野口英世記念館のぐちひでよきねんかん

JR磐越西線猪苗代駅から南西に約3.5km、猪苗代湖北岸に近い国道49号線沿いにある。世界的な医学者野口英世*の偉業を記念してその生誕地に設けられたもので、生家と記念館が建っている。生家は1823(文政6)年に建てられたもので、野口英世は16歳まで過ごした。
 野口英世の死後の1929(昭和4)年に、保存、公開が決定し、現在は大きな覆屋根の下で維持保全されている。2019(平成31)年に国の登録有形文化財に登録された。野口英世(少年期は清作)が火傷をした囲炉裏も残っている。記念館は1939(昭和14)年に開館し、野口英世の足跡、功績を解説したパネルや自筆の手紙、自画像などの遺品、参考品を展示している。
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みどころ

野口英世の足跡、功績が、パネル、写真、イラストなど丁寧に分かりすく解説展示されている。また、日常生活や研究生活で使っていた遺品や母シカからの手紙*なども展示され、英世の性格や素顔、家庭環境なども理解できるようになっており、見学者が野口英世に親しみを感じてもらうために精巧な「野口博士のロボット」が話しかけてくれる仕組みの展示まである。
 2022年7月に、野口英世記念館となりに「野口英世記念感染症ミュージアム」が新たにオープンした。
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補足情報

* 野口英世:1876~1928年。1歳半で左手に大やけどを負うという苦難に遭遇したが、周囲の支援で克服。その際の体験から医学を目指し、アメリカのロックフェラー医学研究所を拠点に血清学や細菌学の研究に多くの功績を遺した。とくに黄熱病の研究には南米、アフリカの現地で研究を進めたが、ガーナのアクラで自らが黄熱病に罹患し亡くなった。
* 母シカからの手紙:母シカは文字を十分には書けなかったが、アメリカで研究を続けていた野口英世宛てに書いた愛情あふれる手紙が展示されている。 「おまイの しせにわ みなたまけました わたくしもよろこんでをりまする」 (お前の出世にみんな驚いています。私も喜んでいます)ではじまり、「はやくきてくたされ はやくきてくたされ いしよのたのみてありまする」(早く帰って来てください。早く帰って来てください。一生のお願いです)と長い年月会うことができない英世に、一目会いたいという気持ちを切々と綴り、「これのへんちまちてをりまする  ねてもねむられません」(この手紙の返事を待っています。寝ても眠られません)と締めくくっている。手紙を受け取った英世は、1915(大正4)年に15年ぶりに帰国し母と再会した。