只見川ただみがわ

福島・群馬県境の尾瀬沼、尾瀬ヶ原に源を発し、山間部を一旦北に流れ、福島県西部では北東に向かい、途中伊南川、野尻川などを合わせ、喜多方市で猪苗代湖から来る日橋川と合流して阿賀川となる全長137kmの川。阿賀川は新潟県に入ると阿賀野川と名を変え日本海に注ぐ。
 只見川の上・中流部は深い山間部で上流部の只見町までの 50kmは会津駒ケ岳(標高2,132m)、会津朝日岳(同1,624m)の西側に滝や峡谷を刻み、浅草岳(同1,585m)の南にダム湖の田子倉湖を造るなど、豪雪地帯の険しい山々に川筋を記している。このため流域は水量・落差ともに大きく水資源の宝庫であることから、日本の戦後復興政策として1950(昭和25)年に施行された国土総合開発法では特定地域として指定された。これにより田子倉ダム*、只見ダム*、奥只見ダムなど国内有数の規模を誇る10ヶ所のダムと水力発電所が建設され、日本の高度成長経済を支えた。
 田子倉湖から三島、柳津の中流域*では、川幅は広がるものの河岸段丘に深い渓谷を刻み、新緑や紅葉が映え、景勝地が続き、下流域の柳津から坂下、喜多方では会津盆地の水田地帯を形成している。
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みどころ

只見川のみどころのひとつは、深い渓谷に架るJR只見線の鉄橋。アーチ型の鉄橋を、紅葉や新緑の中、ゆっくりと列車が渡っていく様は鉄道マニアでなくとも、どこか懐かしく心を踊らされるものがある。また、夏の朝や夕方に湧き出ることがある川霧はさらに幻想的な景観をつくる。一番のビューポイントは「道の駅 尾瀬街道みしま宿」から遊歩道で行くことができる展望台からの第一只見川橋梁や第二只見川橋梁。ほかにも只見線のビューポイント、撮影ポイントがあるので、探しながら只見川沿いの国道252号線を遡上するのも面白い。
 上中流部では国内有数の規模を誇るダム群の威容を見学するのも面白い。田子倉ダムが造り出した田子倉湖では展望台があり、ビュースポットになっている。特に紅葉、新緑の頃の景観は美しい。また、イワナ、サクラマスなどの釣りも楽しめる湖でもある。只見ダムのダムサイトには「J-POWER只見展示館」があり、発電所の模型やパネルが展示され水が電気を生みだすプロセスを解説しているほか、VR等で発電所内部を見ることができる。また、只見湖には一周約5kmの湖岸道賂があり、周辺は格好のハイキングコースで、ルアーフィッシングでのマス、イワナ釣りもできる。
 只見川沿いは司馬遼太郎の小説『峠』の舞台にもなっている。この小説は越後長岡藩家老河井継之助の生涯を描いたもので、主人公が戊辰戦争で新政府軍との戦いに敗れ長岡から会津若松に向かったが、塩沢村(現・只見町)で客死した。この際の主人公が八十里越えを経て只見に入る風景を司馬遼太郎は「それにしてもこの峠の長大さは、どうであろう。樹海は眼下にあり、道は天空に連なってゆく」とその山深さを描き、河井の自嘲の句である「八十里こしぬけ武士の越す峠」も紹介している。只見町塩沢には「河井継之助記念館」があり、幕末に苦闘した河井継之助を知り、司馬遼太郎の出世作である『峠』の世界に浸るのもよい。
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補足情報

*1 田子倉ダム:発電所の総出力は38万kW。高さ145m、長さ462mの重力式コンクリートダムで、ダム直下にある発電所で4台の水車発電機を運転している。田子倉ダムと発電所は1961(昭和36)年竣工。建設のため資材運搬用の専用鉄道として現在のJR只見線が敷設された。ダム湖が田子倉湖である。                                                                                      *2 只見ダム:田子倉ダム下流約3kmの所に造られた只見ダムは高さ30m、長さ582.5mのロックフィルダム。発電所は水車発電機により6万5千kWの出力。1989(平成1)年7月運転開始。ダム湖が只見湖である。
*3 中流域:下流域も含めダムができるまでの只見川は、洪水が多く発生し橋の流失が多いところだったため、舟による渡しが昭和期まで続くところもあった。会津坂下の片門と対岸の船渡集落は、16世紀初頭には舟の渡しがあったとされ、明治初期から大正初期にかけては、船を何艘も並べた上に板を敷いた船橋があったことも記録に残っている。1878(明治11)年にこの地を訪れた、イギリスの女性探険家イザベラ・バードは『日本奥地紀行』の中で「これは十二隻の大きな平底船から成る橋で、どの船も編んだ藤蔓の丈夫な綱で結んでいる」と記している。なお、現在、三島町早戸温泉と対岸の廃村となった三更集落との間に霧幻峡の渡しとして復活させる取組みが行われ、柳津では只見ラインとして遊覧船が就航している。