日光金谷ホテルにっこうかなやほてる

東照宮の雅楽師であった金谷善一郎は、1870(明治3)年、宿泊したヘボンに外国人相手の宿泊施設を造るようにすすめられ、3年後、本町にあった自宅の一部を改造し、外国人向けに「金谷カッテジイン」として開業した。建物は江戸時代の武家屋敷で、約20年間外国人からは「サムライハウス」の愛称で親しまれた。木造2階建てで九つの和室のうち七室を客室とした。
 1893(明治26)年、本格的リゾートホテル、金谷ホテルを上鉢石町の現在の地で開業し、日本で先駆的なリゾートホテルとして国内外にその名を馳せた。本館、新館(1901(明治34)年)、観覧亭・展望閣(ともに1921(大正10)年)、別館(1935(昭和10)年)は、すべて国の登録文化財である。
 カッテジインは、その後老朽化が進んでいたが登録文化財となり、ヘボン生誕200年にあたる2015(平成27)年に、「金谷ホテル歴史館」として整備し公開されている。隣接してホテルの歴史を伝える資料展示室とレストラン・ベーカリーをあらたに建設した。
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みどころ

日光は、明治時代から外国人に愛されてきた国際的観光地であり、日光金谷ホテルは先駆的なリゾートホテルであった。その価値は高く評価され、建物は国の登録有形文化財、近代化産業遺産に指定されている。金谷ホテルを訪れた際は、展示室「金谷の時間」や「金谷ホテル歴史館」を鑑賞することをお勧めする。
 金谷ホテルは、箱根の富士屋ホテルとともに、日本のリゾートホテルの草分けであり、日本の貴重な観光史の原点になっている。(溝尾 良隆)
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補足情報

*金谷侍屋敷(金谷カテッジイン):約400年前に建てられた書院造りを基本とする純和風建築である。建築材に栂材を多用、武家屋敷では稀な2階建て、大黒柱を設置する。代々、東照宮楽部の楽人であった金谷家は1800(寛政12)年前後にこの屋敷を拝領して住居にした。金谷善一郎はこの家で誕生し、成長して東照宮楽部の笙の奏者になった。アメリカ人宣教師ジェイムス・ヘボンが日光を訪れた際に、この屋敷の部屋を宿として提供。このときのヘボンのアドバイスで屋敷を改造し、1873(明治6)年「金谷ホテル」の前身、「金谷カテッジイン」を開業した。建物の西側部分は1887(明治20)年に増築したものである。
*イザベラ・バード:1878(明治11)年、イギリス人旅行作家イサベラ・バードが12日間にわたり「金谷カテッジイン」に滞在。この屋敷の美しさ、清潔さ、善一郎一家のもてなしのすばらしさを『日本奥地紀行』に綴り、日光の「金谷」は海外でも知られるようになった。侍の住居であったこの屋敷は、外国人旅行者から「サムライハウス」と親しみをこめて呼ばれていた。
関連リンク 日光金谷ホテル(WEBサイト)
参考文献 日光金谷ホテル(WEBサイト)
金谷ホテル歴史館(WEBサイト)

2022年06月現在

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