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タイプ「建造物」
豊平館 ( 北海道 札幌市 )
豊平館は、札幌駅から南に約2.5km、地下鉄南北線「中島公園駅」から徒歩5分、中島公園*の中にある。北海道開拓の礎を築いた開拓使が、開拓使直営の洋風ホテルとして1880(明治13)年11月に建築した。2階建、亜鉛引鉄板葺で、現存する木造ホテルとしては我が国最古の建物であるが、ホテルとしてはほとんど使用されなかったという。しかし明治...
札幌市時計台(旧札幌農学校演武場) ( 北海道 札幌市 )
札幌市の中心部地下鉄大通駅の北、札幌市役所と道路を挟み斜め向かいにある。建物は北海道大学の前身である札幌農学校の演武場*として1878(明治11)年に建設された洋館である。 明治政府は「兵農一如」の考えのもと北海道内の各地に屯田兵村を開き、北海道の開拓と軍事的防備の役割を担わせた。このような北海道開拓の事情を背景に、札...
北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎) ( 北海道 札幌市 )
JR札幌駅の南西約500mに位置し、札幌駅前通りを大通り側に向かう途中、北三条交差点の右西側に銀杏並木越しに赤レンガの旧庁舎が目に入る。 1888(明治21)年、北海道庁の本庁舎として道庁技師の設計で建てられたレンガ造、ネオ・バロック建築様式の建物。通称「赤れんが庁舎」の名で道民に親しまれている。建物の塔頂部まで高さは33m、現...
北海道大学 ( 北海道 札幌市 )
札幌駅の北西側500m~2.5kmに位置する177万m2の広大なキャンパスで、この中に11の学部*が分散している。 北海道大学は、1876(明治9)年に設立された札幌農学校がその前身であり、当時の初代教頭のクラーク博士*は、わずか1年弱という短期であったが、キリスト教的フロンティア精神を残していった。札幌を去る際に言ったとい...
稚内港北防波堤ドーム ( 北海道 稚内市 )
稚内港北埠頭が旧樺太航路(稚泊(ちはく)航路:稚内-大泊、稚斗(ちと)航路:稚内-本斗(ほんと))の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道に波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、1931(昭和6)年から1936(昭和11)年にかけ建設された高さ13.6m、全長427mの防波堤。防波堤に沿って造られた70本の柱列とドーム型の屋根が...
博物館網走監獄 ( 北海道 網走市 )
網走湖の東北岸、天都山麓にある1912(明治45・大正元)年に建てられた網走監獄(現網走刑務所)の旧建造物を保存公開する野外歴史博物館。舎房及び中央見張所(重要文化財)、庁舎(重要文化財)、二見ヶ岡刑務所(重要文化財)、教誨堂(重要文化財)、煉瓦造り(登録有形文化財)、網走刑務所裏門(登録有形文化財)、哨舎(登録有形文化...
旧国鉄士幌線アーチ橋梁群 ( 北海道 上士幌町 )
上士幌町の市街地から糠平、十勝三股の山岳森林地帯を南北に貫く国道273号に並行して所々に見かける、かつての国鉄士幌線で使われたコンクリート造りのアーチ橋梁群。1987(昭和62)年に鉄路が廃止になり、現在は東大雪の開拓の歴史を伝える近代産業遺産として残されている。 このうちタウシュベツ川橋梁(通称めがね橋)は、ダム(糠平湖...
鰊御殿 ( 北海道 小樽市 )
小樽駅の北側、直線距離で約5kmの祝津にある高崎岬の高台にあり、日和山(ひよりやま)灯台やおたる水族館に隣接している。ここにある小樽市鰊御殿は、西積丹泊村から1958(昭和33)年この地に移築されたもと網元*の母屋で、間口29m、奥行13m、面積611.9m2の建物。鰊親方田中福松が1898(明治31)年に建築したもので、田中漁場の...
鶴の舞橋 ( 青森県 鶴田町 )
JR五能線陸奥鶴田駅の東、県道153号線を利用して約7kmで「つがる富士見荘」の駐車場に、そこから徒歩で橋のたもとに着く。1994(平成6)年7月8日、日本一長い木製の三連太鼓橋「鶴の舞橋」として架けられたもので、全長300m幅3m、青森県産のひば材の丸太3,000本、板材3,000枚を使った美しい形の橋である。2016年にテレビCM*で知名度が全国規...
太宰治記念館「斜陽館」 ( 青森県 五所川原市 )
津軽鉄道金木駅から徒歩7分のところにある。明治の大地主、津島源右衛門(太宰治の父)が建築した入母屋造りの建物で、1907(明治40)年6月に落成した。米蔵にいたるまでヒバを使い、階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の豪邸である。 戦後になってから津島家が手放し、1950(昭和25)年から...
青函トンネル記念館 ( 青森県 外ヶ浜町 )
青函トンネルは本州と北海道間の船舶輸送の代替手段として計画され、連絡船の海難事故*などにより建設が促進され、地質調査から貫通まで42年の時間をかけてとして1988(昭和63)年3月に開業している。青森県東津軽郡今別町浜名と北海道上磯郡知内町湯の里間53.85 kmを結ぶ鉄道トンネルであり、2016(平成28)年3月には北海道新幹線が開業し...
岩手銀行(旧盛岡銀行)旧本店本館 ( 岩手県 盛岡市 )
盛岡市中ノ橋通の交差点に位置する。1911(明治44)年に盛岡銀行の本店行舎として落成し、1936(昭和11)年に岩手殖産銀行(のちに行名を岩手銀行に変更)がこの建物を譲り受け、本店として利用しはじめた。その後、1983(昭和58)年に岩手銀行新社屋完成に伴い中ノ橋支店となった。 設計は東京駅丸の内口の赤煉瓦駅舎で有名な辰野金吾*...
旧第九十銀行本店本館 ( 岩手県 盛岡市 )
旧第九十銀行本店本館は、盛岡市中心部にあり、1910(明治43)年12月に完成した。設計は東京帝国大学を卒業して間もない、盛岡出身の建築家横濱勉によるもの。 構造は、煉瓦造2階建(一部地下1階)、建物面積264.61m2、正面から見て非対称の建物で、屋根はドーマー窓*により飾られ、天然スレートおよび銅板で葺かれたマンサー...
紺屋町番屋 ( 岩手県 盛岡市 )
盛岡市の中心部に位置する。1891(明治24)年に盛岡消防よ組番屋として現在地に建てられた建物を1913(大正2)年に消防組第四部事務所として改築されたものが現在の建物といわれる。 昔ながらの望楼が目をひく木造洋風建築の典型といわれる建造物で、2018(平成30)年に盛岡市の景観重要建造物、2020(令和2)年に盛岡市の歴史的風致形成...
宮守川橋梁(めがね橋) ( 岩手県 遠野市 )
遠野市内、JR釜石線の宮守駅から徒歩約10分、JR釜石線の宮守駅と柏木平駅の間にある。アーチ状のコンクリート製の橋で、特徴的な形状から通称「めがね橋」とよばれている。岩手軽便鉄道が花巻から仙人峠間を走る狭軌鉄道として、1915(大正4)年に開通、1943(昭和18)年に改修されて現在の橋となった。旧橋の橋柱の一部が遺構として残ってい...
旧小坂鉱山事務所 ( 秋田県 小坂町 )
JR花輪線十和田南駅から北へ約9km、明治から大正期にかけて日本でも有数の鉱産額を誇った鉱山の町、小坂町のシンボルとして建つ。 小坂の鉱山は、1861(万延2・文久元)年小坂村の農民により銀山として発見された。その後、南部藩が経営に乗り出したが、明治維新後に官営化され、1884(明治17)年に藤田組に払い下げられ、銅を主力に金・...
十和田ホテル本館 ( 秋田県 小坂町 )
十和田湖の西畔、湖を見渡す高台に建つホテル。本館と新館の2棟が並ぶが、本館は1938(昭和13)年に竣工し、翌年6月に県営ホテルとして開業した。本来は1940(昭和15)年に開催予定であった「東京オリンピック」を前に、政府の要請で全国に建てられた訪日外国人観光客向けの宿*1としての、ホテルのひとつだった。しかし、オリンピックが中止...
旧料亭金勇 ( 秋田県 能代市 )
JR五能線能代駅から西へ900mのところにある。1937(昭和12)年に秋田スギなどの良材をふんだんに使って施工された大規模和風建築物。1階には庇、2階のガラス窓に手摺りがつけられ、正面及び側面の両端は入母屋造の屋根となっている。室内は、110畳ほどの2階大広間をはじめとして各部屋とも手が込んだ造作がなされており、秋田スギほか、マツ...
山居倉庫 ( 山形県 酒田市 )
JR羽越本線酒田駅から南へ約2km、市街の南部、新井田川の河口近くにある庄内米の貯蔵庫。酒田は古くから庄内のみならず、奥羽地方の米の集散地*であった。現在の倉庫は酒田米穀取引所*の設立に尽力した旧庄内藩の藩主酒井家が、取引所の付属施設として1893(明治26)年に建設したものである。米の収容能力は、最大時の昭和初期には15棟で約...
本間家旧本邸 ( 山形県 酒田市 )
JR羽越本線酒田駅の西南約1km、山居倉庫から北東に500mほどのところにある。酒田の豪商、本間家*3代光丘が1768(明和5)年に幕府の巡見使一行の宿として建築し、庄内藩主酒井家に献上した武家屋敷。その後、本間家が拝領し、代々、本邸として使用した。一つ屋根の下に武家屋敷と商家造り*が一体となった全国的にも珍しい建物である。 敷...
山形市郷土館(旧済生館本館) ( 山形県 山形市 )
JR奥羽本線山形駅からすぐ北に広がる霞城公園*内に建つ。現在、山形市郷土館として使用されている旧済生館本館は、1878(明治11)年に創建された。1階は八角形、2階は十六角形をした3層4階建ての擬洋風建築物*である。初代山形県令の三島通庸*は政府の威信を高め、近代化を推し進めるために、街の中心部に県庁、郡役所、師範学校など多く...
旧有路家住宅(封人の家) ( 山形県 最上町 )
JR陸羽東線堺田駅の北東400m、国道47号に面している。雪の多い東北地方によくみられる広間型*と呼ばれる造りの約81坪の民家。築300年以上といわれ、松尾芭蕉*が「おくのほそ道」*の旅で宿泊したとされる唯一の現存する家である。 芭蕉は雨に降り込まれ、この家に1689(元禄2)年5月15日から17日(新暦では7月1日から3日)まで滞在した...
旧致道館 ( 山形県 鶴岡市 )
JR羽越本線鶴岡駅から南へ約2km、鶴岡公園の東南、鶴岡市役所前に位置する。致道館は庄内藩*酒井家第9代藩主酒井忠徳が藩制の緩みから武士の風紀の退廃を案じ、学問により正すことを目指し、1805(文化2)年に創設した庄内藩の藩校。致道館の名称は、論語の「君子學以致其道(君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス)」による。当初は鶴ケ岡城の城外に...
国指定史跡 松ヶ岡開墾場 ( 山形県 鶴岡市 )
JR羽越本線鶴岡駅から南東約8kmにある。譜代大名・酒井氏を藩主とする庄内藩は、江戸時代末期、江戸市中取締まり役を担い治安を守っていた。1867(慶應3)年、幕命により江戸の薩摩藩焼き討ちを決行したことをきっかけに、翌年、鳥羽・伏見の戦いが起こり、戊辰戦争が始まる。庄内藩は会津藩らとともに新政府軍と戦ったが、会津藩が破れ、最...
天鏡閣 ( 福島県 猪苗代町 )
猪苗代湖の北西岸、長浜を見下ろす丘陵に立つ故有栖川宮威仁親王の旧別邸で、八角塔屋(展望室)付ルネッサンス様式風の和洋折衷の2階建洋館。1908(明治41)年の建築。建物の規模は建築面積492m2 、延床面積927m2 、総高17.9mである。皇太子であった嘉仁親王(のちの大正天皇)が「天鏡閣」と命名*した。 各部屋...
日新館 ( 福島県 会津若松市 )
JR磐越西線広田駅から東北に約1.4km、江戸期の会津藩の藩校であった日新館を1987(昭和62)年に復元したもので、会津若松市街を見下す高塚山にある。かつての藩校*があった場所は鶴ヶ城の西出丸(馬場郭)濠端の米代(よねだい)であるが、現在、その場所には日新館天文台跡を残すのみである。日新館は白虎隊の出身校としても知られる。 ...
弘道館 ( 茨城県 水戸市 )
1841(天保12)年、徳川斉昭*が当時、内憂外患だった時勢に対応するために水戸城三の丸に創設*した藩校。ここで尊王攘夷運動に活躍した人材が育成された。『弘道館記』に示されたごとく神儒合一・文武不岐・学問事業の一致を目的に水戸学*の振興・尊王攘夷論が展開された。儒学・武道のほかにも医・薬・天文・地理などの実学も重んじられ...
日立駅 ( 茨城県 日立市 )
日立駅は、1897(明治30)年に開業(当時は助川駅)した。当初は日立鉱山の積み出し駅として、その後は日立製作所に関連する貨物取扱などで重要な役割を果たしてきた。現在は貨物駅も含め縮小されているが、1日の乗降客が1万人を超えるJR常磐線の主要駅のひとつである。 駅は市街地を背に太平洋を前面にして、30mほどの高さの海岸段丘の...
足利学校跡 ( 栃木県 足利市 )
JR足利駅の北西500mにある。創建については、平安初期の小野篁説や、鎌倉時代初期の足利義兼説がある。歴史が明らかになるのは室町中期以降で、1439(永享11)年に関東管領上杉憲実が鎌倉の禅宗五山のうち円覚寺の僧快元を初代庠主(しょうしゅ)*として学校を整備し、学則を定め学生を養成した。憲実以後もその子憲忠などが学校の基礎を固...
日光田母沢御用邸記念公園 ( 栃木県 日光市 )
御用邸は1899(明治32)年に嘉仁親王(大正天皇)の静養のために造営され、1947(昭和22)年に廃止されるまでの間、三代にわたる天皇・皇太子が利用された。明治期の御用邸の中でも最大規模の木造建築で、本邸が現存する唯一の建物である。 もとはこの地にあった個人の別邸に、当時、旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部(現存の三階建て部分)...
中禅寺湖畔大使館等別荘群 ( 栃木県 日光市 )
蒸し暑い東京の夏を避けて、在住外国人は、日光、箱根、軽井沢などに別荘を構えた。 中禅寺湖畔は、1877(明治10)年以降、外国人の避暑地として注目されたことから、欧米人の趣向にあわせたヨット・マス釣りなどの遊びがいち早く導入された。大正から昭和初期に湖畔には、貿易商や外国人大使館の別荘が40軒以上設けられた。大使館関係で...
日光金谷ホテル ( 栃木県 日光市 )
東照宮の雅楽師であった金谷善一郎は、1870(明治3)年、宿泊したヘボンに外国人相手の宿泊施設を造るようにすすめられ、3年後、本町にあった自宅の一部を改造し、外国人向けに「金谷カッテジイン」として開業した。建物は江戸時代の武家屋敷で、約20年間外国人からは「サムライハウス」の愛称で親しまれた。木造2階建てで九つの和室のうち七...
明治時代の別荘建築 ( 栃木県 那須塩原市、矢板市 )
那須野が原の開拓は、印南・矢板らの「那須疏水の開削」と結社農場、青木、松方、大山ら政府高官や旧藩主などによる大農場によって進められた。 旧青木家那須別邸:明治時代の外交官青木周蔵が、1881(明治14)年の青木開墾(青木農場)開設後、1888(明治21)年に建築した。その後、1909(明治42)年に大改築をして、現在の姿になる。白...
碓氷峠鉄道施設 ( 群馬県 安中市 )
横川駅から鉄道文化むら、旧丸山変電所、峠の湯、めがね橋(碓氷第3橋梁)を経て熊ノ平まで、6kmの信越本線アプト式鉄道*時代の廃線跡「アプトの道」周辺の鉄道施設群。線路や枕木を取り除き、歩きやすい道として整備されており、第1号から第10号までのトンネル、めがね橋を含め3つの橋梁がある。 旧丸山変電所は碓氷線電化のため、1912...
富岡製糸場 ( 群馬県 富岡市 )
富岡市の中心、上信電鉄上州富岡駅の南西部約1kmに位置する、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」*の中心的な構成資産。 明治維新後、日本の近代化を目指した政府は、外貨獲得のため、生糸の品質改善・生産向上を目指し洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決める。工場建設の基本的な考え方は、「洋式の製糸技術の導入...
深谷の煉瓦とレンガ建物群 ( 埼玉県 深谷市 )
渋沢栄一ほか4名により、1887(明治20)年、日本煉瓦製造株式会社は設立された。渋沢栄一の郷里に近い現在の深谷市上敷免に工場が設立されることになり、ドイツ人技師チーゼを招いて1888(明治21)年に操業を開始。この工場で生産されたレンガは、東京駅、赤坂離宮、東京大学などに使われた。 チーゼの居宅兼事務所として建てられた木造洋館...
首都圏外郭放水路 ( 埼玉県 春日部市 )
東武アーバンパークライン南桜井駅から車で約10分。首都圏を洪水から守るために、国土交通省が建設した世界最大級の地下河川「首都圏外郭放水路」。1993(平成5)年に着工し、2006(平成18)年に全区間の完成と全川供用開始。 各河川から水を取り入れる流入施設及び立坑、地下放水路、調圧水槽、水を排出する排水機場等で構成されている。...
東京湾アクアライン(一般国道409号) ( 千葉県 木更津市 / 神奈川県 川崎市 )
東京湾アクアラインは、川崎側から約10kmのシールドトンネル、木更津側から約5kmの橋梁、トンネルと橋梁の接続部に設置された人工島(海ほたるパーキングエリア)、および換気用の人工島(風の塔)で構成される、1997年(平成9年)12月18日に開通した自動車専用の有料道路。 東京湾アクアラインは、民間企業と地方自治体、日本道路公団が...
横浜ベイブリッジ ( 神奈川県 横浜市 )
横浜港の大黒ふ頭と本牧ふ頭を結ぶ横浜港横断橋で、全長860mの斜張橋*。横浜港の国際港としての機能強化を目的に、港湾物流の一端を担う輸送路として1989(平成元)年に開通した。橋は上下2層に分かれており、上層には首都高速湾岸線、下層には国道357号が通っている。
鎌倉文学館 ( 神奈川県 鎌倉市 )
長谷大仏の近くにある旧加賀藩前田家第16代当主で侯爵の前田利為の別邸を改築し、1985(昭和60)年に文学館としてオープンした。鎌倉文学史を概観できる展示室や講座室がある3階建の本館と、2階建の収蔵庫(非公開)がある。 本館の展示室は、旧前田邸のなごりの客間や居間などを利用している。建物は、西洋の木造建築ハーフティンバー様...
旧吉田茂邸 ( 神奈川県 大磯町 )
1884(明治17)年に、吉田茂*の養父吉田健三がこの地に土地を購入し、別荘を建てた。その後増改築を重ね、吉田茂は1945(昭和20)年頃から生涯を閉じる1967(昭和42)年までここで過ごした。政界引退後も多くの政治家が吉田のもとを訪れ、「大磯詣で」と呼ばれ、近代政治の舞台となった。 数寄屋造りの本邸は、大部分が建築家吉田五十八...
古我邸 ( 神奈川県 鎌倉市 )
幕末の横浜開港後、横浜の居留地に住む外国人たちは鎌倉をリゾート地として見出し、頻繁に訪れるようになった。その後、JR横須賀線の開通を契機に、洋風の別荘が相次いで建てられた。 古我邸は、三菱合資会社の専務理事だった荘清次郎の別荘として15年を費やして建てられた。関東大震災後の対策会議もここで開かれた。 1937(昭和12)...
渡邉邸 ( 新潟県 関川村 )
JR米坂線越後下関駅の東、旧米沢街道沿いにある。渡邉家初代は村上藩士で郡奉行を務めたが、1667(寛文7)年に隠居して現在地に転居した。二代目は廻船業や酒造業で財を成し、新田開発をするなど大地主に発展していった。三代目は、1726(享保11)年以降、財政難に苦しんでいた米沢藩への融資を幕末まで続け、その額は10万両を超えた。その功...
旧笹川家住宅 ( 新潟県 新潟市 )
笹川家は、安土桃山時代の信濃国水内郡笹川村から、この味方の地に移住し、1970(昭和45)年にこの地を離れるまで、14代300年以上にわたって続いた名家である。1649(慶安2)年から明治維新までは、9代にわたり味方組8か村、約8千石を束ねる大庄屋をつづけた。年貢の取りまとめ、藩から与えられた警察権・裁判権を行使していた。その一方で、...
北方文化博物館 ( 新潟県 新潟市 )
阿賀野川西岸の小さな集落沢海に、江戸中期、農より身を起こし、代を重ね越後随一の大地主になったのが伊藤家である。明治に入り、農地の集約を計り、全盛期には、所有の田畑1,372町歩(約14ha)、山林1,000町歩(約10ha)を超え、差配人78名、米蔵58か所、小作人2,800名を数え、作徳米約3万俵といわれ、昭和期には県下一の地主となった。 ...
市島邸 ( 新潟県 新発田市 )
月岡駅の北西にある。阿賀野市水原の市島家*旧邸が戊辰戦争の兵火により焼失したあと、1876(明治9)年に建てられたもの。 現在、2万6,000m2の敷地に、茶室の水月庵、約150mの渡り廊下、93畳の広さがある南山亭など明治初期の建築作風を残した2,000m2の建物と、広い回遊式庭園の静月園、背後に竹林・梅林がある。...
成巽閣 ( 石川県 金沢市 )
兼六園の南東の一角にある。1863(文久3)年、13代加賀藩主前田斉泰(まえだなりやす)が建てた母真龍院の隠居所。近世大名御殿建築の貴重な遺構で、1階謁見の間は幕末期の書院造の好例とされる。御殿の各室内には、前田家伝来の調度品・美術工芸品を展示し、歴史博物館として一般公開されている。同御殿は、明治維新を機に兼六園が公園化す...
時國家 ( 石川県 輪島市 )
1185(文治元)年に能登へ配流された平大納言時忠(ときただ)*の子孫である時国氏の屋敷。源氏による迫害を恐れた時忠の子時国が、名前を姓とし、さらに転居して、農業・製塩業・金融業・海運業などの多角経営で富をなし、時国村を成した。1581(天正9)年、能登は加賀前田藩領となったが、1606(慶長11)年に時国村の一部が越中から移って...
重要文化財・旧三笠ホテル ( 長野県 軽井沢町 )
洋式の2階建の建築物で、1905(明治38)年に日本郵船・明治製菓役員の実業家山本直良(やまもとなおよし)が建造、明治期の純西洋式木造ホテルとして、わが国で2番目に古いとされている。 かつては政財界人が集い「軽井沢の鹿鳴館(ろくめいかん)」として賑わい、太平洋戦争中は外務省出張所となった。戦後はアメリカ軍に接収されたが、195...
軽井沢教会群 ( 長野県 軽井沢町 )
英国聖公会の宣教師として派遣されたアレキサンダー・クロフト・ショーが軽井沢に訪れ、夏を過ごしたのがリゾート軽井沢の始まり。その後外国人の避暑地として人気が高まり、多くの外国人が訪れるようになった。そのため様々な教会が作られ、2018(平成30)年度の軽井沢のパンフレットでは20ほどの教会が紹介されている。そのうち軽井沢の主...
国宝 旧開智学校校舎 ( 長野県 松本市 )
1876(明治9)年に建てられた擬洋風*建築物で、木造2階建、中央部に八角塔がそびえ、明治維新の遺風を偲ばせる。擬洋風学校建築の代表作と評価されている。設計・施工は松本の大工棟梁立石清重で、上京して当時の開成学校の校舎などを研究したといわれる。
牛伏川フランス式階段工 ( 長野県 松本市 )
松本市の南東、鉢伏山(はちぶせやま)の中腹標高1,000mにある牛伏川フランス式階段工は、1918(大正7)年に完成した治山治水の土木施設。 新潟県下の信濃川で多くの災害が相次ぎ、明治時代には信濃川改修問題が起こった。この問題の主たる要因となる土砂の供給源が長野県の水源地帯、中でも牛伏川にあるとされていた。そのため1885(明治...
読書発電所諸施設 ( 長野県 南木曽町 / 長野県 大桑村 )
南木曽町中心部から北部大桑村にかかる木曽川にある発電所に関する諸施設。北から読書ダム、柿其(かきぞれ)水路橋、読書発電所、桃介(ももすけ)橋、福沢桃介記念館など。 中心施設である読書発電所は1923(大正12)年、大同電力株式会社によって水路式発電所として建設されたもの。当時は大同電力社長福沢桃介が、「一河川一会社主義...
蓬莱橋 ( 静岡県 島田市 )
JR東海道本線島田駅から南東に約1.5km、大井川にかかる蓬莱橋は、全長897.4m、通行幅2.4mの木造歩道橋。 江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が1869年(明治2)年に静岡へ移住した際、付き従ってきた旧幕臣たちが大井川右岸の牧之原に茶畑を開拓するために入植した。この橋は、その旧幕臣たちが島田の市街との往来を確保するために、1879(明治12...
韮山反射炉 ( 静岡県 伊豆の国市 )
伊豆箱根鉄道伊豆長岡駅から東へ約1.5kmにある。反射炉*1は韮山の代官・江川太郎左衛門英龍*2が、国防上の必要から幕府に建議進言して、1855(安政2)年に築いた金属溶解炉。当初、建設地は下田港近くに予定されていたが、1854(安政元)年、ペリー艦隊の下田入港により当地で混乱が起き、韮山代官所に近い現在地で着工することになった。蘭...
名古屋市官庁街の歴史的建造物群 ( 愛知県 名古屋市 )
名古屋は、1942(昭和17)年4月18日に米軍からの空襲を受けたのに始まり、しばらく空いて1944(昭和19)年12月13日にも空襲があった。しかし、1945(昭和20)年に入ると、立て続けに市街地中心の大空襲があり、名古屋城や名古屋駅が炎上した。市街地の由緒ある建造物や街並みが破壊された。そうした中で、行政の中心施設である市役所と県庁の...
六華苑 ( 三重県 桑名市 )
桑名駅より徒歩20分。山林王として知られた三重県桑名の実業家・二代諸戸清六の邸宅として1913(大正2)年に完成した。鹿鳴館や旧古河庭園(東京)の洋館も設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計による4層の塔屋をもつ木造2階建て天然スレート葺きの洋館、さらに和館や蔵、池泉回遊式庭園などから構成されている。 桑名市が...
宇治山田駅 ( 三重県 伊勢市 )
近畿日本鉄道の山田線の駅。伊勢神宮への最寄り駅として1931(昭和6)年に建設され、国の登録有形文化財に指定されている。その前年に開催された「御遷宮奉祝神都博覧会」の会場跡地に開設された。建設当時の面影を、今でも残しており、繊細な装飾とあいまって優美な形態の駅*である。第1回「中部の駅百選」にも選ばれている。
旧大社駅 ( 島根県 出雲市 )
1912(明治45)年に国鉄により出雲市駅から大社町への延伸が行われ、それに伴い開業*した。現在残されている駅舎は1924(大正13)年に建築された木造平屋建で、2代目駅舎となる。設計は鉄道管理局の技官丹羽三雄。
旧閑谷学校 ( 岡山県 備前市 )
岡山藩主池田光政*によって創建された庶民のための教育機関。光政は岡山城内に藩校「岡山学校」を設けるとともに、藩内各地に123か所の手習所(てならいじょ)を設け、藩士や庶民の子弟の教育に力を注いだ。 光政は池田家の菩提寺であった京都妙心寺護国院が焼失したのを機に、墓所を岡山に移すこととした。その候補地として、和気郡木谷...
倉敷アイビースクエア ( 岡山県 倉敷市 )
1889年(明治22年)に建設された紡績工場跡を再開発し、1974(昭和49)年に開業した、ホテルと文化施設をあわせもつ複合観光施設。倉敷美観地区に隣接し、その名のとおり、蔦(アイビー)に覆われた赤レンガ造りの建物と、1,400m2にも及ぶ広大な中庭広場(スクエア)が印象的な、地域住民や観光客の憩いの場となっている。敷地内...
祖谷のかずら橋 ( 徳島県 三好市 )
JR土讃線大歩危駅からバスで約25分。祖谷渓の上流にかかる吊り橋で、その名のとおり野生のカズラ、シラクチカズラ(学名 サルナシ)*を主材料にして作られている。長さ約45m、幅2mで、中央の水面からの高さ14mの所にかかっている。 カズラを編んだ敷綱(しきづな)に、栗の木を割ったサナギと呼ぶ丸太をくくりつけて床部を造り、橋の手す...
大鳴門橋 ( 徳島県 鳴門市 / 兵庫県 南あわじ市 )
本州四国連絡橋の神戸~鳴門ルートに属し、淡路島と四国を結ぶ、全長1,629mの長大吊橋。高さ144mの2本の主塔から、直径84cmのケーブルで吊られている。1985(昭和60)年に開通した。構造は、上部デッキを6車線の自動車専用道路、下部を鉄道とした道路鉄道併用橋だが、現在は暫定施工分として、道路4車線のみ開通している。橋の基礎は、渦潮に...
豊稔池堰堤 ( 香川県 観音寺市 )
豊稔池は観音寺市大野原町南部の五郷地区、阿讃山脈を分け入る柞田川(くにたがわ)上流にある農業用のため池である。堰堤は長さ145.5m、高さ30.4m、両端部は重力式、中央部は5個のアーチと6個の扶壁(バットレス)からなるマルチプルアーチ式ダムである。建造当時の米国の最新技術を導入しており、現存する同形式のダムの希少性から農業土木...
瀬戸大橋 ( 岡山県 倉敷市 / 香川県 坂出市 )
瀬戸大橋は、本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋のひとつで、1988(昭和63)年に開通した。海峡部9.4km、上部が自動車道路(瀬戸中央自動車道)、下部が鉄道(JR本四備讃線、愛称:瀬戸大橋線)の道路・鉄道併用橋としては、世界最大級の橋梁群である。塩飽諸島の櫃石(ひついし)島・岩黒(いわぐろ)島・羽佐(わさ)島・与島の4つの島をつた...
萬翠荘 ( 愛媛県 松山市 )
萬翠荘は城山公園の南側にあり、旧松山藩主の子孫である久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵の別邸として建てられた建物で、1922(大正11)年、フランス風建築を得意とする建築技師である木子七郎(きごしちろう)によって設計・建築させた純フランス風洋館である。地上3階・地下1階建てで、建築面積は428.78m2、延床面積は887.58m<...
瀬戸内しまなみ海道(橋梁群) ( 愛媛県 今治市 / 広島県 尾道市 )
広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ西瀬戸自動車道の橋の愛称。自転車歩行者道、原付道が整備されており、海峡を横断して、自転車や徒歩でも渡ることができる。なお、新尾道大橋は、自動車専用道となっていることから渡船または隣接する尾道大橋を利用することとなる。橋や島々を含む付近一帯が、広域観光圏となっている。 新尾道大橋は、...
旧藏内邸 ( 福岡県 築上町 )
築上町の田園風景のなかに立つ大邸宅。筑豊地方の炭鉱経営で財を成した、藏内家三代(藏内次郎作、保房、次郎兵衛)の本家住宅である。敷地は7135m2、延床面積1250m2にも及び、九州では最大級の規模。1906(明治39)年ごろの造営で、その後大正時代に入って増築されたものという。大玄関をはじめ、大広間、煎茶の茶室...
旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋) ( 佐賀県 佐賀市 )
有明海に注ぐ筑後川河口より約8.5km上流に位置する昇開式の可動橋。国鉄佐賀線の鉄道橋梁として建設され、1935(昭和10)年竣工、同年5月25日に開業。舟運に配慮し、中央部の橋が稼動して船が通れる構造になっている。竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」と呼ばれた。橋の全長は507.2m、可動部分の長さは24.2 m、昇降差は23 m。 国鉄の民営...
嘉瀬川の石井樋 ( 佐賀県 佐賀市 )
嘉瀬川は佐賀市三瀬の脊振山系に源を発し、神水川、名尾川などの支川を合わせながら山間部を流れ、途中多布施川を分派し、さらに下流で祇園川を合わせて佐賀平野を貫流し、有明海に注ぐ。一級河川。流域は佐賀市をはじめ3市。 佐賀平野は、干拓によって干潟から農地に変えるなどしてできた土地。佐賀平野での農業用水として活用されてきた...
眼鏡橋 ( 長崎県 長崎市 )
長崎市内中央を流れる中島川に架かる。長さ22.35m、幅4.68mで、2つのアーチが川面に映った姿が眼鏡に見えることが名前の由来。 1634(寛永11)年、興福寺*2代住職だった中国江西省出身の唐僧 黙子如定(もくすにょじょう)が架設した日本最古のアーチ型石橋。それ以前、中島川(当時は大川と称した)にかかる橋の多くは木橋だったが、腐...
椎根の石屋根倉庫 ( 長崎県 対馬市 )
食料品や衣類、農具や漁具などの日常生活用品を保管するための倉庫。高床式の倉庫に平たい自然石で葺いた屋根を乗せている。柱は椎材で、周囲の壁、床、天井には松材が用いられている。 対馬は、冬になると強い北西の季節風が吹きつける。強い風や火事から貴重品を守るため、石で屋根を葺いた頑丈な倉庫が造られた。対馬には板状に薄くは...
旧国鉄宮原線コンクリートアーチ橋梁群 ( 熊本県 小国町 )
旧国鉄宮原線は、大分県南西部の九重町恵良駅から熊本県最北端の小国町肥後小国駅までの26.6kmを結ぶ線路で、35年という工期をかけて1954(昭和29)年に開通した。通勤・通学や木材等の搬送に使われていたが、国鉄再建法による赤字路線の廃止により、開通から30年後の1984(昭和59)年、九州で最初に廃線となった。 山間部を通る線路であ...
三角西港 ( 熊本県 宇城市 )
熊本県中央部の宇城市、九州自動車道松橋ICから車で約50分、JR三角駅から車で約10分、宇土半島の西端にある。 日本に現存する明治時代の石積港湾施設で、石積の埠頭、水路、建造物などがほぼ完全な形で残っている。 1876(明治9)年の神風連の乱や1877(明治10)年の西南の役で焦土と化した熊本県の殖産興業を目的として港湾を建設する...
耶馬渓橋 ( 大分県 中津市 )
山国川に架かる石橋で、青の洞門*の下流約500mにある。1923(大正12)年に竣工。日本で唯一の八連石造アーチ橋で、橋長116m。日本百名橋の一つ。また地元では「オランダ橋」という愛称で呼ばれているが、これは長崎県に多い水平な石積み方式であるため、と推測されている。
白水ダム ( 大分県 竹田市 )
JR豊後竹田駅の南西約11kmの里山にある。水に恵まれない周辺地域の安定水源として、1934(昭和9)年着工、1938(昭和13)年に完成した石造りのダム。正式名称は「白水溜池堰堤水利施設一溝」という。 設計は小野安夫技師によるもので、堰堤下の岩盤が弱いため、水圧を抑える工夫がされている。右岸は「武者返し」と呼ばれる曲面流路、左岸...
九重“夢”大吊橋 ( 大分県 九重町 )
2006(平成18)年10月30日にオープン。長さ390m、高さ173m、幅1.5m。歩道専用として日本一の高さを誇る吊橋。橋からは、日本の滝百選にも選ばれた震動の滝(雄滝)や雌滝を望み、眼下には筑後川の源流域を流れる鳴子川渓谷の原生林が広がる。遠くに、三俣山や涌蓋山など雄大なくじゅう連山*が横たわり、360度の大パノラマが絶景。
院内町の石橋群 ( 大分県 宇佐市 )
75基もの石橋が残る宇佐市院内町は石橋のまちとして知られる。このうちアーチ橋(めがね橋)は64基もの数を誇る。江戸時代末期から、大正時代を中心に昭和にかけて架けられたもので、そのほとんどが今も使われている現役の橋である。 院内町は深い谷に集落が点在する地形ゆえ、それらを結ぶ必要があったこと、また急流のために木橋でなく...
西の正倉院 ( 宮崎県 美郷町 )
奈良・東大寺大仏殿の北北西に位置する校倉造りの正倉院は国宝であり、ユネスコの世界遺産にも登録されている貴重な建造物。西の正倉院は、宮内庁の協力、さらには奈良国立文化財研究所の学術支援、そして当時の建設大臣の特別許可などにより、門外不出であった正倉院原図を元に、樹齢400年から500年の木曽檜を用いて忠実に再現したものだ。 ...
古宇利大橋 ( 沖縄県 今帰仁村 / 沖縄県 名護市 )
沖縄本島北部の屋我地(やがじ)島と古宇利島を結ぶ全長1,960mの橋。2005(平成17)年に完成。屋我地島周辺は岩礁及び小島が浮かぶ風光明媚な海域で、沖縄海岸国定公園に指定されていることもあり、周辺環境と調和した橋として整備された。 許田インターから屋我地島側の古宇利大橋のふもとまで約22km。橋の入口手前に駐車場があり、そこ...
伊良部大橋 ( 沖縄県 宮古島市 )
沖縄本島の南西約290kmに位置する宮古島と、その西にある伊良部島を結ぶ。離島同士に架かる全長3,540mの橋で、無料で渡れる橋として全国一の長さを誇る(2018(平成30)年現在)。歩いて渡ることもできる。伊良部島の人たちが架橋要請活動を始めてから完成まで40年以上を要し、2015(平成27)年1月に開通式が行われた。架橋以前は、宮古島の...