柳津七日堂裸詣りやないづなのかどうはだかまいり

毎年正月7日午後8時30分*、一番鐘を合図に、福満虚空蔵尊(圓藏寺)の菊光堂(当日は七日堂と呼ぶ)を目指し下帯姿の男衆が石段を駆け上がり、手水鉢の水で身を浄め、先を争って堂内に下げられた金属製の音響具「鰐口(わにぐち)」の5mほどの太い打ち綱をよじ登る祭り。正式には牛王祭と呼ぶ。
 宝珠を奪おうとした只見川の龍神を村人が騒ぎたて追い払ったという伝説*にちなんで、無病息災と招福を祈って行われている。祭りへの参加は自由*。参加者には祭りの名入り手拭と牛王の矢が授けられる。翌朝午前4時に初御開帳。
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みどころ

凍てつくような寒さのなか、下帯だけの男衆が湯気を立てながら菊光堂(七日堂)に駆け込み、押し合いながら、次々に綱登りに挑戦する。5mほどの綱を登りきる人、登りきれない人など、その度に喚声があがり、堂内は熱気が充満する。力感あふれる祭り。
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補足情報

*1午後8時30分:かつては丑の刻(午前1~3時)に行われていた。現在は午後8時30分から午後10時まで。
*伝説:裸祭の由来については諸説ある。明治期の『河沼郡案内』には「七日堂(一月七日)には遠近の人々相集り裸体となり虚空蔵堂にお籠をなす事なるが堂中蟻の匐ふ間もなく人の頭上を歩む事も得べし、之れ此の夜、龍宮より怪神來たり牛王の玉を奪はんとするるに依り夫れを防ぐ爲めなりとの俗説あり」としている。また、1655(寛文5)年『稲河領牛澤組郷村萬改帳』では、空海が本尊を彫り出す木を川から拾い上げた地元の漁師十郎右衛門に「旧正月七日丑の刻に裸参りを行い、牛王を拾うとその者に福が授かり、運が開ける」というお告げがあったのが始まりだともしている。これらの伝説の多くは如意宝珠(一切の願いが叶えられるという不思議な玉)信仰に基づくもので、龍神伝説とも結びついた言い伝えが由来となっている。また、裸参りは全国各地にあるが、祈願の際に清浄・潔白な証しを示すためだったといわれている。
*参加は自由:参加料は無料だが下帯は購入する。更衣場所は提供される。

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