589(天正17)年、伊達政宗に攻め落とされた際の故事による。江戸後期の『白河風土記』によると二階堂氏最後の当主盛義が亡き後、後室大乗院が女城主として城を守り「堅ク籠城ノ事ヲ主張シ皆討死ト覚悟ヲ定メ此山(十日山)*ヘ招キシニ兆燈松明焼ツレ馳集リシ其日ハ天正十七年十月十日ノ事ナリ」とされる。その故事にならい、江戸時代の10月10日に「惣町ノ者共手毎二松明トボシ列ネテ此山ニ登ル此事 今ニテハ ムジナカリ(狩り)ト唱フ」と記されている。古くから10月10日に行われていた農耕儀礼「トオカンヤ(十日夜)」と戦いで亡くなった人々を追慕する「炬火」が行われていたといわれている。現在では、開催日を変更し、二階堂氏の戦死者のみならず、伊達氏の戦死者を含めての鎮魂の意味も含め催されている。
 「松明あかし」では、松明通りから翠ケ丘公園内の五老山に向け、長さ10m、直径2m、重さ3tの大松明や、長さ6~8mで直径1mほどの本松明が若者たちの手で1時間半ほどかけて運ばれ、夕闇が迫る頃には五老山の会場に松明が立てられる。この松明が須賀川城跡にある二階堂神社から市内を一巡して運ばれてきた御神火によって点火され、クライマックスを迎える。
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みどころ

勇壮な松明太鼓が鳴り響くなか、巨大な松明を若者たちが御神輿のように担ぎ棒でかつぎ上げ、威勢よく運ばれる姿は圧巻。中学生が担ぐ松明も続き、町中が熱気にあふれ盛り上がる。小松明行列もあり、これには一般参加も可能である。
 翠ケ丘公園内の五老山の会場に着くと、大松明は梯子や担ぎ棒を使って、人力で立ち上げられる。観客からはその力強い姿、動きに歓声や拍手が起こる。最後は、御神火によって約30本の松明に火が灯され、松明太鼓が鳴り響く中、燃え盛る炎が夜空を真っ赤に染めてフィナーレとなる。
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補足情報

*翠ケ丘公園:須賀川駅から南へ1.2kmほど。二階堂氏の居城須賀川城があった愛宕山、松明あかしの会場となる五老山や妙見山を取り込んだ起伏の多い都市公園。園内に須賀川も流れており、両岸にサクラが200本ほど植えられている。
*此の山(十日山):現在の翠ヶ丘公園の西に近接している小高い場所で須賀川城の外郭の一部をなす。