旧笹川家住宅きゅうささがわけじゅうたく

笹川家は、安土桃山時代の信濃国水内郡笹川村から、この味方の地に移住し、1970(昭和45)年にこの地を離れるまで、14代300年以上にわたって続いた名家である。1649(慶安2)年から明治維新までは、9代にわたり味方組8か村、約8千石を束ねる大庄屋をつづけた。年貢の取りまとめ、藩から与えられた警察権・裁判権を行使していた。その一方で、水害の多かったこの地域での新田開発に貢献した。
 堀と土手を巡らせた約14,000m2の敷地に、表と奥の2棟に分かれた母屋と、米蔵など土蔵が立つ。1945(昭和20)年、俳人高浜虚子が来邸し「椎落葉掃き悠久の人住めり」と、句を読み讃えた。1953(昭和28)年には英国の陶芸家バーナード・リーチ*もここを訪れ賞賛している。
 1954(昭和29)年に国の重要文化財の指定を受け、1970(昭和45)年から一般公開されている。
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みどころ

前庭の眺望、威厳のある表座敷、高い木組み天井の広間、土庇と障子欄間、建ち並ぶ土蔵群は、いずれも雄大さと雪国らしさを兼ね備え、この地域の発展を主導した「大庄屋」の気概を今に伝えている。(溝尾 良隆)
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補足情報

*旧笹川邸住宅と庭を挟んで曽我・平澤記念館及び両氏の銅像が立つ。曽我・平澤の両氏は旧味方村の名誉村民で、それぞれ大谷大学長、京都大学長を務めた。
*バーナード・リーチ:イギリスの陶芸家。1909年来日。柳宗悦・浜田庄司らの民芸運動に参加。日本民芸館はリーチの作品約120点を所蔵する。