五色沼ごしきぬま

桧原湖南端のバス停磐梯高原駅から秋元湖寄りの裏磐梯ビジターセンター*(バス停五色沼入口)までの3.6kmの探勝路周辺に散在する大小30余りの沼を総称して五色沼湖沼群という。探勝路からは10数個の湖沼が観察できる。
 この湖沼群は1888(明治21)年の噴火*で磐梯山北側の山、小磐梯の山体崩壊により、岩屑雪崩が生じ、長瀬川とその支流が堰き止められ形成された。それぞれの沼は、コバルトブルー・エメラルド・オレンジと、さまざまに異なる色の水を湛えているようにみえる。このように多様な水の色を見せるのは、磐梯山の火口付近にある銅沼(あかぬま)を水源として地下水で連なっているほか、吾妻連峰からの水系からの流入や桧原湖の水などが混入しているためで、この水質の違いによって水中に沈殿・浮遊する鉱物や微生物が微妙に異なり、それに太陽光線の強さや角度、水深などが作用しているといわれている。
 酸性度が強く、多量のカルシウムと硫酸イオンが含まれるためプランクトンが少なく、湖面が青くみえる「るり沼*・青沼*・弁天沼*グループ(銅沼系)」、酸性度が低くプランクトンも生育し湧水もあるため多様な色を見せる「毘沙門沼*・竜沼・深泥沼*グループ」、 水質が中性であることから植生が豊かで、薄い緑色系の「もうせん沼・弥六沼・父沼・母沼・柳沼グループ」、それに銅沼の影響が強い「赤沼*」と、水質や植生によってこれらの湖沼群は4つのグループに区分することができる。
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みどころ

与謝野晶子が五色沼を訪れた際に詠んだ和歌に「醜くて痣かと見ゆる沼あり他の百の沼勝れたるため」「五色沼いくつかの色をしか呼べど數を知れるもあらぬ沼かな」とあり、五色沼が優れた景勝の地であることを詠み込んでいる。
 バス停五色沼入口から近い毘沙門天沼やバス停磐梯高原駅から比較的近い柳沼、るり沼、弁天沼などで折り返しても五色沼の素晴らしい景観を楽しめるが、やはり3.6kmの探勝路をじっくり歩き、沼ごとに違う景観、色合いを楽しむことをお勧めしたい。また、四季や天候、時間帯などによっても多彩な魅力をみせるので、できれば、シーズン、時間帯を変え、再訪したい。
 コースからは外れるがバス停磐梯高原駅から南へ徒歩5分の弥六沼も磐梯山を映して美しい。
 探勝路はアップダウンは少ないが、ごろごろとした岩やぬかるみになりやすい場所もあるので、足回りには気をつけること。
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補足情報

*裏磐梯ビジターセンター:五色沼探勝路の東側の入口にあり、五色沼探勝路のほか、裏磐梯の自然探勝路や磐梯山などの登山、磐梯高原の動植物に関する情報提供を行っている。バス停「五色沼入口」にも近い。
*噴火:1919(大正8)年発行の『耶麻郡誌』によると「明治二十一(1888)年七月十五日午前七時遠雷如き鳴動を生し遂に七時四十五分頃猛烈なる激動と共に小磐梯破裂し黒煙柱状をなし昇騰」したという。これにより「小磐梯山の山體は其大部分破壊飛散して其跡に北方に開けたる馬蹄形の爆裂火口を作りたり」とし、破壊噴出した岩石によって「田園財貨其害を被りたること少なからず 其岩塊泥土は北側に馳走し」秋元集落など数集落が埋没した。さらに「桧原川・長瀬川の谷を堰塞して所々に流水を瀦留し桧原湖・小野川湖・秋元湖等を現出」させたと記している。死者は476人に達した。高村光太郎は、裏磐梯の風景を「二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は険しく 八月の頭上の空に目をみはり 裾野とほく靡いて波うち 芒(すすき) ぼうぼうと人をうづめる」と『智恵子抄 山麓の二人』のなかで描写している。
*るり沼:水面標高815m、最大深度9m、面積約1万8,000m2。澄んだ青色をしており、湖面には磐梯山と周囲の緑や紅葉を映し、探勝路のなかでも最も優れたビューポイントのひとつ。
*青沼:水面標高815m、最大深度6m、面積約6,000m2。小さな沼だけに青の色合い濃く、強酸性の水質に浸った周囲の草葉の一部が漂白されている。
*弁天沼:水面標高810m、最大深度7m、面積約3万m2。二番目に大きい沼。青白く透き通った水の色で光の状況によって、その色合いも変化し興味深い。
*毘沙門沼:水面標高780m、最大深度13m、面積約15万m2。五色沼で最大の沼。ボート遊びも楽しめる。エメラルドグリーンの湖面が刻々と色合いを微妙に変化させ、磐梯山の眺望も良い。
*深泥(みどろ)沼:水面標高790m、最大深度5m、面積約1万3,000m2。プラクトンが豊富で湧水もあり多様な植生となり、小さい沼ながら水面の色合いも赤・青・緑などと多彩。
*赤沼:水面標高790m、最大深度4m、面積約2,500m2。銅沼(あかぬま)の影響が強く、鉄分の含有が多いところから、沼畔のヨシの根茎が鉄さび色している。水の色は深い緑色や赤さび色に見える。