東京タワー
都営地下鉄赤羽橋駅・ 御成門駅・ 大門駅、東京メトロ神谷町駅それぞれから徒歩5~10分以内にある。JR浜松町駅からは15分。芝公園の西端にそびえる総合電波塔*で、1958(昭和33)年12月23日に完成した。自立鉄塔としてはパリのエッフェル塔より3m高い、333mの世界有数の鉄塔である。
都心での建設にあたっては、地盤が固く広大な場所探しが最初の難関だった。建設地はかつての増上寺境内、高級料亭「紅葉館」があった区画で、戦災で焼失、戦後は空き地になっていた場所に決まった。
電波塔を建設するころ、日本はようやく「戦後ではなくなった(1956年経済白書)」ばかりで、建設費用の捻出がたいへんだったが、産経新聞や大阪新聞などの創業者前田久吉が建設に名乗り出て、設計を名古屋テレビ塔や通天閣などを手掛けた内藤多仲(たちゅう)に依頼した。当時の額で約30億円、着工から1年6カ月後に完成した。一見、赤と白のツートンカラーのようだが、厳密には「インターナショナルオレンジ」と「白」の2色。これは、一定の高さ以上の建物にはこの色を用いなければいけないという航空法の定めによる。4本の塔脚に囲まれるようにして5階建ての観光・娯楽施設の「フットタウン」があるが、これは塔脚のアーチが広がるのを防ぐために地中で各脚を結びつけている鉄棒の「重し」の役割を果たしており、鉄塔は約90mの風速、関東大震災以上の地震にも耐えられるよう設計されている。
都心での建設にあたっては、地盤が固く広大な場所探しが最初の難関だった。建設地はかつての増上寺境内、高級料亭「紅葉館」があった区画で、戦災で焼失、戦後は空き地になっていた場所に決まった。
電波塔を建設するころ、日本はようやく「戦後ではなくなった(1956年経済白書)」ばかりで、建設費用の捻出がたいへんだったが、産経新聞や大阪新聞などの創業者前田久吉が建設に名乗り出て、設計を名古屋テレビ塔や通天閣などを手掛けた内藤多仲(たちゅう)に依頼した。当時の額で約30億円、着工から1年6カ月後に完成した。一見、赤と白のツートンカラーのようだが、厳密には「インターナショナルオレンジ」と「白」の2色。これは、一定の高さ以上の建物にはこの色を用いなければいけないという航空法の定めによる。4本の塔脚に囲まれるようにして5階建ての観光・娯楽施設の「フットタウン」があるが、これは塔脚のアーチが広がるのを防ぐために地中で各脚を結びつけている鉄棒の「重し」の役割を果たしており、鉄塔は約90mの風速、関東大震災以上の地震にも耐えられるよう設計されている。

みどころ
高さ150mにメインデッキ、250mにトップデッキとよばれる展望台があり、両展望台から見る眺めは文句なくすばらしい。晴天時には遠く富士山・三浦半島・房総半島まで一望にでき、夜は東京の夜景を眼下に収める。塔脚下の5階建てのビルはフットタウンとよばれ、1階・3~5階には、国内最大のe-sportsを楽しむ「RED° TOKYO TOWER」がある。夜間はライトアップが施され、夜空に浮かぶ全景も美しい。

補足情報
*総合電波塔:東京タワーの建設前は、テレビやラジオの各放送局が独自に電波塔を建設して放送を行っていたため、チャンネルごとにアンテナの向きを変える必要があったほか、届く電波の範囲もまちまちだった。また、電波塔の乱立が景観を損ねることにもつながったため、これらを解消する目的で、放送各社の電波放送を1ヵ所に集約する総合電波塔の建設が必要とされた。
関連リンク | 株式会社TOKYO TOWER(WEBサイト) |
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参考文献 |
株式会社TOKYO TOWER(WEBサイト) 「東京タワー」 朝日新聞 2021年3月6日 |
2025年06月現在
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