古我邸
幕末の横浜開港後、横浜の居留地に住む外国人たちは鎌倉をリゾート地として見出し、頻繁に訪れるようになった。その後、JR横須賀線の開通を契機に、洋風の別荘が相次いで建てられた。
古我邸は、三菱合資会社の専務理事だった荘清次郎の別荘として15年を費やして建てられた。関東大震災後の対策会議もここで開かれた。
1937(昭和12)年には日本土地建物の経営者古我貞周が取得し、「古我邸」と呼ばれるようになる。元首相の濱口雄幸や近衛文麿も別荘として利用。現在はレストランとして活用されている。
古我邸は、三菱合資会社の専務理事だった荘清次郎の別荘として15年を費やして建てられた。関東大震災後の対策会議もここで開かれた。
1937(昭和12)年には日本土地建物の経営者古我貞周が取得し、「古我邸」と呼ばれるようになる。元首相の濱口雄幸や近衛文麿も別荘として利用。現在はレストランとして活用されている。
みどころ
鎌倉の別荘文化を今に伝える洋館建築が、建物前のなだらかな傾斜に広がる芝生広場や背景の山の緑に映えて美しい。食事とともに、美しい景色を楽しみたい。(溝尾 良隆)
関連リンク | 古我邸(WEBサイト) |
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参考文献 |
古我邸(WEBサイト) 『日本遺産 いざ、鎌倉』日本遺産いざ鎌倉協議会、2017年3月 |
2020年04月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。