羽田空港(東京国際空港)
羽田空港は、正式には東京国際空港という。空港までは首都圏の各地からバスの便があるが、鉄道では品川駅からの京急線とJR浜松町駅からの東京モノレールで行くことができる。
わが国で民間航空が盛んになってきた大正時代に、日本初の民間の飛行機学校のあった関係から、1930(昭和5)年、多摩川河口の鈴木新田*と隣接する埋立地の羽田江戸見崎一帯約53万m2を逓信省が買収し、国営の民間飛行場を建設することになった。そして東京飛行場と命名され、翌年に開業した。しかし、長さ300m、幅15mの滑走路1本と、格納庫と事務所が設けられただけで、日本航空輸送の定期便や各新聞社、飛行機学校が使用し、外国便も飛来するようになったため、すぐに滑走路は狭くなってしまった。そこで1938(昭和13)年、周辺を買収して73万m2に拡大され、長さ800m、幅300mの滑走路が、東西、南北方向に2本設けられた。
戦後、米軍が接収して大型機が発着できるように拡張整備される。そのために海老取川以東全域の住民、穴守町、鈴木町の約1,200世帯に対し、1945(昭和20)年9月21日、48時間以内の強制立ち退きが命令された。1952(昭和27)7月1日、日本側に返還され、1955(昭和30)年、国際空港としての機能と建築美を誇るターミナルビルが完成した。
航空機のジェット化が急速に進展する中で、さらに滑走路を始めとする空港施設の規模拡充が行われ、1964(昭和39)年から1971(昭和46)年にかけ、3本の滑走路を有する羽田空港の原形ができ上がった。
1978年(昭和53年)、新東京国際空港(成田空港)の開港に伴い中華航空を除く国際線が移転し、一時、羽田空港は国内線空港としての役割を担うこととなった。しかし、航空機の大型化・高速化・大量輸送時代が到来する中、その需要は急激な増加を見せ、処理能力は限界に達するようになってきた。そのため空港施設を沖合へ新たに展開する大規模な 「東京国際空港沖合展開事業」が、1984(昭和59)年から2007(平成19)年にかけて行われた。さらに「東京国際空港再拡張事業」が行われ、2010(平成22)年には4本目の滑走路となるD滑走路が完成し、国際線地区が供用開始となり、国際線ターミナル(現・第3ターミナル)も完成した。
羽田空港をより楽しくするために、第1~第3各ターミナルの飲食店やサービス、物販店など、国際線エリアでは免税店舗などの充実化が図られている。2023(令和5)年1月末には、第3ターミナルに隣接して、「羽田エアポートガーデン」が全面開業した。
わが国で民間航空が盛んになってきた大正時代に、日本初の民間の飛行機学校のあった関係から、1930(昭和5)年、多摩川河口の鈴木新田*と隣接する埋立地の羽田江戸見崎一帯約53万m2を逓信省が買収し、国営の民間飛行場を建設することになった。そして東京飛行場と命名され、翌年に開業した。しかし、長さ300m、幅15mの滑走路1本と、格納庫と事務所が設けられただけで、日本航空輸送の定期便や各新聞社、飛行機学校が使用し、外国便も飛来するようになったため、すぐに滑走路は狭くなってしまった。そこで1938(昭和13)年、周辺を買収して73万m2に拡大され、長さ800m、幅300mの滑走路が、東西、南北方向に2本設けられた。
戦後、米軍が接収して大型機が発着できるように拡張整備される。そのために海老取川以東全域の住民、穴守町、鈴木町の約1,200世帯に対し、1945(昭和20)年9月21日、48時間以内の強制立ち退きが命令された。1952(昭和27)7月1日、日本側に返還され、1955(昭和30)年、国際空港としての機能と建築美を誇るターミナルビルが完成した。
航空機のジェット化が急速に進展する中で、さらに滑走路を始めとする空港施設の規模拡充が行われ、1964(昭和39)年から1971(昭和46)年にかけ、3本の滑走路を有する羽田空港の原形ができ上がった。
1978年(昭和53年)、新東京国際空港(成田空港)の開港に伴い中華航空を除く国際線が移転し、一時、羽田空港は国内線空港としての役割を担うこととなった。しかし、航空機の大型化・高速化・大量輸送時代が到来する中、その需要は急激な増加を見せ、処理能力は限界に達するようになってきた。そのため空港施設を沖合へ新たに展開する大規模な 「東京国際空港沖合展開事業」が、1984(昭和59)年から2007(平成19)年にかけて行われた。さらに「東京国際空港再拡張事業」が行われ、2010(平成22)年には4本目の滑走路となるD滑走路が完成し、国際線地区が供用開始となり、国際線ターミナル(現・第3ターミナル)も完成した。
羽田空港をより楽しくするために、第1~第3各ターミナルの飲食店やサービス、物販店など、国際線エリアでは免税店舗などの充実化が図られている。2023(令和5)年1月末には、第3ターミナルに隣接して、「羽田エアポートガーデン」が全面開業した。

みどころ
第1、第2ターミナルにも、飲食店やみやげ店、展望デッキがあるが、特に外国人の利用が多い第3(国際線)ターミナルの4階には、江戸の町並みを再現した飲食店やみやげ店などが並ぶ。十八代目中村勘三郎氏が監修した江戸時代の芝居小屋をはじめ、日本の伝統工法で追求した、こだわりの空間が広がる。5階にも店舗があり、展望デッキへと続いている。展望デッキは第1、第2ターミナルにもあり、各国航空機の離着陸が間近に見られる。
2023(令和5)年1月末には、第3ターミナル2階到着ロビーから直結して、民間企業による羽田エアポートガーデンが全面開業した。東京湾を眺めることができるホテルと、富士山や航空機を眺めることができる日帰り温泉施設などからなる複合型商業施設。到着ロビーとホテルを結ぶ回廊はJapan Promenadeと呼ばれて店舗が並び、イベントや催事、国際会議ができるベルサール羽田空港や、バスターミナルも併設されている。
2023(令和5)年1月末には、第3ターミナル2階到着ロビーから直結して、民間企業による羽田エアポートガーデンが全面開業した。東京湾を眺めることができるホテルと、富士山や航空機を眺めることができる日帰り温泉施設などからなる複合型商業施設。到着ロビーとホテルを結ぶ回廊はJapan Promenadeと呼ばれて店舗が並び、イベントや催事、国際会議ができるベルサール羽田空港や、バスターミナルも併設されている。

補足情報
*鈴木新田:空港の場所は多摩川下流の砂州で、文政年間(1818~1831年)に大津波に襲われた。土地の名主の鈴木弥五右衛門は、堤防を築き、数千株の松を植え、守護神稲荷神社を建てた。これが今に残る穴守稲荷の前身である。
関連リンク | 日本空港ビルデング株式会社(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
日本空港ビルデング株式会社(WEBサイト) 国土交通省 関東地方整備局 東京空港整備事務所(WEBサイト) 「東京をつくった話」東建記念誌編纂委員会編 1998 日本経済評論社 「観光施設」2023 No.344 国際観光施設協会 銀河 「空港のとなり町 羽田」宮田 登 1995 岩波書店 |
2025年06月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。