安達太良連峰あだたられんぽう

二本松市街の西約15kmに位置する安達太良連峰は、吾妻山と土湯峠で分かれて南へ9kmにわたって延びる火山連峰である。乳首山と呼ばれる標高1,700mの安達太良山*を主峰に、南端の和尚山(標高1,601m)、主峰から北に向かって鉄山(標高1,709m)、箕輪山(標高1,728m)、鬼面山(標高1,482m)など200~500mの円錐形をした火山が連なり、主峰の山頂直下には直径約2kmのクレーターのような爆裂火口、沼ノ平をもつ。標高のわりには高山の様相*を呈し、稜線からは磐梯山とそれをとりまく湖、吾妻・飯豊・蔵王などの連峰が望まれる。麓には岳温泉*をはじめ、いくつもの温泉を擁する。
 安達太良連峰の形成は3つの活動期に分かれ、最初は約55万年前に始まり、北端の鬼面山付近に溶岩ドームが生じ、第2期は35万年前くらいから火山活動が始まり、南端の和尚山をはじめ南部、南東部の火山列が誕生した。さらに約25万年前からの第3期の火山活動で安達太良山、鉄山、箕輪山などの中心部や溶岩台地が形成された。岳温泉近くの奥岳登山口からロープウエイ(ゴンドラ)が架る薬師岳(標高1,350m)はこのときに生まれたと言われる。有史以降の活動は穏やかであったが、1889(明治22)年活動を始め、1900(明治33)年に大爆発*を起こし、長径300mを超える爆裂火口が生じた。
 登山口は奥岳登山口、塩沢温泉登山口、土湯峠登山口、沼尻温泉登山口、石筵登山口などがある。安達太良山山頂へのアクセスが短いのは、奥岳登山口から薬師岳山頂までロープウエイを使い登り、仙女平分岐を経て山頂に向かうコース。高山植物を楽しむことができる鬼面山へは土湯峠登山口からのアプローチが良い。
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みどころ

深田久弥は『日本百名山』のなかで安達太良山の名を不朽にしたとして 「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川」と詠んだ高村光太郎の『智恵子抄 樹下の二人』の詩を紹介している。高村光太郎はこの詩のなかで、智恵子が故郷の安達太良山や阿武隈川の風景をいかに愛していたかを繰り返し詠み込んでいる。
 深田久弥はその安達太良山の山容については「一つの独立峰の形ではなしに、幾つかの峰の連なりの姿で立っていた」と記し、「万葉集や智恵子が安達太良山と見たのは、その小さな乳首だけでなしに、その全体を指してのことだろう」として、連山全体が安達太良山なのだとしている。二本松から遠望できる安達太良山の優美な山容の素晴らしさが、万葉集をはじめ古くから多くの人々に愛されてきた所以だろう。
 山頂部は沼ノ平をはじめ荒涼とした景観だが、眺望は福島の名山が一望でき素晴らしい。さらに初夏ともなると連山の処々に高山植物が厳しい環境に耐え、群落をつくり目を楽しませてくれる。
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補足情報

*安達太良山:古くから地元民に愛されてきた安達太良山は、『安達郡誌』によれば「二本松嶽・西嶽・安達嶽・安達太良峰・嶽山又太華」などいろいろな名称で呼ばれてきたとし、『万葉集』など古くは「吾田太良、阿多々羅 安多々良」と表記する例もみられるともしている。このため由来については諸説あり、江戸後期の『相生集』でも「安達はもとより借字にて天立の意なるべし」とし「此あたりの群山にすぐれたれば太郎山という也」など数説取り上げているが不詳としている。
*高山の様相:山麓にはカラマツやブナ・ダケカンバなどが樹海をつくる。僧悟台、勢至平などの高原には7月ごろにはヤエハクサンシャクナゲが淡いピンクの花をつけ、コケモモ・コバイケイソウなどの高山植物の植生が見られる。
*岳温泉:安達太良山中には古くから温泉が湧出し、湯治などに利用されてきたが、火山活動や災害、戦い、火災などにより、温泉場は移転を繰り返し、岳温泉として現在地で再建されたのは、1923(大正12)年から。戦後に国民保養温泉に指定されるなど近代的な温泉地となった。安達太良山中の源泉から約8km引き湯をしている。源泉の泉温は54.5℃、泉質は単純酸性温泉でpH2.4と酸性度が高く、お湯は無色・澄明、若干硫黄臭がする。引き湯している宿、温泉施設は10軒ほど。
*大爆発:この爆発で沼ノ平にあった硫黄精錬所が吹き飛ばされ、82名が被災し死者72名の惨事となった。沼ノ平は現在、入域禁止になっている。