前沢の町並みまえざわのまちなみ

会津鉄道会津高原尾瀬口駅から国道352号線を西に向かって約22kmのところにある。前沢集落は、現在の金山町横田(JR只見線会津横田駅付近)に本拠地があった山内氏勝が1590(天正18)年に伊達政宗勢との戦い敗れ越後に去ったのに伴い、その家臣であった小勝入道沢西が文禄年間(1592~1595年)にこの地に移り住んだのが始まりという。このため、現在も集落内のほとんどが「小勝」姓である。
 江戸後期編纂の『新編会津風土記』では「家數十三軒東西四十一間(74m)南北三十間(54m)山間ニアリ東北ハ立岩川ニ近シ」と記され、鹿島神社が「村西ニアリ」、薬師堂が「村東二十間ニアリ享保中ココニ移セリ」ともある。江戸後期には村の態様が出来上がっていたとみられる。しかしながら、1907(明治40)年に大火に遭い、大半の建物を焼失した。現在の集落は大火の後に3年ほどかけ再建したため、統一的な意匠による景観形成がなされた。
 多くの家屋(主屋)は、茅葺き屋根でL字型の中門造(曲家)となっている。中門造(曲家)は、かつて家族同様に大切にされた農耕馬と住民が雪国で一緒に生活するための構造となっている。妻側(建物の棟に直角に接する側面)には、明かり取りの窓、梁と貫の木組み、前包の彫刻、狐格子など構造的に強く意匠性の高い工夫がなされている。
 集落内には、中門造り(曲家)13棟を含む伝統的家屋が19棟*ある。現在、集落全体を「前沢ふるさと公園」としており、集落の前を流れる舘岩川の橋の対岸に駐車場と受付(有料)がある。駐車場には「そば処曲屋」、公園内には曲家資料館、しょうぶ園、水車小屋などもある。
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みどころ

現在も住民が農業など日常生活を送っており、暮らしそのものが息づいている。そのため、観覧者は、まず、国道352号線側の駐車場の受付に寄ってから、徒歩で橋を渡り、集落の中を散策することになる。最初に集落の一番手前にある曲家資料館で、中門造を理解したうえで、集落内を巡るとより一層興味が深まる。まさに東北地方の農村の原風景が広がっている。集落全体を見渡したい場合は、国道352号線側に戻り、正面の山の中腹に展望台がある。展望台までは急坂で足元が悪いので注意が必要だが、集落全体を俯瞰でき、その眺望は素晴らしい。
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補足情報

*伝統的家屋が19棟:このうち1907(明治40)年の大火以前の建物は蔵など4棟。中門造(曲家)の13棟のうち10棟が茅葺き屋根を維持している。
関連リンク 前沢曲家集落(前沢景観保存会)(WEBサイト)
参考文献 前沢曲家集落(前沢景観保存会)(WEBサイト)
『新編会津風土記 第35ー47』会津藩地誌局 万翠堂 国立国会図書館デジタルコレクション
「前沢ふるさと公園」パンフレット
「南会津町前沢」パンフレット

2023年07月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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