願成寺(会津大仏)がんじょうじ(あいづだいぶつ)

JR磐越西線喜多方駅の北6kmほどのところにある。願成寺の始まりは法然の高弟で浄土宗多念義派の祖隆寛が法難に遭い、奥州に配流となったが、途中相模国で遷化したため、1227(嘉禄3)年に意を受けた法弟の實成が遺骨を配所があった加納松原(現在地の南方)に葬り、一宇を建立したことによる。このため、同寺では隆寛を開山、實成を創立としている。
 その後、文禄年間(1593~1596年)には無住となり、御影堂などしか残らず荒廃のままとなったが、1664(寛文4)年に木食勤行僧の行誉が藩主保科正之に申し出て、現在地に移転して再興を果たし、同寺の中興の祖となった。さらに1680(延宝8)年、正之の子正経からは同寺の東約1.5kmにあった中村の三尊阿弥陀仏*の移設が許された。現在、鎮座する会津大佛阿弥陀三尊がこれにあたる。
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みどころ

境内を進むと正面にある江戸期前期建立の山門をくぐることになるが、東日本大震災の際の被災で彫刻の一部が取りはずされており、早期の修復が望まれる。
 山門をくぐると正面に本堂、右手に庫裏があり、本堂脇を抜けると、奥の正面が千仏堂。これはかつての阿弥陀堂で修復は繰り返されているが、1686(貞享3)年の造営とされる。右手に入ると現在の阿弥陀堂で、収蔵庫にもなっている。ガラス越しではあるが、自由に「会津大仏」と親しまれている阿弥陀如来及両脇侍坐像を拝観することができる。鎌倉期の仏像の造形的な特徴がよく表れており、写実的で、逞しい姿をみせている。千体仏をつけた舟形光背がまばゆい。東北地方における13世紀の本格的な阿弥陀如来三尊像として貴重な存在だとされている。
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補足情報

*中村の三尊阿弥陀仏:江戸後期の『新編会津風土記』によると中村に「昔来迎寺ト云寺アリ 何ノ頃ニカ廃シ 只堂ノミ存シ慈覺作ノ三尊彌陀ノ大佛ヲ安置ス…中略…延寶中(1673年~1681年)府ヨリ命シテ上三宮村願成寺ニ移シヌ」と記録されている。慈覚は9世紀の天台宗の大師だが、この阿弥陀仏は鎌倉初期作とみられている。中尊の阿弥陀如来は2m41cm、右の観音菩薩が1m29cm、左の勢至菩薩が1m30cm。いずれも寄木造といわれている。拝観料300円。