瀬戸大橋せとおおはし

瀬戸大橋は、本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋のひとつで、1988(昭和63)年に開通した。海峡部9.4km、上部が自動車道路(瀬戸中央自動車道)、下部が鉄道(JR本四備讃線、愛称:瀬戸大橋線)の道路・鉄道併用橋としては、世界最大級の橋梁群である。塩飽諸島の櫃石(ひついし)島・岩黒(いわぐろ)島・羽佐(わさ)島・与島の4つの島をつたい、岡山県倉敷市児島と香川県坂出市を結んでいる。3つの吊橋と2つの斜張橋、1つのトラス橋があり、この6つの橋を総称して「瀬戸大橋」と呼んでいる。
いわゆる「本四架橋」の構想を初めて提唱したのは香川県議会議員だった大久保諶之丞(じんのじょう)で、1889(明治22)年、讃岐鉄道の丸亀-多度津-琴平線の開通祝賀会で、塩飽諸島の島々を継いで架橋する構想を披露し、列席者を驚かせた。国政では、1914(大正3)年に、徳島県選出の衆議院議員・中川虎之助が「鳴門架橋」を帝国議会へ提出したが、否決されている。当時、これほど大掛かりな橋を作ることは技術的に不可能だと思われており、本四架橋が現実のものとして考えられるようになったのは、戦後10年を経た頃からである。1955(昭和30)年、国鉄が本四淡路線(神戸・鳴門ルート)の調査に着手する。その直後の同年5月11日、宇高連絡船紫雲丸が濃霧のため女木島沖で同じ連絡船の第3宇高丸と衝突、沈没し、修学旅行の小・中学生を含む168人が死亡する事故があり、これを契機に架橋運動が盛り上がった。1959(昭和34)年に建設省が、1961(昭和36)年に国鉄が本格的な調査を開始し、いよいよ計画は具体性を帯び始める。1967(昭和42)年、土木学会本四連絡橋技術調査委員会が、神戸~鳴門、児島~坂出、尾道~今治の3ルートを含む全てのルートの建設が可能と答申。これを受けて、1969(昭和44)年、新全国総合開発計画において現在の瀬戸大橋を含む3ルートの建設が決定し、翌1970(昭和45)年に本州四国連絡橋公団が発足、建設へ向けて動き始めた。1973年(昭和48)年11月、3ルート同時着工の予定だったが、石油ショックによって経済情勢が激変し、起工式のわずか5日前に架橋工事は突然凍結された。その後、政府は、1975(昭和50)年に本四架橋に関する当面の建設方針を決定。1977(昭和52)年11月、第3次全国総合開発計画において、本州四国連絡橋の当面早期完成を図る1ルートは道路鉄道併用橋とし、総合的観点から児島・坂出ルートとすることが決定した。起工式は1978(昭和53)年10月10日、岡山県・鷲羽山と香川県・番ノ洲で行われた。
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みどころ

讃岐平野の見晴らしのよい場所からは、大抵その一部を認識できるほどスケールの大きな橋。本州と四国をほぼ一直線にわずか10分(鉄道・自動車)ほどで結び、岡山と高松は快速マリンライナーで約1時間となり、両県をまたぐ通勤・通学も今は珍しくない。実際に通行したり、近くで眺めると、このような巨大な橋を造った人間の技術力に感動を覚える。
 香川県側から6本の橋を順に見ていく。南備讃瀬戸大橋と北備讃瀬戸大橋は、坂出市番ノ州と与島を結ぶ二連の吊橋。吊橋は長い支間の橋に適しており、南備讃瀬戸大橋は橋長1648m、中央支間長1100mと瀬戸大橋のなかで最長である。この海域は瀬戸内海の主要航路で、大型船の往来が激しいため、橋台や橋脚は航路を避けて設置されている。南北二つの吊橋のケーブルを固定させるために設けられた共用アンカレイジ(橋台)など、当時の世界最先端技術を採用している。また、橋げたと海面の間は65m以上あり、大型船も楽に航行できる。与島橋は与島と羽佐島を結び曲線区間でもあるため、瀬戸大橋唯一のトラス橋*である。岩黒島橋と櫃石島橋は形・大きさが全く同じで、H型の主塔から左右対称に張られた88本ケーブルで橋を支えている。白鳥が羽をひろげたような気品あふれる優美なデザインは、瀬戸内海の景観にマッチしている。下津井瀬戸大橋は櫃石島から本州の倉敷市児島につながる吊橋で、この橋のほぼ中央が香川県と岡山県の県境になる。本州側に渡り終えるとすぐ、左右2本のトンネルが上下2段構造となっている鷲羽山トンネル**がある。
 瀬戸大橋は環境影響評価(環境アセスメント)を実施しており、橋の色も航空障害灯を設置することにより、景観と調和するライトグレーを採用した***。また、下津井瀬戸大橋の岡山県側の橋台は、鷲羽山の景観を損なわないようトンネル式とされている。
 瀬戸大橋を渡る車や列車の車窓から美しい瀬戸内海を眺めるのも格別だが、橋を一望できるスポットでは、坂出市沙弥島のナカンダ浜がおすすめ。沙弥島は、今は埋め立てにより、陸続きになっている。形のよい大きなエノキの木がある砂浜で、瀬戸内海に架かる長大橋のパノラマが目の前に広がる。また、丸亀市の本島に渡れば、岡山県に近くなり、東海岸から双子の斜張橋がよく見える。高いところからの眺望では、坂出市の五色台は、橋を横から眺めることができる点がユニーク。橋の大きさ実感するには、瀬戸中央自動車道のパーキングエリアがある与島に立ち寄りたい。もちろん、瀬戸内海を航行する船から眺めるのもよい。
 香川県側の瀬戸大橋のたもとには「瀬戸大橋博」跡地を整備した瀬戸大橋記念公園があり、建設にまつわる資料展示館や、橋と瀬戸内海を地上108mから360度見渡せる「瀬戸大橋タワー」がある。瀬戸中央自動車道を管理する本州四国連絡高速道路株式会社では一般の人が普段立ち入ることができないJR瀬戸大橋線が真横を通る管理用通路や、海面から175mの塔頂に案内する「瀬戸大橋スカイツアー」などを開催している。また、休日を中心に事前に設定されたスケジュールで橋がライトアップ***され、優雅でロマンチックな雰囲気が楽しめる。
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補足情報

*トラス橋:部材を組み合わせた三角形を基本構造とした橋。
**橋の本州側は、当初、鷲羽山をV字型にカットするオープンカット工法の採用が検討されたが、鷲羽山は国立公園内にあるため掘削量が少ないトンネルで建設されることになった。
***瀬戸大橋の途中にある櫃石島・岩黒島・与島の3つの有人島(いずれも香川県坂出市)へアクセスする唯一の公共交通機関はバス。JR児島駅(岡山県倉敷市)とのJR坂出駅(香川県坂出市)を結ぶ。とくに岩黒島・櫃石島島内は、島民及びその関係者・路線バス・緊急車両・郵便物集配車両等を除く一般車両の通行は禁止されており、両島へ訪れるにはこのバスを利用する。