深谷の煉瓦とレンガ建物群
渋沢栄一ほか4名により、1887(明治20)年、日本煉瓦製造株式会社は設立された。渋沢栄一の郷里に近い現在の深谷市上敷免に工場が設立されることになり、ドイツ人技師チーゼを招いて1888(明治21)年に操業を開始。この工場で生産されたレンガは、東京駅、赤坂離宮、東京大学などに使われた。 チーゼの居宅兼事務所として建てられた木造洋館は、現在は日本煉瓦史料館として、現存するホフマン輪窯6号窯*等とともに国の重要文化財に指定されている。ホフマン輪窯6号窯は月産65万個の生産能力を持ち、1907(明治40)年の建造以来、1968(昭和43)年までの約60年間レンガを焼き続けた。
生産されたレンガを輸送するため、1895(明治28)年、工場から深谷駅まで約4kmの引き込み線が敷設され、その途中に架けられた備前渠鉄橋及び福川鉄橋はポーナル型プレート・ガーダー橋として日本最古級のものであり、現在もその姿を見ることができる。
市では、東京駅を模したJR深谷駅、市総合体育館(深谷ビッグタートル)、深谷グリーンパーク、渋沢栄一記念館など、公共施設にもレンガを活用しているほか、東京都世田谷区から大正時代の名建築、誠之堂(国重要文化財)・清風亭(県有形文化財)を移築し、保存・活用している。
生産されたレンガを輸送するため、1895(明治28)年、工場から深谷駅まで約4kmの引き込み線が敷設され、その途中に架けられた備前渠鉄橋及び福川鉄橋はポーナル型プレート・ガーダー橋として日本最古級のものであり、現在もその姿を見ることができる。
市では、東京駅を模したJR深谷駅、市総合体育館(深谷ビッグタートル)、深谷グリーンパーク、渋沢栄一記念館など、公共施設にもレンガを活用しているほか、東京都世田谷区から大正時代の名建築、誠之堂(国重要文化財)・清風亭(県有形文化財)を移築し、保存・活用している。
みどころ
深谷市上敷免は、日本の機械式レンガ製造の先駆けの地であり、建築資材の供給という点で明治以降の近代化を陰から支えてきた。
レンガ調のJR深谷駅から、かつての引き込み線跡を整備した遊歩道をたどり、プレート・ガーダー橋である福川鉄橋・備前渠鉄橋を通って、煉瓦史料館を訪れ、レンガ製造の歴史を学んだうえで、市内の様々な煉瓦造りの建物を訪れると、レンガの街としての深谷をより良く理解できる。
レンガ調のJR深谷駅から、かつての引き込み線跡を整備した遊歩道をたどり、プレート・ガーダー橋である福川鉄橋・備前渠鉄橋を通って、煉瓦史料館を訪れ、レンガ製造の歴史を学んだうえで、市内の様々な煉瓦造りの建物を訪れると、レンガの街としての深谷をより良く理解できる。
補足情報
*ホフマン輪窯6号窯:現在、保存修理工事中。2019(平成31)年2月から工事。終了は2023(令和5)年を予定。
関連リンク | 深谷市(WEBサイト) |
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参考文献 |
深谷市(WEBサイト) 『渋沢栄一翁の顕彰とレンガを活かしたまちづくり』深谷市、2007年 |
2020年04月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。