二本松の提灯祭りにほんまつのちょうちんまつり

JR東北本線二本松駅の北へ100mほどのところにある二本松神社*の秋の例大祭。現在は、10月第1土曜日から3日間*行われる。
 初日の宵祭りは、氏子七町(若宮、松岡、本町、亀谷、竹田、根崎、郭内)から提灯を満艦飾につけた7台の太鼓台が繰り出し、二本松神社の御神火が紅提灯に移されるところからはじまる。太鼓台は、町組よって多少異なるが、大きさは間口1.7m、奥行2.3m、高さ3.5mほどで4つの車輪がつき、棟と欄間には彫刻が施され金箔で仕上げている。それに高さ7mほどの提灯枠(スギナリ)が付けられ、神様が降りる「ヨリシロ」の役割を果たす。各町組の若連の囃子*と掛け声で市内を練り歩く。7町の提灯を飾って太鼓台が集結するのは初日のみ。
 2日目の本祭では「神輿渡御」が行われ、町内の御旅所を巡り、夕方、二本松神社に「還御」(宮入れ)する。太鼓台は、朝、二本松駅前から提灯枠を外し7町合同で曳き回され、夜は再び提灯が飾られ各町内を練り歩く。
 3日目の後祭りは昼は各町内の曳き回し、夜は4町(若宮、松岡、本町、亀谷)と3町(竹田、根崎、郭内)の二手に分かれての合同曳き回しが行われ、祭はフィナーレとなる。
 祭の始まりは、1664(寛文4)年*に氏子の竹田、根崎の町組の神輿渡御を行ったことだと言われ、本町、亀谷などの町組が参加し踊台も出るようになったが、その後、江戸中期に廃れたものの文政年間(1818~1829年)に再興された。現在のように提灯の飾り付けが始まったのは、明治末期から大正初期だと言われている。
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みどころ

この祭の最大の見どころは太鼓台。昼は伝統的な木工の粋を集め、彫刻などが施された華麗な太鼓台として、夜の曳き回しでは庇から上に枠を組んで、1台300個余りの提灯を飾り付け、さらに屋根の上には提灯枠(スギナリ)の竹竿に8個の提灯を掲げる。祭りばやしの中、宵闇に無数の明かりが揺らぐ様は幻想的。特に初日の宵祭りは7町内7台の太鼓台が集結するので見ごたえがある。
 また、太鼓台で奏でられるお囃子、太鼓の響きも素晴らしい。場面場面で曲目が変わり、また、町によって異なるの曲もあり、祭り気分をより一層盛り立ててくれる。
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補足情報

*二本松神社:明治に編纂された『安達郡誌』によると、1643(寛永20)年、丹羽光重が二本松城主として白河から入封されると、「夙に敬神の志深く特に當社(熊野・八幡両社)を崇敬し、年社領五十石を奉納す。城廓(二本松城)を增築するに際し、光重八幡大神の靈夢に依りて狩野益信にご神體を描かせ自ら神號を書して當社に納められ、且つ城内は狭隘にして神威を汚瀆し奉らん」と考え、1661(寛文元)年に現在地に祀ったという。現在も向かって右の本殿に熊野宮、左の本殿に八幡宮が鎮座する。
*10月第1土曜日から3日間:祭日は、かつては旧暦8月14日から3日間行われ、一時新暦9月になり、1918(大正7)年の二本松大火から、10月4日から3日間としていた。2019年からは10月第1土曜から3日間となった。当初は3年に1度の祭りであったが、現在は毎年開催されている(2020年は神事のみ)。 
*囃子:太鼓台には大太鼓1個と締太鼓3個に、笛方2、3名、鉦1名、鼓1名が1組となって乗り込んでいる(鼓がない太鼓台もある)。伝えられている曲は太鼓台ごとに異なるが、「しゃんぎり」または「しゃぎり」は上り坂や太鼓台の方向転換の時などに威勢よく奏し、「若囃子」は上り坂の休憩時に、「祇園」は平坦地で奏でるなど、場面によって使い分けられている。このほか、「聖天」「祇園くずし」「角兵衛」「てんや」「豊囃子」「一本囃子」などの曲目がある。囃子の伝来については不明な点も多いが、江戸後期編纂の『相生集』にも「神楽太鼓」の記事がみえることから、当初から囃子は盛んだったと考えられている。
*1664(寛文4)年:祭りの起こりについては、『相生集』によると、「始め神輿の御渡はなかりしを寛文四年辰六月廿四日(竹)田町根崎町相はかりて愛宕の祭礼を営み初て神輿を渡し神楽太鼓を打て町々を押わたり櫻谷迄至りしに本町龜谷のもの之に與せざるを本意なくおもひ同年八月十五日兩社の祭禮をいとなみしより起これれり」と記されている。
関連リンク 二本松市(WEBサイト)
参考文献 二本松市(WEBサイト)
二本松市観光連盟(WEBサイト)
二本松神社(WEBサイト)

2023年07月現在

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