通潤橋
熊本県東部の上益城郡山都町、九州中央自動車道山都通潤橋ICから車で約10分にある。
阿蘇南外輪山の裾野に位置する山都町の白糸台地は、川が削り取った深い谷に囲まれて川から水を引くことができず、湧き水を利用した農業に限られていた。この白糸台地に農業用水を送るため、現在の町長にあたる惣庄屋布田保之助(ふたやすのすけ)*が代表となり、肥後の石工ら*の協力を得て、1852(嘉永5)年12月に着工、約1年8ヶ月をかけ、1854(嘉永7)年8月に完成した。
通潤橋は長さ約78m、幅約6.6m、水面からの高さ約21.3mの近世最大級の石造りアーチ水路橋である。上部に石管をつないで作られた3本の通水管が通り、橋は白糸台地よりも低い位置にあるが、北側の取入口(高さ約7.0m)と南側の吹上口(高さ約5.0m)の高低差により、通水管の中を流れる水が勢いよく台地へ吹きあがる逆サイフォンの仕組みになっている。また、石造りアーチ橋の中で唯一放水*ができる。
1960(昭和35)年に国の重要文化財に指定され、2023年(令和5)年9月には、技術完成度の極めて高い近世石橋の傑作と評価され、土木構造物として全国で初めて国宝に指定された。
通潤橋の完成により白糸台地には棚田が広がり、竣工から170年経った現在も白糸台地の約1km2の水田を潤している。
阿蘇南外輪山の裾野に位置する山都町の白糸台地は、川が削り取った深い谷に囲まれて川から水を引くことができず、湧き水を利用した農業に限られていた。この白糸台地に農業用水を送るため、現在の町長にあたる惣庄屋布田保之助(ふたやすのすけ)*が代表となり、肥後の石工ら*の協力を得て、1852(嘉永5)年12月に着工、約1年8ヶ月をかけ、1854(嘉永7)年8月に完成した。
通潤橋は長さ約78m、幅約6.6m、水面からの高さ約21.3mの近世最大級の石造りアーチ水路橋である。上部に石管をつないで作られた3本の通水管が通り、橋は白糸台地よりも低い位置にあるが、北側の取入口(高さ約7.0m)と南側の吹上口(高さ約5.0m)の高低差により、通水管の中を流れる水が勢いよく台地へ吹きあがる逆サイフォンの仕組みになっている。また、石造りアーチ橋の中で唯一放水*ができる。
1960(昭和35)年に国の重要文化財に指定され、2023年(令和5)年9月には、技術完成度の極めて高い近世石橋の傑作と評価され、土木構造物として全国で初めて国宝に指定された。
通潤橋の完成により白糸台地には棚田が広がり、竣工から170年経った現在も白糸台地の約1km2の水田を潤している。
みどころ
通潤橋の佇まいは美しく、輪石(わいし)と呼ばれるアーチの部分や四隅にあるさや石垣*など、肥後の石工たちの技術の高さが見て取れる。
本来は通水管につまった土砂やゴミを取り除く目的で、灌漑期を終えた9月に年1回行われていた放水が、1960年に重要文化財に指定されると観光対象として注目されるようになり、現在では年100回程度の放水が行われている。
放水の時間が近づくと、続々と人が集まってくる。「5、4、3、2、1」とカウントダウンが聞こえ、橋の中央から勢いよく水が噴き出す。しばらくして橋の向こう側からも水が放たれると、橋を中心に放水がきれいな半円を描く。橋上観覧証*があると橋の上まで行けるので、事前に買っておくことをすすめる。通潤橋と放水が作る景色を左から、上から、右から写真に収めたり、中央の放水口から凄まじい勢いで水が噴き出すのを見たり、手すりのない橋の上を往復したり、周辺に広がる棚田の景色を見たりと、放水が続く約15分間を存分に楽しめる。
通潤橋史料館*には、通潤橋の模型、建設当時の設計書、実物の石管や木管などが展示され、通潤橋はもちろん熊本に残る石造りアーチ橋への興味も湧いてくる。
本来は通水管につまった土砂やゴミを取り除く目的で、灌漑期を終えた9月に年1回行われていた放水が、1960年に重要文化財に指定されると観光対象として注目されるようになり、現在では年100回程度の放水が行われている。
放水の時間が近づくと、続々と人が集まってくる。「5、4、3、2、1」とカウントダウンが聞こえ、橋の中央から勢いよく水が噴き出す。しばらくして橋の向こう側からも水が放たれると、橋を中心に放水がきれいな半円を描く。橋上観覧証*があると橋の上まで行けるので、事前に買っておくことをすすめる。通潤橋と放水が作る景色を左から、上から、右から写真に収めたり、中央の放水口から凄まじい勢いで水が噴き出すのを見たり、手すりのない橋の上を往復したり、周辺に広がる棚田の景色を見たりと、放水が続く約15分間を存分に楽しめる。
通潤橋史料館*には、通潤橋の模型、建設当時の設計書、実物の石管や木管などが展示され、通潤橋はもちろん熊本に残る石造りアーチ橋への興味も湧いてくる。
補足情報
*布田保之助:当時の矢部地域の行政の長。地域の発展のため、通潤橋のほかにも多くの道路、用水路、石橋などの建設事業の責任者であった。通潤橋の前には布田保之助の像が建つ。
*肥後の石工ら:通潤橋は、八代市東陽町の種山石工と呼ばれる石工集団らにより作られた。熊本県には通潤橋の他にも数多くの石造りアーチ橋が現存し、それらは江戸末期から明治中期頃まで活躍した種山石工によって作られたものが多い。雄亀滝橋(おけだけばし・下益城郡美里町)は現存する中で熊本県内最古の水路橋で、岩永三五郎により架けられたといわれる。通潤橋の架橋工事を手掛けた橋本勘五郎は、1873(明治6)年に明治政府に招かれ、東京で初めての石造りアーチ橋となる万世橋(神田筋違目鑑橋・かんだすじかいめがねばし)を完成させた。
*放水:長さ約119mの通水管の中に溜まった土砂やゴミを取り除くために行われ、現在では観光放水として見学できる。年間の放水実施日は「通潤橋放水カレンダー」で確認できる。現役の農業用水を利用しているため、放水予定日であっても急きょ取りやめる場合がある。訪問前に確認を。
*さや石垣:石垣を支えて橋を強固にするため、橋の四隅につけられている裾広がりの石垣。熊本城の石垣にならったとされる。輪石の基礎部分を包んで補強している。
*橋上観覧証:橋上部の見学は、基本的に放水日の10時から15時の間。天候や管理上の理由により、急きょ取りやめる場合があるため、訪問前に確認を。橋上観覧証は通潤橋ミエルテラス物産館で購入する。
*通潤橋史料館:資料展示のほかに、大画面のビデオ上映や案内人による説明もある。入館料が必要。
*肥後の石工ら:通潤橋は、八代市東陽町の種山石工と呼ばれる石工集団らにより作られた。熊本県には通潤橋の他にも数多くの石造りアーチ橋が現存し、それらは江戸末期から明治中期頃まで活躍した種山石工によって作られたものが多い。雄亀滝橋(おけだけばし・下益城郡美里町)は現存する中で熊本県内最古の水路橋で、岩永三五郎により架けられたといわれる。通潤橋の架橋工事を手掛けた橋本勘五郎は、1873(明治6)年に明治政府に招かれ、東京で初めての石造りアーチ橋となる万世橋(神田筋違目鑑橋・かんだすじかいめがねばし)を完成させた。
*放水:長さ約119mの通水管の中に溜まった土砂やゴミを取り除くために行われ、現在では観光放水として見学できる。年間の放水実施日は「通潤橋放水カレンダー」で確認できる。現役の農業用水を利用しているため、放水予定日であっても急きょ取りやめる場合がある。訪問前に確認を。
*さや石垣:石垣を支えて橋を強固にするため、橋の四隅につけられている裾広がりの石垣。熊本城の石垣にならったとされる。輪石の基礎部分を包んで補強している。
*橋上観覧証:橋上部の見学は、基本的に放水日の10時から15時の間。天候や管理上の理由により、急きょ取りやめる場合があるため、訪問前に確認を。橋上観覧証は通潤橋ミエルテラス物産館で購入する。
*通潤橋史料館:資料展示のほかに、大画面のビデオ上映や案内人による説明もある。入館料が必要。
関連リンク | 山都町役場商工観光課(WEBサイト) |
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参考文献 |
山都町役場商工観光課(WEBサイト) 熊本県文化課文化財調査班(WEBサイト) 熊本県公式観光サイト もっと、もーっと!くまもっと(WEBサイト) 「山都町まるごとおもしろ大図鑑 通潤橋探検」山都町 「熊本県の歴史散歩」山川出版社 |
2024年11月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。