恵隆寺(立木千手観音)えりゅうじ(たちきせんじゅかんのん)

恵隆寺は、JR只見線塔寺駅から東へ1.5km、会津坂下駅からは北西に約3kmの微高地に建つ。「立木千手観音」は恵隆寺の本尊で、観音堂*に納めれている。恵隆寺の起源は、欽明天皇のころ(540年ごろ)、2.5kmほど西北にある高寺山遺跡の場所に梁国の僧青岩によって開かれ一時は隆盛を誇ったが、慧日寺(磐梯町)との戦いに敗れ荒廃し、1190(建久元)年に現在地で再興されたものと伝えられる。西側にある心清水八幡神社の別当寺であったともいわれている。
 「立木千手観音」は立木に彫り込んだものとされる一木彫成の立像で、8.5m余りの巨像。特別公開時を除くと、幅10mほどの斗帳(大きな垂れ幕)によって隠され堂外からは観ることはできないが、拝観料を志納すれば堂内に入ることができ、斗帳の内から国の重要文化財に指定されている立木千手観音像と眷属の二十八部衆に近づき、間近に拝観することができる。
 寺伝では「立木千手観音」は弘法大師作と伝えるが、おそらくは、納められている観音堂と同じく、移転再興された鎌倉期の建立と見られている。観音堂については江戸後期の『新編会津風土記』によると、慶長十六(1611)年の地震で被害にあったが、江戸初期に大修理がなされたと思われる。
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みどころ

ぜひ拝観料を志納して観音堂内に入り、8.5m余りの立木千手観音立像や脇侍の迫力ある姿を仰ぎ見ることをおすすめしたい。また、茅葺の観音堂は小規模ながら鎌倉期の重厚さを残しており、存在感がある。
 境内の南側には国指定の重要文化財「旧五十嵐家住宅」が移築され、小公園になっている。「旧五十嵐家住宅」は1729(享保14)年に建築された会津地方の本百姓の住居である。会津盆地の広々とした水田地帯を眺望しつつ、往時の観音信仰の篤さや生活ぶりを窺いが知ることができる。
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補足情報

*観音堂:桁行5間(9m)、梁間4間(7.2m)単層寄棟造、茅葺屋根。鎌倉期の特徴をよく残した構架手法や細部型式がみられ、内部はあくまでも質実剛健で簡素な造り。観音堂の内陣にある「だきつき柱」に抱きついて願いごとを唱えれば、願いが叶うといわれている。
関連リンク 恵隆寺(立木観音)
参考文献 恵隆寺(立木観音)
立木千手観音 パンフレット
『大日本地誌大系  第33巻 新編会津風土記 第1至5』花見朔巳 雄山閣 国立国会図書館デジタルコレクション
福島県(WEBサイト)
植田龍「ふくしまの古寺社紀行」 歴史春秋社

2023年08月現在

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